時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

掘っ立て小屋の級友

2024年12月20日 | 懐かしい系、あれこれ

 


小学校の頃、級友の色んな奴の家に遊びに行った。


その中で2人ほど、掘っ立て小屋のような家に住んでる級友がいた。


2人のうちひとりは、1学年下の奴。この場合、級友ではなく、一応「後輩」ということになる。


もう1人は同学年の級友。


どちらの家も平屋だった。


 


1学年下のS君の家は、私の通学路の途中にあり、何かのビルの敷地内に、物置みたいな掘っ立て小屋があり、そこに住んでいた。


一度だけS君の家の中には私は入ったことがあったと思う。


ただし長居はできそうもない家だったので、入ったのは一瞬だけだったと思う。


部屋はたった1部屋。それも6畳ぐらいの広さのみ。


母と息子の2人ぐらしだったと思う。


2人とはいえ一応そこで親子が暮らしてたわけだから、部屋の中にはトイレや台所らしきものもあったはずだが、あいにく私は覚えていない。


まあ、さすがにトイレや台所がないなんてことはなかっただろう。じゃなかったら生活できないだろうから。


 


で、もう一人はI君。I君の家は掘っ立て小屋とはいっても、ひと部屋の他にトイレや台所も確実にしっかりあったような外観だった。玄関もはっきりしていた。


外観しか覚えていないのは、私はI君の家には入ったことがなかったからだ。


私はI君とは学校では大の仲良しというほどではなかったが、かといって仲が悪かったわけでもなく、外では何度か一緒に遊んだことがあったと思う。


だが、I君は友人たちを決して家にはあげようとはしなかった。


私としては、無理してI君の家に入れてもらおうとは思わなかった。I君が友人を家にあげるのをいやがっていたように思えたからだ。


なんか、・・I君の家にあげてもらうのは悪いような気もしてたし。


 


 


S君の家は、ほどなくしてなくなった。


ビルの敷地内から掘っ立て小屋のような建物がいつしか消えていたからだ。


いつ崩れてもおかしくないような小屋だったので、どこかに引っ越したのだろう。


で、その後は誰かが住むこともなく、取り壊されたのだろう。


その家がなくなってからS君が同じ学校に通ったのかどうかはわからない。


1学年下だったS君の情報は、私には入ってこなかった。


S君の家があった敷地は、ビルの敷地内の一角だったので、その家がなくなった跡は、その後は平らにされ、そのビルの駐車場の一部になった。


もうそこには、かつて掘っ立て小屋があったような形跡は皆無だ。


というか、ビルの駐車場の一部に、たった1部屋だけの掘っ立て小屋が立っていた・・というのが今では嘘のようでもある。


 


 


一方・・I君の住んでた掘っ立て小屋の家は・・・何を隠そう、今もある!


当時のままの外観で。


周りには新しめのビルが立ち並んでいるが、ビルとビルの間の隙間のような小道の途中に・・今もその家はあって、誰かが今も住んでいる。


 


 


以前、小学校時代の友人と飲んだ時、I君の住んでた家の話題が出て。


「だんぞう、I君のあの掘っ立て小屋のような家って、今もあるんだぜ。」と切り出された。


そのI君の家は、その飲み屋のすぐ近くだったので、店を出たら行ってみようということになった。まあ、酔った勢いもあったし。


で、その友人にうながされて一緒に行ってみたら・・・小学校時代の掘っ立て小屋のままの家が今もそのまま残っているのに、ちょっとした感動を覚えた。


 


 


小学校時代から何十年という年月が過ぎ去り、その間地震などもあった。


まわりのビルも新しくなった。


でも、その掘っ立て小屋が当時のまま残っていたことに、私はおもわず「よく崩れなかったなあ。凄い」と思ったのを覚えている。


まるで戦後の闇市のあたりに建てられたような家が、今も「家」として現役で残っていることに、ちょっとした感動があった(ちなみに私は戦後すぐの闇市の時代には、まだまだ生まれていない)。


 


I君の住んでた掘っ立て小屋に今誰が住んでるのかはわからない。


I君が今もそのままそこで暮らしているのかもしれないが、I君一家は引っ越して、代わりに誰か私の知らない人が住んでるのかもしれない。


 


そこで、表札を見てみようと、その家に私が近づいてみたところ、その小屋のなかからミシッミシッと住人が歩く音が聞こえ、どうやら窓のほうに近づいてきてるようだった。


その窓の前には私がいたわけで、なぜか「まずい」と思って私は小走りに遠ざかった。


 


もしかしたら、家の住人は窓ごしに、私がその家から遠ざかっていく姿が見えていたかもしれない。


 


私たちがその家の前で話し合ってるのが、家の中の住人に聞こえたのかもしれない。で、私たちがその家に近づく気配を察して、中の住人は窓のほうに近づいてきたのかもしれない。


 


もしも・・I君が今もそこに住んでるのだとしたら、こんな形で何十年ぶりの再会はしたくない。


そんな思いも私の中にあった。


 


だいいち、I君が出てきたら、一体何を話せばいいんだ?


 


「よう、久しぶり。僕だよ、同じ小学校だっただんぞうだよ」とでもいうのか?


そんなこと言われても、I君も困るだろう。いきなりで。


なにせ、あれから何十年もの年月が過ぎている。私のことなど忘れてしまっているかもしれない。


 


他人行儀な口調で「一体何の用ですか?」とか、「だんぞう君?覚えてないです。帰ってください」とでも言われたら台無しだ。


 


へたしたら不審者に思われかねないしね。


 


 


私が小学校を卒業してからもう何十年もの月日が経過し、町の建物はほとんど当時とは変わってしまっている。


どれも新しくなっている。耐震構造の問題もあるし。


そんな中で、よりによって・・・小学校当時ですでに倒壊しそうだった平屋が、地震などに耐えて今も残っていて、しかもそこに誰かがまだ住んでいるというのは・・驚きだった。


ちょっとした揺れで崩れてしまいそうな外観だったし、ちょっとした台風が来たら屋根などすぐに飛んでいってしまいそうな外観でもあったから。それがそのまま残っていたなんて・・。


 


よく倒壊せずに残ってたなあ。


戦後すぐの遺産みたいにも見える、あの家が。


東日本大震災の時なんて、都心もかなり揺れたのに。


 


 


ちなみに昨今は・・そういう掘っ立て小屋みたいな「住居」は私の住む都心では他はまったく見かけない。


貴方の家の近くに、昭和の産物のような掘っ立て小屋みたいな平屋が今も残ってて、しかも人がまだ住んでいる・・・そんな家はあるだろうか。


 


そして、もしまだあるのだとしたら、そこには誰かがまだ現役で住んでいるのだろうか。


 


 


 


ちなみに私は、無人の掘っ建て小屋を、友達と共有する秘密基地にしたいなと思ってた頃がある。少年時代のことだ。


だが今では、無人の掘っ建て小屋だと、廃屋になっていて、へたしたら心霊スポットみたいになっていそうな気もする・・・。


さすがに心霊スポットを秘密基地にはしたくない。


 


もしも・・I君の住んでた掘っ建て小屋がいつか無人になったら・・・廃屋になるのは早いかもね。


というか、無人になったら、すぐに取り壊されるのかもしれない。


 


I君の住んでた家の周りの不動産所有者は、きっとI君の家の建ってる場所を取得したいのではないかなあ。


なにせ、I君の家だけ、その周りの建物群とは明らかに異質だから。


近代的な建物が建ち並ぶ中、一角だけ、戦後すぐの掘っ建て小屋が残っているような感じだから。


 


建物の建て替えが続く都心で、私が小学生時代に建ってた掘っ立て小屋のような家が今も健在で残っているのは、ちょっとしたタイムカプセルのようにも思える。


 


 


 


 


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