
上段左から ロッド・スチュワート、ジェフ・ベック、ロン・ウッド 下段左から ミッキー・ウォーラー、ニッキー・ホプキンス、トニー・ニューマン
ジェフ・ベック・グループ Jeff Beck Group
【活動期間】
1967年~1969年
【メンバー】
<Vocal>
ロッド・スチュワート/Rod Stewart 在籍1967~1968
<Guitar>
ジェフ・ベック/Jeff Beck 在籍1967~1969
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1967~1969, 1969(ベースへ転向)
<Keyboard>
ニッキー・ホプキンス/Nicky Hopkins 在籍1968~1969
<Bass>
キム・ガードナー/KimGardner 在籍1967
ジェット・ハリス/Jet Harris 在籍1967
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose 在籍1967
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1967~1969(ギターから転向)
ダグラス・ブレイク/Douglas Blake 在籍1969
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1969(復帰)
<Drums>
クレム・カッティーニ /Clem Cattini 在籍1967
ヴィヴ・プリンス/Viv Prince 在籍1967
ロイ・クック/Roy Cooke 在籍1967
ミック・ウォーラー/Mick Waller 在籍1967
ロッド・クームス/Rod Coombes 在籍1967
エインズレー・ダンバー/Aynsley Dunbar 在籍1967
ミック・ウォーラー/Mick Waller 在籍1967(復帰)~1969
トニー・ニューマン/Tony Newman 在籍1969
【バンドの歴史】
ジェフ・ベック・グループ(第1期)は、ジェフ・ベック(guitar)が自身のソロ活動のためにロンドンで結成したバンドである。
のちスターとなるロッド・スチュワートやロン・ウッドが在籍していたことで知られており、ブルースをベースとしたヘヴィなロック・サウンドは、のちのハード・ロックの誕生に大きな影響を与えた。
1966年、ジェフ・ベックはヤードバーズに在籍していた。
この頃のヤードバーズはメンバー間の不和を抱えており、それが大きなストレスとなっていたベックは、同年12月にヤードバーズを脱退した。公的には「扁桃腺を患った」ことを脱退の理由としているが、実のところヤードバーズにいることに嫌気がさしていたので、バンド・メイトだったジミー・ペイジに「自分はバンドをやめる」と言い残して姿を見せなくなったという。
脱退後のベックは、ミッキー・モストとマネジメント契約を交わし、自身の活動をサポートしてくれるメンバーを探し始める。
まず、ロンドンのクラブで顔なじみだったショットガン・エクスプレスのヴォーカリスト、ロッド・スチュワートに声をかける。さらに、ベックがバンド・メンバーを必要としていることを知って連絡してきた元ザ・バーズのメンバーで旧知のロン・ウッド(guitar)と、ザ・バーズでウッドのバンド・メイトだったキム・ガードナー(bass)が加入。ドラマーには元トルネードスのクレム・カッティーニが加わり、1967年1月に「ジェフ・ベック・グループ」が誕生した。ただしこのバンド名は便宜上マスコミ等が呼称しているもので、当時のレコードや公演の名義はすべて「ジェフ・ベック」である。
こうしてバンドは始動したが、ガードナーとカッティーニはリハーサルのみで結成直後に脱退し、後任として元シャドウズ、元ハリス & ミーハンのジェット・ハリス(bass)と、プリティ・シングスやパトゥーズ・ピープルのメンバーだったヴィヴ・プリンス(drums)が加わる。
ハリスとプリンスも間もなく脱退したため、同年2月にはロン・ウッドがベースにスウィッチし、トライデンツ時代のベックとバンド・メイトだったロイ・クックがドラマーとして加入した。このメンバーで3月3日にロンドンのフィンブベリー・パークで行われたコンサートでデビューしたが、3月7日のBBCラジオ出演後にはウッドがギターに戻り、元ショットガン・エクスプレスのデイヴ・アンブローズ(bass)と、元スティームパケットのミッキー・ウォーラー(drums)が加入するなど、ベーシストとドラマーは目まぐるしく交替を繰り返した。
しかし多忙だったウォーラーはすぐにバンドを離れ、代わりに元ザ・ラヴァーズ(Luluのバック・バンド)のロッド・クームスが加入するが、これも短期間で脱退している。
1967年3月、ベックのソロ・シングル(ジェフ・ベック・グループとしての演奏ではない)「ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング c/w ベックス・ボレロ」が発表される。なおB面の「ベックス・ボレロ」は、1967年5月16日と17日にロンドンのIBCスタジオで、ベックのほかジミー・ペイジ(guitar)、ジョン・ポール・ジョーンズ(bass)、キース・ムーン(drums)、ニッキー・ホプキンス(piano)というラインナップによるセッションで録音されたインストゥルメンタルである。このシングルは全英14位のスマッシュ・ヒットとなった。
1967年4月、ドラムスがエインズレー・ダンバーに交替し、アンブローズが脱退したあとのベーシストは再びウッドが務めることになる。このメンバー(ジェフ・ベックguitar、ロッド・スチュワートvocal、ロン・ウッドbass、エインズレー・ダンバーdrums)で5月から7月にかけて国内ツアーを行い、BBCラジオにも何度か出演した。
1967年7月にはジェフ・ベック・グループとしてのシングル「タリー・マン c/w ロック・マイ・プリムソウル」を発表し、バンドの活動は軌道に乗ったかに見えた。しかしベックのマネージャーであるミッキー・モストは、ソロ・アーティストとしてのベックにしか興味がなく、その音楽的方向性をポップ路線に定めたため、ベックが本来やりたかったブルースからは遠ざかることになった。これに不満を抱いたダンバーはバンドから脱退し、自身のバンド「エインズレー・ダンバー・リタリエイション」を結成する。
空いたドラマーの座には代役としてロイ・クックが起用されたが、スチュワートの推薦で同年8月にミック・ウォーラーが復帰する。スチュワートとウォーラーはスティームパケットでバンドメイトだった。
1968年、バンドのロード・マネージャー、ピーター・グラントのお膳立てで、バンドは短期間のアメリカ・ツアーを行った。
ツアーのスタートは、ニューヨークのフィルモア・イーストだった。この時バンドはグレイトフル・デッドの前座を務めたが、そのライヴは非常に好評で、ニューヨーク・タイムズ紙には「グレイトフル・デッドを凌いだ」とまで評された。
高い評価を得たバンドは、グラントの適切なマネージメントもあって、エピック・レコードと新たな契約を結ぶことができた。彼らは帰国するとすぐにアルバム「トゥルース」の制作に取りかかった。
「トゥルース」のレコーディングには、ジョン・ポール・ジョーンズ(organ)、キース・ムーン(drums)、ニッキー・ホプキンス(piano)が参加している。またベックのギター・アンプは出力が大きすぎたため、クローゼットの中に入れられて録音した、という話が残っている。
「トゥルース」は1968年8月にリリースされ、バンドは10月に2度目のアメリカ・ツアーに出発した。このツアーからニッキー・ホプキンスが正式メンバーとして加入している。
1968年12月、3度目のツアーを行う。ホプキンスは健康上の問題があり、またレッド・ツェッペリンからはより多額の報酬を提示されて参加を求められてもいたが、ジェフ・ベック・グループとしてライヴで演奏することを選んだ。しかしホプキンスの体調が思わしくなかったため、このツアーの後半は短縮された。
このツアーの終了後、マネージャーのグラントによりウォーラーとウッドが解雇され、予定されていた4度目のアメリカ・ツアーはキャンセルとなった。
ウォーラーの解雇は、ベックがより重厚でソウルフルなドラマーを求めたためで、後任には元サウンズ・インコーポレイテッドの名手トニー・ニューマンが迎えられた。ウッドの解雇もこれに伴ったものだったが、後任のダグラス・ブレイク(bass)は明らかな力量不足であり、わずか1度のライブで解雇された。そしてベックの意向でウッドが直ちに呼び戻された。
ベック、スチュワート、ウッド、ホプキンス、ニューマンという布陣になったジェフ・ベック・グループは、1969年4月にセカンド・アルバム「ベック・オラ」の制作を始め、また翌5月にはドノヴァンのアルバム「バラバジャガ」のレコーディングに参加した。
1969年5月、バンドは4度目のアメリカ・ツアーを行い、その活動は順調だと思われたが、「ベック・オラ」リリース直前の6月にホプキンスが脱退し、その後は4人編成で活動を続けた。
同年7月、5度目のアメリカ・ツアーに出発。フィルモア・イーストやニューポート・ジャズ・フェスティヴァルなどに出演し、8月15日に始まるウッドストック・フェスティヴァルにも出演する予定だったが、ベックはその前日にバンドを解散させた。
解散後のベックは、ヴァニラ・ファッジのリズム・セクションであるティム・ボガート(bass)、カーマイン・アピス(drums)のふたりと新バンドを結成するべく構想を練っていたが、1969年11月に交通事故を起こして重傷を負ったため、その計画は頓挫した。
スチュワートとウッドは「クワイエット・メロン」を経て「フェイセズ」の結成に参加する。
ニューマンはハード・ロック・トリオ「メイ・ブリッツ」に加入。のち「T.レックス」にも参加している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1968年 トゥルース/Truth(US15位)
1969年 ベック・オラ/Beck-Ola(US15位, UK39位)
★1971年 ザ・ベスト・オブ・ジェフ・ベック/The Best of Jeff Beck
★1991年 ベッコロジー/Beckology
*ゲスト参加
1969年 Barabajagal(US23位)※ドノヴァン
<シングル>
1967年 タリーマン/Tallyman(US30位)
1968年 恋は水色/TLove Is Blue(US23位)
1969年 Goo Goo Barabajagal(UK12位) ※Donovan & Jeff Beck Group
【メンバー変遷】
#1 1967.1
ロッド・スチュワート(vocal)※ex. Shotgun Express
ジェフ・ベック(guitar)※ex. Yardbirds
ロン・ウッド(guitar)※The Birds
キム・ガードナー(bass)※The Birds →The Creation
クレム・カッティーニ(drums)
#2 1967.1
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
ジェット・ハリス(bass)※Jet Harris & Tony Meehan
ヴィヴ・プリンス(drums)※Patto's People →Denny Lane's Electric String Band
#3 1967.2~1967.3
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ロイ・クック(drums)※The Tridents
#4 1967.3
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
デイヴ・アンブローズ(bass)※ex. Shotgun Express
ミッキー・ウォーラー(drums)※ex. Steampacket →John Mayall's Bluesbreakers
#5 1967.3~1967.4
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
デイヴ・アンブローズ(bass) →Brian Augar & The Trinity
ロッド・クームス(drums)※ex. The Luvvers
#6 1967.4~1967.8
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
エインズレー・ダンバー(drums)※ex. John Mayall's Bluesbreakers →Aynsley Dunbar Retaliation
#7 1967.8~1968.10
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ミック・ウォーラー(drums)※ex. Cat Stevens Band
#8 1968.10~1969.2
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards)
ミック・ウォーラー(drums) →Steamhammer
#9 1969.2
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ダグラス・ブレイク(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards)
トニー・ニューマン(drums)※ex. Sounds Incorporated
#10 1969.3~1969.6
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards) →Quicksilver Messenger Service
トニー・ニューマン(drums)
#11 1969.6~1969.8
ロッド・スチュワート(vocal) →Quiet Melon
ジェフ・ベック(guitar) →Jeff Beck Group
ロン・ウッド(bass) →Quiet Melon
トニー・ニューマン(drums) →May Blitz