かつて存在した私のHP「時代屋小歌」の旅編の記事を復刻している別ブログ「時代屋小歌(旅編)」のほうで、このほど新たに旅行記を1編復刻しました。
記事は、「私のさいはて紀行 稚内編」です。
こちら ↓
http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2222755.html
この旅行は2003年の旅行記です。
旅行記でも書いてありますが、稚内は私が十代の頃に行きそびれた場所でした。
行く気があったのに、ひょんなことから行けなくなり、その分かえって自分の中で稚内への思いが募った覚えがあります。
で、その膨らんだ思いは、当時の私に稚内を舞台にした自作曲を作らせるに至りました。
旅行を計画した時、あれこれ現地のことを調べたのですが、調べたことで得た断片的な知識で、行った気になってイメージを膨らませて歌を作ったのでした。
今なら、実際に現地に行ってみないと、その地を舞台にした曲など作れないでしょう。
稚内から礼文島や利尻島に向かうフェリーの船着き場に着いた時、これ以上北には小さな島以外の日本はないのだなあ・・と思うと、日本の果ての一部に来た感を強く感じた覚えがあります。
北海道に旅行する人は、北の果ての都市である稚内には、一度は行ってみたいと思うのではないでしょうか。
で、実際に稚内に着くと、日本の最北の岬である宗谷岬や、稚内の先に浮かぶ島・利尻島や礼文島にも行ってみたくなるのではないでしょうか。
稚内に着いた・・ということは、宗谷岬や礼文島や利尻島に行く絶好の好機だからです。
遠く離れた場所に住んでる者にとっては、中々行けない場所ですものね。
鹿児島から船で種子島や屋久島に行く時に通る岬ですね。
私はその対岸・・・というわけでもないですが、指宿には行ったことがあります。
でも佐多岬には行ったことがありません。
種子島に船で行った時、方向的には進行方向の右側に見えたかもしれませんが、その時私は船の中で弁当食べるのに夢中でした(笑)。
逆側に見えた開聞岳はよく覚えてますが・・。
佐多岬の写真をちょっと検索して見てみましたが、きれいなところですね。
岬というのは、割と「果て」を感じさせてくれたりすることがあるので、私も好きです。
岬で海や空を見てると、色んな思いが交差しますね。
季節は春、船1艘見えない遥か沖を見渡しながら、爽快な気分でした。
地元に暮らすお婆様の御話によれば、「ここは昔、海軍の艦(ふね)と飛行機が、「日本本土、最後の見納め」と何度も振り返った場所」という話が悲しく耳に残っています。
だんぞうさんも「最果ての地」に悲しい歴史を発見されたのですね。
私は、「岬」という地理を愛しています。
「美しい」と素直に感動する心は、人間として極めて貴重なことですが、「昔、ここで何があったか?」を正確に知り、歴史に心を通わせることも、本当に貴重なことですね。
岬の果ての大海原は、今日も黙っている…。
せめて灯台よ、私の明日をも照せ…。