ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

デイヴ・ボール

2025-02-23 10:54:59 | guitar

デイヴ・ボール Dave Ball


 【出生名】
   デヴィッド J. ボール/David J. Ball

 【パート】

   ギター

 【生没年月日】
   1950年3月30日~2015年4月1日(65歳没)

 【出生地】
   イングランド バーミンガム市

 【経 歴】
   
The Rockin’ Perfidias 1962~1963
   The Deadbeats 1963~1965
   Thomas Paul’s Blues Disciples 1965
   The Little People 1965~1966
   The Madding Crowd1966~1967
   Chicago Hush 1967~1968
   Ideal Milk 1968
   エース・ケフォード・スタンド/Ace Kefford Stand 1968~1969
   ビッグ・バーサ/Big Bertha 1969~1971
   プロコル・ハルム/Procol Harum 1971~1972
   ロング・ジョン・ボルドリー・バンド/Long John Baldry Band 1972
   ザ・ビースト/The Beast → ベドラム/Bedlam 1972~1974
   Duffo 1980~1981
   Nicole Barclay Band
   Melnourne To Memphis
   Euro Trash


 1950年3月30日、バーミンガム市ハンズワースに生まれる。
 兄のデニス・ボール(bass)、ピーター・ボール(keyboard)もミュージシャンである。

 ロー・ティーンの頃にはすでに音楽活動を始めている。
 1962年に兄のデニスやピーターらと「ザ・ロッキン・パーフィディアス」(のちの「ザ・デッドビーツ」)に加入。
 1965年にザ・デッドビーツが解散すると、兄弟は別々のバンドで活動を続ける。デイヴは「ザ・マッディング・クラウド」というバンドに加入して、ドイツに渡る。
 1967年、デニスとともに「シカゴ・ハッシュ」というブルース・バンドに加入するが、翌1968年4月にはデニスとともにバンドを離れ、「Ideal Milk」という名のリハーサル・バンドを組む。このバンドのメンバーは、デイヴ、デニスのボール兄弟と、コージー・パウエルの3人である。コージーは、デイヴのもうひとりの兄ピーターと「ザ・ソーサラーズ」(のちの「ヤングブラッド」)でのバンド・メイトであり、デイヴともドイツ時代から家を借りてシェアするなど旧知の仲だった。

 「Ideal Milk」は、1968年秋に元「ムーヴ」のエース・ケフォード(vocal)と合流し、「エース・ケフォード・スタンド」に改名する。彼らは翌69年4月にヤードバーズのカヴァー「フォー・ユア・ラヴ」でシングル・デビューを果たしたが、同年8月にはケフォードが脱退して活動を停止。パウエルは「ベイカールー」に加わり、ボール兄弟は新たなバンドの結成を計画するが、秋にはパウエルが戻ったため、10月に新バンド「ビッグ・バーサ」を結成した。このバンドのメンバーは、デイヴ・ボール(guitar)、デニス・ボール(bass)、ピーター・ボール(keyboard)、コージー・パウエル(drums)、ピーター・フレンチ(vocal)であり、ボール三兄弟が勢ぞろいしている。
 ビッグ・バーサは、「Big Bertha featuring Ace Kefford」名義で1969年10月にデビュー・シングル「This World’s An Apple」をリリース。1970年には西ドイツでシングル「Munich City」をリリースしたが、この2枚のシングルを残して1971年夏には解散した。

 1971年4月、コージー・パウエルがビッグ・バーサを離れて「ジェフ・ベック・グループ」(第2期)に加入。そしてデイヴ・ボールも同年「プロコル・ハルム」へ加入し、ビッグ・バーサは短い歴史に幕を下ろす。デイヴは、脱退したロビン・トロワーの後任を必要としていたプロコル・ハルムが「メロディ・メイカー」誌に出したギタリスト募集広告を見てこれに応募、1971年8月にバンドの一員となった。
 1971年11月18日、プロコル・ハルムはカナダのアルバータ州エドモントンでエドモントン交響楽団と共演した。このコンサートにデイヴも参加しており、その模様はライヴ・アルバム「プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ」として1972年4月にリリースされている。

 1972年9月、デイヴはアルバム「グランド・ホテル」の制作中にプロコル・ハルムから脱退する。アルバムの完成を目の前にしてのことだったため、後任のミック・グラバムがギターをオーヴァー・ダヴィングした。ただしデイヴは、2015年に受けたインタヴューで「収録されている『スーヴェニア・オブ・ロンドン』のギターとスプーンの演奏は自分自身のものだ」と述べている。また2009年にリリースされた「グランド・ホテル」のリマスターCDに収められているボーナス・トラック「ブリンギング・ホーム・ザ・ベーコン」のギターは、ボールの演奏によるものである。

 脱退後すぐロング・ジョン・ボルドリー・バンドに加入し、
ここで再びデニス・ボールと合流してボルドリーのソロ・アルバム「グッド・トゥ・ビー・アライヴ」(1973年リリース)の録音に加わった。

 1972年11月、弟デニスとともにコージー・パウエルと再び合流し、ハード・ロック・トリオ「ザ・ビースト」を結成。このバンドはまもなく名を「ベドラム」に改める。
 ベドラムは、フェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎え、1973年8月にアルバム「狂人どもの舞踏会」を発表したが、短期間で解散した

 1980年かr1981年にかけてはオーストラリア人シンガーDuffoのバックを務めたほか、1980年代にはロンドンのニコール・バークレー・バンドにも参加している。
 その後は
ニュージーランドを拠点として、オーストラリアでも活動。さらに1988年頃はオマーンに居を移し、「ラシッド・ゴーズ・トゥ・ニズワ」というバンドで演奏したほか、サウジアラビアなどでも音楽活動を行った。また、彼は陸軍に入隊していた時期もあったようである。
 2007年7月、ロンドンでゲイリー・ブルッカーとライヴを行っているが、これがブルッカーとの最後の共演となった。また、プロコル・ハルムのトリビュート・バンド「ザ・ペイラーズ」とも時々共演していた。
 2012年には、ソロアルバム「Don't Forget Your Alligator」をリリースしている。

 2015年4月1日、イングランドのスタッフォードシャー州バートン・アポン・トレントで、大腸ガンのため死去した。65歳の誕生日の2日後であった。


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ>
  2012年 Don't Forget Your Alligator

 <プロコル・ハルム>
 ☆1972年 プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ
      /Procol Harum Live in Concert with Edmonton Symphony Orchestra(UK48位, US5位)

 <ロング・ジョン・ボルドリー・バンド>
  1973年 Good to Be Alive

 <ベドラム>
  1973年 狂人どもの舞踏会/Bedlam

 <Duffo>
  1980年 The Disappearing Boy

 <レコーディング・セッション>
  *Jonathan Kelly
  1972年 Twice Around The Houses


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『ザ・ファースト・アルバム』『スタンド・ユア・グラウンド』(ワイルド・ホーシズ)

2025-02-18 14:05:23 | albums

            

ザ・ファースト・アルバム Coming Down Your  Way

【歌・演奏】
  ワイルド・ホーシズ/Wild Horses

【リリース】
  1980年4月14日

【録  音】
  1979年12月~1980年1月 
  コンク・スタジオ/Konk Studios(ロンドン)
  
【プロデューサー】
  トレヴァー・ラビン/Trevor Rabin
  ワイルド・ホーシズ/Wild Horses

【エンジニア】
  ジョン・ロロ/John Rollo

【レーベル】
  EMI/EMI Records

【収  録  曲】
  side : A(☆=シングル ②④⑧)
   ① レザヴェーション 3:47
     Reservation(Brian Robertson, Jimmy Bain)
  ☆② フェイス・ダウン (モッズたちへの哀歌) 3:30
     Face Down(Brian Robertson, Jimmy Bain)
     *1980年リリース
   ③ ブラックメイル 2:26
     Blackmail(Brian Robertson, Jimmy Bain)
  ☆④ フライ・アウェイ 3:33
     Fly Away(Jimmy Bain, Lynott)
     *1980年リリース
   ⑤ ディーラー 4:57
     Dealer(Brian Robertson, Jimmy Bain, Scott Gorham)
  side : B
   ⑥ ストリート・ガール 3:28
     Street Girl(Brian Robertson, Jimmy Bain)
   ⑦ 愛し続けて 3:56
     No Strings Attached(Brian Robertson, Jimmy Bain)
  ☆⑧ 誘惑の罠 3:47
     Criminal Tendencies(Brian Robertson, Jimmy Bain)
     *1979年リリース
   ⑨ 夜の逃避行 3:22
     Nights on the Town(Brian Robertson, Jimmy Bain)
   ⑩ ウーマン 4:02
     Woman(Brian Robertson, Jimmy Bain)

【録音メンバー】
 ◆ワイルドホーシズ
   ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson(electric-guitars, acoustic-guitars, bass④⑨, lead-vocals③⑨, backing-vocals)
   ニール・カーター/Neil Carter(electric-guitars, keyboards, backing-vocals)
   ジミー・ベイン/Jimmy Bain(bass①②③⑤⑥⑦⑧⑩, electric-guitars, acoustic-guitars, keyboards, lead-vocals①②④⑤⑥⑦⑧⑩, backing-vocals)
   クライヴ・エドワーズ/Clive Edwards(drums)

【チャート】
  1980年週間アルバム・チャート  イギリス38位

【メ  モ】
 ・ワイルド・ホーシズのファースト・アルバム。デビュー・シングルは⑧「誘惑の罠」。
 ・サード・シングル④「フライ・アウェイ」が日本でのデビュー・シングルである。シン・リジィのフィル・ライノットが作曲に加わっている。




ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ 


            

スタンド・ユア・グラウンド Stand Your Ground

【歌・演奏】
  ワイルド・ホーシズ/Wild Horses

【リリース】
  1981年5月

【録  音】
  グッド・アース・スタジオ/Good Earth Studio(ロンドン)
  メイソン・ルージュ・スタジオ/Maison Rouge Studio(ロンドン)
  
【プロデューサー】
  キット・ウールヴェン/Kit Woolven
  ジミー・ベイン/Jimmy Bain
  ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson

【エンジニア】
  キット・ウールヴェン/Kit Woolven

【レーベル】
  EMI/EMI Records

【収  録  曲】(☆=シングル ①)
  side : A
  ☆① アイル・ギヴ・ユー・ラヴ 
     I'll Give You Love(Jimmy Bain, Brian Robertson)
     *1981年リリース
   ② イン・ザ・シティ 
     In the City(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ③ アナザー・ラヴァー 
     Another Lover(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ④ バック・イン・ザ U.S.A. 
     Back in the U.S.A.(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ⑤ スタンド・ユア・グラウンド 
     Stand Your Ground(Jimmy Bain, Brian Robertson)
  side : B
   ⑥ 斧 4:18
     The Axe(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ⑦ マイアミ・ジャスティス 4:11
     Miami Justice(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ⑧ 大切な愛のために 3:32
     Precious(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ⑨ ニューヨーク・シティ 4:41
     New York City(Jimmy Bain, Brian Robertson)
   ⑩ ステイク・アウト
     Stake Out(Jimmy Bain, Brian Robertson)
        
【録音メンバー】
 ◆ワイルドホーシズ
   ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson(guitars, keyboards, backing-vocals)
   ジョン・ロックトン/John Lockton(guitars)
   ジミー・ベイン/Jimmy Bain(bass, guitars, keyboards, lead-vocals, backing-vocals)
   クライヴ・エドワーズ/Clive Edwards(drums)

【チャート】
  1981年週間アルバム・チャート  圏外

【メ  モ】
 ・ワイルド・ホーシズのセカンド・アルバム。このアルバムを最後に解散した。
 ・このアルバムからのファースト・シングルは①「アイル・ギヴ・ユー・ラヴ」。セカンド・シングルは、⑥「斧」とのカップリングで1981年にリリースされた「エヴァーラスティング・ラヴ」である。「エヴァーラスティング・ラヴ」はスタジオ・アルバムには収録されていないが、のちリイシュー盤に収録された。
 ・プロデュースを担当したキット・ウールヴェンは、ブライアン・ロバートソンがシン・リジィに在籍していた当時のレコーディング・エンジニアである。


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ディッキー・ベッツ

2025-02-17 14:27:52 | guitar

ディッキー・ベッツ Dickey Betts


 【出生名】
   フォレスト・リチャード・ベッツ/Forrest Richard Betts

 【パート】

   ギター、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1943年12月12日~2024年4月18日(80歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国フロリダ州ウェストパームビーチ

 【経 歴】
   オールマン・ブラザーズ・バンド/Allman Brothers Band 1969~1976
   ディッキー・ベッツ & グレート・サザン/Dickey Betts & Great Southern 1976~1978
   オールマン・ブラザーズ・バンド/Allman Brothers Band 1978~1982
   ベッツ・ホール・リーヴェル & トラックス 1982~1984
   オールマン・ブラザーズ・バンド/Allman Brothers Band 1989~2000
   ディッキー・ベッツ & グレート・サザン/Dickey Betts & Great Southern 2000~


 リチャード・ベッツ(通称ディッキー・ベッツ)は、オールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストとして著名なミュージシャンである。
 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」2003年版では58位、2011年改訂版では61位にランクされている。

 1943年12月12日、ベッツは
フロリダ州ウェストパームビーチで生まれ、その後ブレーデントンに移った。
 オールマン・ブラザーズ・バンドの最初期には短期間ジョージア州に住んでいたが、人生の大半はフロリダ州のサラソタ都市圏で過ごした。
 ベッツ家はブルーグラスやカントリー・ミュージックなどの音楽に親しんでおり、父はアマチュアのフィドル奏者だった。
 音楽好きな父の影響で、ベッツは5歳の時に楽器を弾き始める。まだ幼く手が小さかったため最初はウクレレ、その後マンドリン、バンジョー、ドラムなどを演奏するようになる。
 ブルーグラスやアイリッシュ・フォーク・ソングを好んで聴くようになっていたベッツがギターを弾き始めたのは10代の前半だった。当時はデュアン・エディーに憧れており、のちB.B. キングをはじめとするブルースに傾倒するようになる。16歳頃にはフロリダから東海岸、また中西部まで幅広くサーキットするようになり、いろいろなバンドで演奏した。
 その後フロリダ州ジャクソンヴィルに移住してベーシストのベリー・オークリーと知り合い、「セカンドカミング」というバンドを結成する。

 1969年、オークリーとともに参加したジャム・セッションで、新たなバンドを組むために才能あるミュージシャンを探していたデュアン・オールマンと出会う。ベッツとオークリーはデュアンと意気投合し、その直後「オールマン・ブラザース・バンド」の結成に参加。メンバーはベッツ(guitar)、オークリー(bass)、デュアン(guitar)のほか、グレッグ・オールマン(keyboard)、ブッチ・トラックス(drums)、ジェイモー(drums)の6人だった。
 ベッツとデュアンのツイン・リード・ギターはバンドの大きな看板で、特徴はその対等な位置関係にあった。これは従来のリード・ギターとリズム・ギターというツイン・ギターの概念を変えるものでもあった。のちにデレク & ドミノスの「いとしのレイラ」に客演して名声を得たデュアンは、「自分は有名なギタリストだが、ディッキーの方が良いギタリストだ」と語っている。
 キャプリコーン・レコードとの契約を得たバンドは、同年デビュー・アルバム「オールマン・ブラザーズ・バンド」を発表したが、これは全米チャート188位に終わった。翌70年にはセカンド・アルバム「アイドルワイルド・サウス」を発表し、これは全米38位に食い込んでいる。このアルバムの中で、ベッツは初期の名曲「リヴァイヴァル」と「エリザベス・リードの追憶」を書いており、ソングライターとしての能力も世に知られるところとなった。


左:デュアン・オールマン 右:ディッキー・ベッツ
 
 1971年、ライヴ・アルバム「アット・フィルモア・イースト」を発表。
 このアルバムによってオールマン・ブラザーズ・バンドの名は一挙に全米に知れ渡ることになる。バンドのみならずロック史上に残る不朽の名作と言われているこのアルバムの中で、最大の聴きどころとも言われている曲が、ベッツの作品「エリザベス・リードの追憶」である。この曲は、のちのフュージョンのはしりとも言われている。

 こうしてオールマン・ブラザーズは順調にスター・バンドへの道を進み始めたが、その矢先の1971年10月29日、デュアン・オールマンがオートバイ事故によって他界する。
 デュアンは花形ギタリストであったと同時にバンドのリーダーでもあり、文字通りバンドの支柱だった。バンドにとって、そのデュアンを失ったということは存亡の危機に立たされたということでもあった。ベッツはバンド内では最年長だったが、のち長男に「デュアン」と名付けるほどデュアンに対しては尊敬の念を抱いていたため、ベッツ自身も大きな喪失感を味わった。
 この緊急事態に新たなリーダーとなったのが、ギタリスト、ソングライター、リード・ヴォーカリストとしてバンドを支えていた他ならないベッツである。
 急遽大きな責任を負うことになったベッツであるが、豊かな音楽性と強力なリーダーシップをもってバンドを牽引し、解散の危機から救ったのである。
 デュアンの後任として迎えられたのは、ギタリストではなく、キーボード奏者のチャック・リーヴェルであった。そしてバンドは、製作途中だった「イート・ア・ピーチ」を完成させ、全米チャート4位に送り込んだ。
 このアルバムに収められている名曲「ブルー・スカイ」もベッツのペンによるものである。ベッツは当初グレッグ・オールマンにこの曲を歌ってもらおうとしたが、グレッグは「これは君の曲で、君らしく聞こえるし、君が歌う必要がある」と、ベッツに自分で歌うよう勧めたという。

 1972年10月にはニュー・アルバムのレコーディングが始まったが、その1ヵ月後の11月11日、今度はベリー・オークリー(bass)が死亡する。デュアン・オールマンが事故死してから約1年後のことで、またもやバイク事故であった。
 バンドにとって立て続けに起きた大きなアクシデントだったが、ベッツはこの時もリーダーシップを発揮して難局を乗り越え、改めてその存在の大きながクローズ・アップされた。
 制作途中だったアルバムは、1973年8月に「ブラザーズ & シスターズ」のタイトルでリリースされ、全米チャート1位の大ヒットを記録。このアルバムからは、ベッツが作詞作曲とボーカルを担当した「ランブリン・マン」がファースト・シングルとしてリリースされ、バンド史上最高の全米2位を記録した。続くセカンド・シングル「ジェシカ」もベッツのペンによるものであるが、この曲はベッツが彼の幼い娘ジェシカからイマジネーションを得て書いたものであり、今ではサザン・ロックを代表するインストゥルメンタルとしてロック・ファンに愛されている。
 ちなみに、「イート・ア・ピーチ」に収められている「ブルー・スカイ」とは、ベッツの最初の妻サンディのニックネームであり、ベッツとサンディのあいだに産まれたのがジェシカである。
 1974年にはカントリー・ロック色の濃いファースト・ソロ・アルバム「Highway Call」を発表している。



 オールマン・ブラザーズ・バンドは国民的人気バンドに成長したが、ベッツとグレッグ・オールマンとの間に生じた不協和音や、メンバー間の音楽的見解の相違がもとで、1976年に解散する。ベッツは「ディッキー・ベッツ & グレート・サザン」を結成、1977年にはファースト・アルバム「ディッキー・ベッツ & グレート・サザン」をリリースした。このアルバムに収録されている「ブーゲンヴィリア」は、のちにハリウッドのスター俳優となるドン・ジョンソンとの共作である。

 その後、グレッグ・オールマンから和解を求める提案があり、これがきっかけとなってオールマン・ブラザーズ・バンドは1979年に再結成し、アルバム「Enlightened Rogues」をリリースした。このときのラインナップは、ベッツ(vocal, guitar)のほか、グレッグ・オールマン(vocal, keyboards)、ダン・トーラー(guitar)、デヴィッド・ゴールドフライズ(bass)、ブッチ・トラックス(drums)、ジェイモー(drums)である。
 その後、何度かメンバー交代が行われたが、人気やレコードのセールスは全盛期ほどではなく、それに加えてマネージメント上の問題もあり、バンドは1982年に再び解散した。

 ベッツは新たなバンド「ベッツ・ホール・リーヴェル & トラックス」(以下BHL&T)を結成する。メンバーは、ベッツのほかブッチ・トラックス、チャック・リーヴェル、デヴィッド・ゴールドフライズ、元ウェット・ウィリーでヴォーカル、サックス、ハーモニカを担当していたジミー・ホール、そしてベッツとトラックスが発掘したヴァイオリニスト兼ギタリスト、ダニー・パークス(violin, guitar)の計6人であった。
 BHL&T
はレコード契約を結ぶことができなかったため、1984年に解散したが、ベッツは後年「BHL&Tは、なかなかいいバンドだった」と語っているほか、リーヴェルも「最高のバンドだった」と回想している。
 BHL&Tのライヴ音源はいくつか残されており、ヴァージニア州ロアノークでのライヴが2016年になって「Live at the Coffee Pot 1983」のタイトルでリリースされている。
 解散後のベッツはディッキー・ベッツ・バンドを結成し、ソロとしての活動を開始した。1989年にはアルバム「Pattern Disruptive」をリリースしている。

 1989年、オールマン・ブラザーズ・バンドのデビュー20周年を記念して、ボックス・セット「Dreams」がリリースされた。このプロモーションとして、バンドの一度限りの再結成ツアーの計画が提案され、ベッツは自身のバンドのメンバーであるウォーレン・ヘインズとともに参加した。
 この一度限りのツアーは成功裡に終わり、これがきっかけとなってバンドは再々結成した。1990年から1994年の間に3枚のスタジオ・アルバムをリリースした。
 1991年にはオールマン・ブラザーズ・バンドの初来日公演で来日。
 1995年、オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・メンバーとしてロックの殿堂入りを果たす。また1996年にはバンドと共に「ジェシカ」でグラミーの最優秀ロックパフォーマンス賞を受賞している。
 しかし1990年代以降のベッツはアルコールへの依存が深刻化していた。そのうえもともと気性が激しく、この頃も警官への暴力で逮捕されるなど、私生活が次第に荒れてゆく。
 1990年代中頃から後半にかけて、ベッツは「個人的な理由」によってオールマン・ブラザーズ・バンドのツアーに何度か参加しなかった。
 2000年5月7日、ジョージア州アトランタで「ミュージック・ミッドタウン・フェスティヴァル」が行われたが、これがベッツがオールマン・ブラザーズ・バンドの一員として演奏した最後のコンサートになった。このフェスティヴァルが終わり、バンドが夏のツアーを開始する前に、ベッツはグレッグ・オールマン、ブッチ・トラックス、ジェイモーから解雇通知を受けた。3人はベッツに「アルコールや薬物と手を切る」よう伝えたという。その後、今度はベッツがこの3人に対して訴訟を起こしたため、ベッツとバンドの間には決定的な溝が生じ、これ以降ベッツはバンドに復帰することはなかった。
 なおベッツの後任は、ブッチ・トラックスの甥、デレク・トラックスである。

 その後ベッツは「ディッキー・ベッツ・バンド」を再結成し、のちバンド名を再び「ディッキー・ベッツ & グレート・サザン」に改め、息子のデュアン・ベッツ(guitar)をメンバーに加えた。
 ベッツの最後のアルバムは、2021年に発表された2枚組ライヴ・アルバム「Official Bootleg Vol. 1」である。このアルバムには2000年代のディッキー・ベッツ & グレート・サザンのパフォーマンスが収録されている。



 ベッツはデュアン・オールマンを敬愛していたが、弟のグレッグとの折り合いは良いものだとは言えなかった。オールマン・ブラザーズ・バンドからの3度の脱退の理由のなかにはグレッグとの不和があった。
 2000年にバンドから離れた後、グレッグとの交流は全く途絶えていたが、グレッグが2017年に亡くなる前にふたりは和解している。その翌年には(2018年)、ベッツの息子のデュアン・ベッツ、グレッグ・オールマンの息子デヴォン・オールマン、ベリー・オークリーの息子ベリー・デュアン・オークリーが「オールマン・ベッツ・バンド」を結成、話題になった。

 2018年8月、ベッツは軽度の脳卒中になり、ディッキー・ベッツ・バンドのツアーをキャンセルした。同年9月20日、脳の腫れを和らげる手術が成功し、以後療養生活を送っていた。
 2024年4月18日、フロリダ州オスプレイの自宅で癌と慢性閉塞性肺疾患のため、80歳で亡くなった。

 ベッツのギターは「不世出の天才」とも言われたデュアン・オールマンにひけを取らない素晴らしいものであった。
 1957年製ギブソン・ゴールド・トップがベッツのメイン・ギターで、彼の代名詞でもある。ベッツはこのギターに「ゴールディ」と名付けて愛用していた。1980年代後半以降は、おもにポール・リード・スミスを使っていた。
 ベッツのギター・プレイの根底はブルースである。またバンド・メイトだったジェイモーがジャズの造詣に深かったことからその影響を受け、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンに傾倒した時期もある。マイルスの「オール・ブルース」に影響を受けていることも公言している。長尺のソロや、「エリザベス・リードの追憶」に見られるジャズ、あるいはフュージョンよりの作風などは、ジャズから得たエッセンスの現れであろう。さらに、そういったベッツの作風は、オールマン・ブラザーズ・バンドの音楽性の幅を広げることに貢献したと言える。またスライド・ギターの名手としても知られている。
 その後はカントリー音楽からの影響が顕著になり、メロディアスなベッツの演奏は、のちのサザン・ロック系のギタリストに大きな影響を与えた。またヴォーカルも、オールマン・ブラザーズ・バンドではグレッグ・オールマンがブルース系の曲を、ベッツがカントリー系の曲を担当していた。

 キャメロン・クロウ監督による2000年の映画「あの頃ペニー・レインと」の劇中に、ビリー・クラダップ演ずるロック・スター「ラッセル・ハモンド」が登場するが、ラッセルのルックスを含めた役作りは、クロウ監督によるとディッキー・ベッツへのオマージュだということである。 


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ>
  1974年 Highway Call(US19位)※本名のリチャード・ベッツ名義
  1982年 Nights
 ★2006年 
Bougainvillea's Call:The Very Best of Dickey Betts 1973–1988
 ☆2018年 Live from the Lone Star Roadhouse

 <オールマン・ブラザーズ・バンド>
  1969年 オールマン・ブラザーズ・バンド/The Allman Brothers Band(US188位)
  1970年 アイドルワイルド・サウス/Idlewild South(US38位)
 ☆1971年 フィルモア・イースト・ライヴ/At Fillmore East(US13位)
  1972年 イート・ア・ピーチ/Eat A Peach(US4位)
  1973年 ブラザーズ & シスターズ/Brothers and Sisters(US1位, UK42位)
 ★1973年 Beginnings(US25位)
  1975年 ウィン、ルーズ・オア・ドロウ/Win, Lose or Draw(US5位)
 ★1975年 The Road Goes On Forever(US43位)
 ☆1976年 熱風/Wipe the Windows, Check the Oil, Dollar Gas(US75位)
  1979年 いま、再び/Enlightended Rogues(US9位)
  1980年 リーチ・フォー・ザ・スカイ/Reach for the Sky(US27位)
  1981年 ブラザーズ・オブ・ザ・ロード/Brothers of the Road(US44位)
 ★1981年 The Best of the Allman Brothers Band
 ★1989年 Dreams(US103位)
  1990年 セヴン・ターンズ/Seven Turns(US53位)
  1991年 シェイズ・オブ・トゥ・ワールズ/Shades of Two Worlds(US85位)
 ★1991年 A Decade of Hits 1969=1979(US39位)
 ☆1992年 アン・イヴニング・ウィズ・ジ・オールマン・ブラザーズ・バンド~ファースト・セット
       /An Evening with the Allman Brothers Band:First Set(US80位)
  1994年 ホエア・イット・オール・ビギンズ/Where It All Begins(US45位)
 ☆1995年 An Evening with the Allman Brothers Band:2nd Set(US88位)
 ☆2000年 ピーキン・アット・ザ・ビーコン/Peakin' at the Beacon

 <ディッキー・ベッツ & グレート・サザン>
  1977年 
Dickey Betts & Great Southern(US31位)
  1978年 Atlanta's Burning Down(US157位)
  2002年 The Collectors #1
  2004年 Instant Live:The Odeon – Cleveland, OH 3/09/04
 ☆2006年 The Official Bootleg
 ★2010年 Rockpalast: 30 Years of Southern Rock (1978–2008)
 ☆2019年 Official Bootleg Vol.1

 <ベッツ, ホール, リーヴェル & トラックス>
 ☆2016年 Live at the Coffee Pot 1983

 <ディッキー・ベッツ・バンド>
  1989年 Pattern Disruptive(US187位)
  2001年 Let's Get Together
 ☆2019年 Ramblin' Man:Live at the St. George Theatre


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『リザード』(キング・クリムゾン)

2025-02-12 14:46:18 | albums

リザード Lizard


【歌・演奏】
  キング・クリムゾン/King Crimson

【リリース】
  1970年12月11日


【録音】
  1970年8月~9月 ウェセックス・サウンド・スタジオ(イングランド ロンドン)
  

【プロデューサー】
  ロバート・フリップ/Robert Fripp
  ピート・シンフィールド/Pete sinfield

【エンジニア】
  ロビン・トンプソン/Robin Thompson

【レーベル】
  アイランド/Island Records(UK, Europe)
  アトランティック/Atlantic Records(US)


【収録曲】
 side : A
  ① サーカス-カメレオンの参上 6:29
    Cirkus (including "Entry of the Chameleons")(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
  ② インドア・ゲイムズ 5:40
    Indoor Games(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
  ③ ハッピー・ファミリー 4:17
    Happy Family(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
  ④ レディ・オブ・ザ・ダンシング・ウォーター 2:44
    Lady of the Dancing Water(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
 side : B
  ⑤ リザード
    Lizard
   (a) ルーパート王子のめざめ 4:35
        Prince Rupert Awakes(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
   (b) ピーコック物語のボレロ 6:36
        Bolero-the Peacock's Tale(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
   (c) 戦場のガラスの涙 11:03
        The Battle of Glass Tears(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)
       (i)  夜明けの歌
       Dawn Song
    (ii)  最後の戦い
       Last Skirmish
    (iii) ルーパート王子の嘆き
       Prince Rupert's Lament
   (d) ビッグ・トップ 1:10
         Big Top(words : Pete Sinfield music : Robert Fripp)

【録音メンバー】
 <キング・クリムゾン>
   ロバート・フリップ/Robert Fripp(electric-guitar, acoustic-guitar①②④, mellotron①②⑤, pianet①②④, organ②, VCS3③, devices, production)
   ゴードン・ハスケル/Gordon Haskell(bass, vocals)
   メル・コリンズ/Mel Collins(saxophone, flute)
   アンディ・マカロック/Michael Giles(drums)
   ピート・シンフィールド/Pete sinfield(words, VCS3②③, sleeve-conception, production)
 <ゲスト・ミュージシャン>
   ジョン・アンダーソン/John Anderson(vocals⑤-(a))
   キース・ティペット/Keith Tippett(acoustic-piano, electric-piano)
   マーク・チャリグ/Mark Charig(cornet)
   ニック・エヴァンス/Nick Evans(trombone)
   ロビン・ミラー/Robin Miller(oboe, english-horn)

【チャート】
 1971年週間アルバム・チャート  イギリス26位 アメリカ(ビルボード)113位 カナダ60位 オーストラリア19位

【メ  モ】
 ・キング・クリムゾンのサード・アルバム。タイトルの「Lizard」の意味は「トカゲ」。
 ・前作「ポセイドンのめざめ」にゲストとして参加していたゴードン・ハスケル、メル・コリンズのふたりに加え、アンディ・マカロックが本作から新メンバーとしてクレジットされている。
 ・「ポセイドンのめざめ」にも参加したキース・ティペッツが、自己のグループからマーク・チャリグとニック・エヴァンスを引き連れて本作にも参加している。
 ・⑤(a)「ルーパート王子のめざめ」のヴォーカルはイエスのジョン・アンダーソン。当時イエスは脱退したピーター・バンクス(guitar)の後任を探しており、アンダーソンがロバート・フリップをイエスに誘ったところ、逆に「君がキング・クリムゾンに入れよ」と言われ、それに応える形で本作にゲスト参加したという。
 ・キング・クリムゾンは本作のリリース直後にツアーのリハーサルを開始したが、その初日にゴードン・ハスケルが脱退、続いてアンディ・マカロックもバンドから離れたため、ツアーは全てキャンセルされた。急遽行われた新メンバーのオーディションの結果、ボズ・バレル(vocal, bass)とイアン・ウォーレス(drums, vocal)が後任に選ばれた。

 


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『カミング・ダウン・ユア・ウェイ』『アメリカ回顧録』(スリー・ドッグ・ナイト)

2025-02-11 02:14:04 | albums

           

カミング・ダウン・ユア・ウェイ Coming Down Your  Way

【歌・演奏】
  スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night

【リリース】
  1975年3月1日

【録  音】
  
  
【プロデューサー】
  ジミー・イエナー/Jimmy Ienner

【エンジニア】
  カーマイン・ルビノ/Carmine Rubino
  シェリー・ヤクス/Shelly Yakus

【レーベル】
  ABC/ABC Records

【収  録  曲】
  side : A(☆=シングル ①)
  ☆① ティル・ザ・ワールド・エンズ 3:31
     Till the World Ends(Dave Loggins)
     *1975年シングル・チャート US32位
   ② 帽子はそのままで 4:11
     You Can Leave Your Hat On(Randy Newman)
   ③ グッド・オールド・フィーリング 3:09
     Good Old Feeling(Kent Sprague, Gary Stovall)
   ④ マインド・オーヴァー・マター 2:56
     Mind Over Matter(Allen Toussaint)
   ⑤ ミッドナイト・フライヤー 4:33
     Midnight Flyer (El Wheeler) (Frank "Skip" Konte)
  side : B
   ⑥ カイト・マン 3:37
     Kite Man(Bonnie Spirit, Jay Gruska)
   ⑦ カミング・ダウン・ユア・ウェイ 3:09
     Comng Down Your Way(Jack Lynton)
   ⑧ ホエン・イッツ・オーヴァー 3:37
     When It's Over(Jeff Barry)
   ⑨ リーン・バック 3:50
     Lean Back, Hold Steady(Daniel Moore)
   ⑩ ヨ・テ・キエロ・アブラール 3:11
     Yo Te Quiero Hablar (Take You Down)(Gregory Grandillo)

【録音メンバー】
 ◆スリー・ドッグ・ナイト
   コリー・ウェルズ/Cory Wells(lead-vocals①②③⑨, background-vocals①③④⑤⑥⑦⑧⑩)
   チャック・ネグロン/Chuck Negron(lead-vocals⑦⑧⑩, background-vocals①③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩)
   ダニー・ハットン/Danny Hutton(lead-vocals④⑤⑥, background-vocals①③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩)
   マイケル・オールサップ/Michael Allsup(electric-guitar③④⑤⑧⑩, acoustic-guitar⑤⑩, all-guitars①②⑦)
   ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(piano①②③④⑤⑦⑨⑩, electric-piano⑤, clavinet③, organ③④⑥, synthesizer⑥, string-ensemble①)
   スキップ・コンテ/Skip Konte(organ①②③⑤⑦⑧⑨, clavinet③⑥, synthesizer①⑧⑩, chamberlin①⑥⑧, string-ensemble⑤)
   ジャック・ライランド/Jack Ryland(bass①②③⑤⑩)
   デニス・ベルフィールド/Dennis Belfield(bass④⑥⑦⑧⑨)
   フロイド・スニード/Floyd Sneed(drums①②③④⑤⑦⑧⑨⑩)
   ミッキー・マクミール/Mickey McMeel(drums③⑥, percussions①②③④⑥⑦⑨⑩)
 ◆ゲスト・ミュージシャン
   ベン・ベナイ/Ben Benay(rhythm-guitar③, electric-guitar④⑨, acoustic-guitar⑧⑩)
   ロン・ストッカート/Ron Stockert(electric-piano①)
   ヴィクター・フェルドマン/Victor Feldman(marimba⑩, vibraphone⑩)
   ゲイリー・ジアンブローニ/Gary Giambroni(harp⑩)
   チャック・フィンドリー/Chuck Findley(trumpet⑩, slide-trumpet②)
   ダルトン・スミス/Dalton Smith(trumpet⑩)
   アーニー・ワッツ/Ernie Watts(sax solo⑦)
   ウィリアム・パーキンス/William Perkins(baritone-sax④)
   ジミー・イエナー/Jimmy Ienner(conga⑩, background-vocals④)
   ジョージ・ピエール/George Pierre(conga⑥)
   ジェイ・グルスカ/Jay Gruska(background-vocals⑥)

【チャート】
  1975年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)70位 日本78位 カナダ27位

【メ  モ】
 ・スリー・ドッグ・ナイト通算13枚目、スタジオ・アルバムとしては9枚目のアルバム。
 ・オリジナル・メンバーのマイケル・オールサップとフロイド・スニードが1974年末に脱退しており、これがふたりの参加した最後のアルバムとなった。
 ・このアルバムは、当初は「Dog Style」という仮タイトルが付けられていた。変更された理由は不明である。
 ・①「ティル・ザ・ワールド・エンズ」はシングルとしてリリースされており、「愛は幻に消えて」という邦題が付けられている。

ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ 

            

アメリカ回顧録 American Pastime

【歌・演奏】
  スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night

【リリース】
  1976年3月

【録  音】
  ABC レコーディング・スタジオ/ABC Recording Studio
  クアンタム・レコーディング・スタジオ/Quantum Recording Studio
  
【プロデューサー】
  ボブ・モナコ/Bob Monaco

【エンジニア】
  ハワード・ゲイル/Howard Gale
  スコット・スペイン/Scott Spain
  トニー・シャーロッタ/Tony Sciarrotta

【レーベル】
  ABC/ABC Records

【収  録  曲】(☆=シングル ①)
  side : A
  ☆① 美しき人々 2:45
     Everybody's a Masterpiece(George Clinton, Richard Ira Reicheg)
     *1976年5月リリース USアダルト・コンテンポラリー・チャート44位
   ② イージー・イーヴル 3:38
     Easy Evil(Alan O'Day)
   ③ ビリー・ザ・キッド 3:41
     Billy the Kid(Billy Lawrie, Marie Lawrie)
   ④ 青春の日々 3:00
     Mellow Down(Andy Fairweather-Low)
   ⑤ 黄色いビーチ・パラソル 4:56
     Yellow Beach Umbrella(Craig Doerge, Judy Henske)
  side : B
   ⑥ ハング・オン 4:18
     Hang On(Jay Gruska, Jeffrey Spirit)
   ⑦ サウスバウンド 4:11
     Southbound(Hoyt Axton, Mark M. Dawson)
   ⑧ ドライヴ・オンライド、ライド・オン 3:32
     Drive On, Ride On(Dobie Gray, Troy Harold Seals)
   ⑨ ダンス・ザ・ナイト・アウェイ 4:41
     Dance the Night Away(Bob Carpenter, David James Holster)
        
【録音メンバー】
 ◆スリー・ドッグ・ナイト
   コリー・ウェルズ/Cory Wells(lead-vocals, background-vocals)
   チャック・ネグロン/Chuck Negron(lead-vocals, background-vocals)
   ジェイ・グルスカ/Jay Gruska(lead-vocals, background-vocals)
   アル・シナー/Al Ciner(guitars)
   ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(keyboards)
   スキップ・コンテ/Skip Konte(keyboards, synthesizer, chamberlin)
   デニス・ベルフィールド/Dennis Belfield(bass)
   ミッキー・マクミール/Mickey McMeel(drums)
 ◆ゲスト・ミュージシャン
   ダン・ファーガスン/Dan Ferguson(electric-guitar)
   ロン・ストッカート/Ron Stockert(keyboards, synthesizer-bass)
   エド・グリーン/Ed Greene(drums)
   ジェフ・ポーカロ/Jeff Porcaro(drums)
   ギャビン・クリストファー/Gavin Christopher(conga)
   ダニー・ハットン/Danny Hutton(lead-vocals, background-vocals)※クレジットのみ。1975年末に脱退しており、レコーディングには参加していない。

【チャート】
  1976年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)123位

【メ  モ】
 ・スリー・ドッグ・ナイトの通算14枚目(ベスト・アルバム含む)、スタジオ録音としては10枚目のアルバム。このアルバムを最後に、スリー・ドッグ・ナイトは解散した。
 ・ルーファスとの仕事で知られるボブ・モナコを新たなプロデューサーに迎え、新たな方向性を模索した作品である。
 ・④「青春の日々」はダニー・ハットンがリード・ヴォーカルを取っているが、彼は1975年末に解雇されており、レコーディングには一切参加していない。この曲は以前のアルバムの制作時に録音されたものだと言われている。なおハットンの後任にはジェイ・グルスカが迎えられた。


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ワイルド・ホーシズ

2025-02-10 17:08:39 | band

ワイルド・ホーシズ Wild Horses


【活動期間】
  1978年~1981年

【メンバー】
 <Guitars, Keyboards>
  ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
  ジミー・マカロック/Jimmy McCulloch(guitars) 在籍1978
  ニール・カーター/Neil Carter(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1980
  ジョン・ロックトン/John Lockton(guitars) 在籍1980~1981
  ローレンス・アーチャー/Laurence Archer(guitars) 在籍1981
 
 <Bass>
  ジミー・ベイン/Jimmy Bain(bass, guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
  
 <Drums>
  ケニー・ジョーンズ/Kenney Jones(drums) 在籍1978
  ディキシー・リー/Dixie Lee(drums) 在籍1978~1979
  クライヴ・エドワーズ/Clive Edwards(drums) 在籍1979~1981
  フランク・ヌーン/Frank Noon(drums) 在籍1981

 <vocals>
  リューベン・アーチャー/Reuben Archer(vocals) 在籍1981
 

【バンドの歴史】
 「ワイルド・ホーシズ」は、1977年2月に「レインボー」を解雇されたジミー・ベイン(bass)と、1978年に「シン・リジィ」を脱退したブライアン・ロバートソン(guitar)が中心になって、1978年に結成されたバンドである。
 ベインとロバートソンのふたりに、ウイングスを経てスモール・フェイセスに在籍していたジミー・マカロック(guitar)と、元フェイセス~スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズ(drums)が加わったこのバンドは、「スーパー・グループ」として一部では注目されたものの、数ヵ月後には早々とマカロックが、さらにはジョーンズも脱退してしまう。
 マカロックとジョーンズの後任としては、元ギルバート・オサリヴァン・バンドのニール・カーター(guitar, keyboard)と、元ローン・スターのディキシー・リー(drums)が加わった。

 ラインナップが固まったワイルド・ホーシズは地道なライヴ活動を行っていたが、1979年にレディング・フェスティヴァルに出演する機会を得、その後EMIと契約を結ぶことに成功した。
 その後今度はリーが脱退し、後釜として元パット・トラヴァース・バンドやウルリッヒ・ロート&エレクトリック・サンのドラマーだったクライヴ・エドワーズが迎えられた。
 1980年、トレヴァー・ラビンのプロデュースにより、ファースト・アルバム「ワイルド・ホーシズ」とデビュー・シングル「誘惑の罠」を発表。このアルバムは全英チャートで38位まで上昇したが、シングルはチャート・インを果たせず、思ったほどの結果は残せなかった。
 ワイルド・ホーシズは、おりしも1970年代終盤に起きたNWOBHMブームによる追い風を受けたとも言え、とくに日本では「アイアン・メイデン」「デフ・レパード」「ガール」とともに「ヘヴィ・メタル四天王」として紹介された。しかしその音楽性は、ブライアン・ロバートソンのブルージーなギターを活かしたややポップなハード・ロックで、いわゆるヘヴィ・メタルとは方向が異なるものだった。
 
 その後、バンドはテッド・ニュージェントとイギリス・ツアーを行ったが、ツアー終了後の1980年8月にニール・カーターが脱退し、「UFO」に参加する。
 カーターの後任として参加したのは元レッド・アラートのジョン・ロックトン(guitar)である。この編成での初めてのライヴは、1980年秋の日本ツアーである。
 1981年春にはセカンド・アルバム「スタンド・ユア・グラウンド」をリリースしたが、セールスは全く振るわず、これに失望したロバートソンとエドワーズは1981年6月のロンドン公演を最後に脱退する。ロバートソンはその後モーターヘッドに、エドワーズは「バーニー・マースデンズ S.O.S.」に加入している。

 バンドの一方の柱であるロバートソンを失ったベインは、残ったロックトンのほかに、元ロートレックのローレンス・アーチャー(guitar)と彼の継父であるルーベン・アーチャー(vocal)、そしてロックトンのレッド・アラート時代のバンドメイトで、初期のデフ・レパードにも在籍したことのあるフランク・ヌーン(drums)を迎えて新たなラインナップを整えた。
 このメンバーで数度のライヴを行いはしたが、数か月後には
アーチャー親子とヌーンは自分たちのバンド「スタンピード」を結成するため脱退し、ワイルド・ホーセズはついにバンドとしての終焉を迎えた。
 解散後、ベインはレインボーでバンドメイトだったロニー・ジェイムズ・ディオのバンド「ディオ」に加入する。ロックトンはドイツのハードロックバンド「ヴィクトリー」に加入し、1986年まで在籍した。


 2014年になって、1980年10月29日の東京中野サンプラザでのライヴを録音したアルバム「Live In Japan 1980」がKrescendoから海賊版品質で発売されている。


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <アルバム>
  1980年 ザ・ファースト・アルバム/Wild Horses(UK38位)
  1981年 スタンド・ユア・グラウンド/Stand Your Ground
 ☆2014年 Live In Japan 1980

 <シングル>
  1979年 誘惑の罠/Criminal Tendencies
  1980年 フェイス・ダウン (モッズたちへの哀歌)/Face Down
  1980年 フライ・アウェイ/Flyaway
  1981年 I'll Give You Love
  1981年 I'll Give You Love / The Kid(Double single pack)
  1981年 Everlasting Love


【メンバー変遷】
#1  1978
   ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
   ジミー・マカロック(guitars)
   ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
   ケニー・ジョーンズ(drums)

#2 1978~1979
   ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
   ニール・カーター(guitars)
   ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
   ディキシー・リー(drums)

#3 1979~1980
   ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
   ニール・カーター(guitars, keyboards, vocal)
   ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
   クライヴ・エドワーズ(drums)

#4 1980~1981
   ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
   ジョン・ロックトン(guitars)
   ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
   クライヴ・エドワーズ(drums)

#5 1981
   ルーベン・アーチャー(vocal)
   ジョン・ロックトン(guitar)
   ローレンス・アーチャー(guitar)
   ジミー・ベイン(bass)
   フランク・ヌーン(drums)


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シャイ・リムズ

2025-02-08 11:18:44 | band

シャイ・リムズ Shy Limbs

活動期間】
  1968年~1969年

【メンバー】
  グレッグ・レイク/Greg Lake(guitars, vocals)在籍1968
  ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboards, vocals)在籍1968~1969
  マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocals)在籍1968~1969
  アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)在籍1969
  トニー・スウォード/Tony Sword(vocals, bass)在籍1969
  アンディ・マカロック/Andy McCulloch(drums)在籍1968~1969
 

【バンドの歴史】
 「シャイ・リムズ」はドーセット州ボーンマスで1968年9月に結成されたバンドである。
 グレッグ・レイクキング・クリムゾン加入直前まで参加していたバンドとして知られている。
 バンド名は、直訳すると「恥ずかしがる手足」という意味になる。

 オリジナル・メンバーは、グレッグ・レイク(guitar, vocal)、ジョン・ディッケンソン(keyboard)、マルコム・ブラッシャー(bass)、アンディ・マカロック(drums)の4人で、サイケデリックなポップ・ロックを演奏していた。
 レイクは「ザ・シェイム」を経て「ゴッズ」に参加したのちにシャイ・リムズを結成したが、ディッケンソンとブラッシャーはザ・シェイム時代のバンド・メイトである。マカロックは当時ドーセット州で活動していたドラマーで、メンバー全員がボーンマス出身であった。

 1968年10月、デビュー・シングル「Reputation」をリリース。このB面に収められている「Love」のレコーディングには、ロバート・フリップ(guitar)が参加している。
 1968年11月に、キング・クリムゾン結成のためにレイクが離脱し、その後シャイ・リムズはトリオ編成で活動を続ける。
 1969年にはアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)が新たに加わり、またベースがトニー・スウォードに交替した。この年11月にはセカンド・シングル「Lady In Black」をリリースしたが、これと前後して解散した。

 解散後、アンディ・マカロックは「Jacob’s Ladder」を経て、1970年にキング・クリムゾンのメンバーとなる。アラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)は、1971年にグラハム・フィールド(keyboard)、キング・クリムゾンを脱退したマカロックとともに「フィールズ」の結成に参加。
 ジョン・ディッケンソン(keyboard, vocal)は1976年にドラムレスのロック・トリオ「キング・ハリー」を結成したが、このバンドのメンバーはフィールズ脱退後のアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)と、1960年代にロバート・フリップやゴードン・ハスケルらと「リーグ・オブ・ジェントルメン」を組んでいたティノ・リチニオ(guitar, bass, vocal)である。



【ディスコグラフィ】
 <シングル>
   1969年 5月 Reputation c/w Love
   1969年11月 Lady In Black c/w Trick Or Two 

【メンバー変遷】
#1  1968~1969
   グレッグ・レイク/Greg Lake(vocal, guitar)←ex. Gods →King Crimson
   ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
   マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
   アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)

#2  1969
   ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
   マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
   アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)

#3 1969
   ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)→The Bournemouth
   アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)※別名Alan Barry →Fields
   トニー・スウォード/Tony Sword(vocal, bass)
   アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)→Jacob's Ladder 


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ジミー・マカロック

2025-02-06 01:31:34 | guitar

ジミー・マカロック James 'Jimmy' McCulloch


 【出生名】
   ジェームス・マカロック/James McCulloch

 【パート】

   ヴォーカル、ギター、ベース

 【生没年月日】
   1953年6月4日~1979年9月25日(26歳没)

 【出生地】
   スコットランド ダンバートン

 【経 歴】
   ザ・ジェイガーズ/The Jaygars(1964~1966)
   ワン・イン・ア・ミリオン/One in a Million(1966~1968)
   サンダークラップ・ニューマン/Thunderclap Newman(1969~1971)
   ベント・フレーム/Bent Frame(1971)
   ジミー・マカロック・バンド/Jimmy McCulloch Band(1971~1972)
   ストーン・ザ・クロウズ/Stone The Crows(1972~1973)
   ブルー/Blue(1973)
   ウイングス/Wings(1974~1977)
   ホワイト・ライン/White Line(1976)
   スモール・フェイセス/Small Faces(1977~1978)
   ワイルド・ホーシズ/Wild Horses(1978)
   デュークス/The Dukes(1979)


 ジミー・マカロックは、スコットランド出身のギタリスト。ポール・マッカートニーのバンド「ウィングス」のリード・ギタリストだったことで知られている。
 実兄のジャック・マカロックはドラマーで、ワン・イン・ア・ミリオンやジミー・マッカロック・バンド、ホワイト・ラインでバンド・メイトだった。


デビュー ~ ワン・イン・ア・ミリオン
 マカロックはスコットランドのダンバートンに生まれ、クライドバンクに移り、のちグラスゴー近くのカンバーノールドで育った。
 ジャンゴ・ラインハルトに影響されたマカロックは11歳のときにギターを弾き始め、その年には兄ジャックらと「ザ・ジェイガーズ」というバンドを結成する。ジェイガーズはその後「ワン・イン・ア・ミリオン」と改名し、サイケデリック・ロック・バンドとして活動した。
 1967年4月、マカロックはロンドンのアレクサンドラ・パレスで行われた「The 14 Hour Technicolour Dream」というイヴェントに、弱冠13歳10ヵ月の若さで出演。このイヴェントにはザ・フーをはじめ当時の人気バンドが参加していた。また彼はワン・イン・ア・ミリオンのギタリストとしてロンドン市内の他の会場でも演奏した。
 この年、ワン・イン・ア・ミリオンはザ・フーのスコットランド・ツアーにサポート・バンドとして同行したほか、「Use Your Imagination」と「Fredereek Hernando」の2枚のシングルをリリースしている。

サンダークラップ・ニューマン ~ ジミー・マッカロック・バンド
 1969年、マカロックはザ・フーのピート・タウンゼントの友人で作曲家のジョン・”スピーディ”・キーン(vocal, drums)、タウンゼントのアート・カレッジ時代の学友だったアンディ・"サンダークラップ"・ニューマン(piano)とともに、「サンダークラップ・ニューマン」を結成する。なおツアーにおけるサポート・メンバーとして、兄のジャック・マカロックが参加している。
 彼らは同年5月にシングル「サムシング・イン・ジ・エアー」を発表する。このシングルは、ピート・タウンゼントがプロデュースを担当するとともに、「Bijou Drains」の変名でベースも弾いている。
 この曲がスタジオでミックス・ダウンを終えた時、エンジニアがテーブルを叩きながら「これは1位になる曲だ」と叫んだという話が残っており、それを証明するように同年7月には全英シングル・チャート1位を記録した。これによって、当時15歳だったマカロックは「全英1位となった曲で演奏した最年少ギタリスト」となった。またタウンゼント自身にとっては、プロデューサーとして、そしてミュージシャンとして唯一の全英1位である。
 サンダークラップ・ニューマンは引き続きタウンゼントをプロデューサーに迎え、1970年にデビュー・アルバム「ハリウッド・ドリーム」を発表した。これはマカロックの、ギタリストそしてソングライターとしての出発点とも位置付けられるアルバムである。
 バンドは1971年1月から4月中旬にかけてイングランド、スコットランド、オランダ、スカンジナビアでツアーを行なったが、その数週間後には解散した。

 1971年10月、マカロックはイギリスとドイツで行われたジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのライヴにギタリストとして参加した後、同年秋には兄ジャックと新たなバンド「ベントフレーム」を結成する。彼らは10月31日にロンドンでデビュー・ステージを踏み、間もなく「ジミー・マカロック・バンド」と名を改めた。1972年2月にはマウンテンのサポートとしてイングランドとスコットランドでツアーを行なっているが、1972年5月に解散した。
 この頃のマカロックはすでにセッション・ギタリストとしても引っ張りだこであり、1972年にはジョン・エントウィッスルのセカンド・ソロ・アルバム「風の詩」の録音に招かれ、ピーター・フランプトンとともに「エプロン・ストリングス」と「アイ・フィール・ベター」の2曲でリード・ギターを弾いている。そのほかクラウス・フォアマン、ハリー・ニルソン、スティーヴ・エリスらのセッションにも参加している。
 マカロックのギターはブルースから大きな影響を受けており、流麗でメロディックなフレーズが特徴である。おもにギブソンSG、あるいはギブソン・レスポールやギブソン・ファイヤーバードなどを使用していた。



ストーン・ザ・クロウズ
 1972年6月、マカロックはスコットランドのバンド「ストーン・ザ・クロウズ」に加入する。
 ストーン・ザ・クロウズは、「英国のジャニス・ジョプリン」とも言われたマギー・ベル(vocal)を擁するブルース・バンドであるが、同年5月にギタリストのレスリー・ハーヴェイがステージ上の感電事故で死亡したため、存続の危機に立たされていた。マカロックはその後任としてバンドに迎え入れられたのである。
 マカロックはさっそく制作途中だったアルバム「オンティニュアス・パフォーマンス」の録音に加わり、「Sunset Cowboy」と「Good Time Girl」でギターを担当した。しかしストーン・ザ・クロウズは、翌1973年6月に解散した。

 1973年には、サンダークラップ・ニューマン時代のバンドメイト、ジョン・キーンのアルバム「Previous Convictions」に参加したほか、「ザ・ファントム」の仮名でブライアン・ジョゼフ・フリエル(Brian Joseph Friel)のデビュー・アルバムの制作にも参加している。
 またこの年は、短期間であるが、スコットランドのバンド、「ブルー」に加わっている。

ウイングス ~ ホワイト・ライン
 1973年、マカロックは、ポール・マッカートニーと彼の妻リンダのユニット「スージー&ザ・レッド・ストライプス」から声をかけられた。これがきっかけとなり、1974年1月にマッカートニーのバンド「ウイングス」のメンバーとなった。もともと甘いルックスの若き天才ギタリストとして注目されていたマカロックの名は、これによって世界中に知れ渡ることになった。彼の加入後、最初に発表されたシングル「ジュニアズ・ファーム」(1974年)は全米3位の大ヒットを記録している。
 マカロックは、ステージではギターはもちろん、マッカートニーがピアノやアコースティック・ギターを演奏する時にはベース・ギターを担当した。またアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」に反ドラッグソングの「メディシン・ジャー」を、「スピード・オブ・サウンド」には「ワイノ・ジュンコ」を提供してリード・ヴォーカルをも担当している。なおこの2曲とも、作詞者は元ストーン・ザ・クロウズのドラマーだったコリン・アレンである。

 ウイングスに在籍中の1976年、マカロックは兄のジャック(drume)、デイヴ・クラーク(bass, keyboard, vocal)と新バンド「ホワイト・ライン」を結成した。彼らは数回のライヴを行い、シングル「Call My Name」をリリースしたほか、1976年11月27日にはイギリスのテレビ番組「Supersonic」に出演している。
 ホワイトラインは短命に終わったが、1994年には13曲を収録したアルバム「White Line - Complete」がリリースされている。ちなみに、このアルバムをリリースした「マウス・レコード」は、デイヴ・クラークのレーベルである。
 マカロックはこのほかにも、1977年にはロイ・ハーパーの「イギリスでの或る日」、リッチ・マーティンの「Bleached」、ロジャー・ダルトリーの「ワン・オブ・ザ・ボーイズ」などのアルバムに参加している。

 このころのマカロックはすでにアルコールとドラッグへの深刻な依存に陥っていた。過酷なツアーによる疲労や、若くして名声を得たがゆえのプレッシャーによる精神的疲弊などで荒れていたマカロックは、ウイングスの中で他のメンバーとの衝突も起こしており、とくに真面目な性格のジョフ・ブリットンとはそりが合わなかったという。
 マッカートニー夫妻はマカロックを助けようとしていたが、その心配もむなしく彼の状態は改善に向かうことはなかった。



スモール・フェイセス ~ ワイルド・ホーシズ ~ ザ・デュークス
 1977年9月、マカロックはウイングスを脱退(アルコールとドラッグによるトラブルから解雇された、という説もある)する。そして再結成したスモール・フェイセスにただちに加入し、同月に行なわれたイギリスでのツアーと、アルバム「78 イン・ザ・シェイド」の録音に参加した。

 1978年初めにはシン・リジィを脱退したばかりのブライアン・ロバートソンや、ジミー・ベイン、ケニー・ジョーンズと共に「ワイルド・ホーシズ」を結成したが、その春には脱退した。
 1979年には「ザ・デュークス」に参加した。デュークスのアルバム「The Dukesに収録されている「Heartbreaker」は、マカロック最後の作品である。

 1979年9月27日、マカロックはロンドン西部にあるメイダ・ヴェールの自宅で、ヘロインの過剰摂取による心不全のため死亡。まだ26歳の若さだった。第一発見者は兄ジャックである。マカロックは新たなバンドを組み、ワーナー・ブラザーズとの契約も決まっていたという。
 のちポール・マッカートニーは、マカロックについて「彼には少し危なっかしいところがあり、結果的にそれが彼のためにはならなかったのだろう」と述べ、その死を惜しんでいる。
 またピート・タウンゼントは、マカロックが若くして名声を手にしたことがその後のドラッグやアルコールへの依存と早すぎる死につながった可能性があるとして「もし自分が彼の人生に関わっていなければ、彼は今日も生きていたかもしれない」と語っている。
 
 2021年、マカロックの伝記「リトル・ウイング:ジミー・マカロック・ストーリー」が出版された。




【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ワン・イン・ア・ミリオン>
 ★2009年 Double Sight - The Complete Recordings

 <サンダークラップ・ニューマン>
  1970年 ハリウッド・ドリーム/Hollywood Dream

 <ストーン・ザ・クロウズ>
  1972年 オンティニュアス・パフォーマンス/Ontinuous Performance

 <ウイングス>
  1975年 ヴィーナス・アンド・マース/Venus and Mars UK1位, US1位, 日本9位
  1976年 スピード・オブ・サウンド/Wings at the Speed of Sound UK2位, US1位, 日本4位
 ☆1976年 Wings Over America UK8位, US1位, 日本4位
  1978年 ロンドン・タウン/London Town UK4位, US2位, 日本4位
 ★1978年 Wings Greatest UK5位, US29位, 日本24位
 ★2001年 Wingspan:Hits and History UK5位, US2位, 日本13位 ※ポール・マッカートニー名義

 <ホワイト・ライン>
  1994年 White Line - Complete

 <スモール・フェイセス>
  1978年 78 イン・ザ・シェイド/78 In the Shade

 <ザ・デュークス>
  1979年 The Dukes

 <レコーディング・セッション>
 ◆ジョン・エントウィッスル
  1972年 風の詩ホイッスル・ライムズ/Whistle Rymes
 ◆ジョン・キーン
  1973年 Previous Convictions
 ◆ロイ・ハーパー
  1977年 イギリスでの或る日
 ◆リッチ・マーティン
  1977年 Bleached

 ◆ロジャー・ダルトリー
  1977年 ワン・オブ・ザ・ボーイズ/One of the Boys


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『喜びの世界』(スリー・ドッグ・ナイト)

2025-02-05 01:45:48 | albums

喜びの世界 Joy to the World : Their Greatest Hits

【歌・演奏】
  スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night

【リリース】
  1974年11月

【録  音】
  1968年~1973年
  アメリカン・レコーディング・カンパニー(アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス スタジオ・シティ)①②④⑤⑥⑦⑧⑨⑫⑬
  レコード・プラント(アメリカ合衆国カリフォルニア州ソーサリト)③⑩⑪⑭
  
【プロデューサー】
  ガブリエル・メクラー/Gabriel Makler
  リチャード・ポドラー/Richard Podolor
  ジミー・イエナー/Jimmy Ienner

【エンジニア】
  リチャード・ポドラー/Richard Podolor
  ビル・クーパー/Bill Cooper

【レーベル】
  ダンヒル/Dunhill Records(US)

【収  録  曲】
  side : A
   ① 喜びの世界 3:50
     Joy to the World(Hoyt Axton)
     *1971年シングル・チャート US1位, UK24位  アルバム『ナチュラリー』収録
   ② ワン 3:04
     One(Harry Nilsson)
     *1969年シングル・チャート US5位  アルバム『ワン』収録
   ③ 人生なんてそんなもの 3:06 ※エディット・シングル・ヴァージョン
     Sure As I'm Sittin' Here(John Hiatt)
     *1974年シングル・チャート US16位  アルバム『ハード・レイバー』収録
   ④ オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 3:21 ※シングル・ヴァージョン
     An Old Fashioned Love Song(Paul Williams)
     *1971年シングル・チャート US4位  アルバム『ハーモニー』収録
   ⑤ 愛のセレナーデ 3:04
     Let Me Serenade You(John Finley)
     *1973年シングル・チャート US17位  アルバム『サイアン』収録
   ⑥ シャンバラ 3:22
     Shambala(Daniel Moore)
     *1973年シングル・チャート US3位  アルバム『サイアン』収録
   ⑦ ブラック & ホワイト 3:47
     Black and White(David I. Arkin, Earl Robinson)
     *1972年シングル・チャート US1位  アルバム『セヴン・セパレート・フールズ』収録
  side : B
   ⑧ ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン 3:43
     Never Been to Spain(Hoyt Axton)
     *1971年シングル・チャート US5位  アルバム『ハーモニー』収録
   ⑨ ワン・マン・バンド 2:49
     One Man Band(Billy Fox, January Tyme, Tommy Kaye)
     *1970年シングル・チャート US19位  アルバム『ナチュラリー』収録
   ⑩ ブリックヤード・ブルース 3:34
     Play Something Sweet (Brickyard Blues)(Allen Toussaint)
     *1972年シングル・チャート US33位  アルバム『ハード・レイバー』収録
   ⑪ 胸に溢れる愛 3:44 ※エディット・シングル・ヴァージョン
     I'd Be So Happy(Skip Prokop)
     *アルバム『ハード・レイバー』収録
   ⑫ ライアー 3:04 ※ニュー・エディト・ヴァージョン(ステレオ・アルバム・ミックス)
     Liar(Russ Ballard)
     *1971年シングル・チャート US7位  アルバム『ナチュラリー』収録
   ⑬ ファミリー・オブ・マン 3:10
     The Family of Man(Paul Williams, Jack Conrad) 
     *1972年シングル・チャート US12位  アルバム『ハーモニー』収録
   ⑭ ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン 3:37 ※シングル・ヴァージョン
     The Show Must Go On(David Courtney, Leo Sayer)
     *1974年シングル・チャート US4位  アルバム『ハード・レイバー』収録
        
【録音メンバー】
 ◆スリー・ドッグ・ナイト
   コリー・ウェルズ/Cory Wells(lead-vocals③⑤⑥⑧⑩⑬, background-vocals)
   チャック・ネグロン/Chuck Negron(lead-vocals①②④⑨⑪⑭, background-vocals)
   ダニー・ハットン/Danny Hutton(lead-vocals⑦⑫, background-vocals)
   マイケル・オールサップ/Michael Allsup(guitars, banjo)
   ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(keyboards)
   スキップ・コンテ/Skip Konte(keyboards③⑩⑪⑭)
   ジョー・シェルミー/Joe Schermie(bass①②④⑦⑧⑨⑫⑬)
   ジャック・ライランド/Jack Ryland(bass③⑤⑥⑩⑪⑭) 
   フロイド・スニード/Floyd Sneed(drums, percussions)

【チャート】
  1974年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)15位 カナダ4位

【メ  モ】
 ・スリー・ドッグ・ナイト2枚目のコンピレーション・アルバム。通算では12枚目のアルバムになる。RIAAゴールド・ディスク・アルバムに認定された。
 ・このアルバムは、「ゴールデン・ビスケッツ」の続編ともいえるコンピレーション・アルバムである。
  「ナチュラリー」(1970年)以降にリリースされたアルバム全5枚に収録されたシングル13曲のうち、「ピーセス・オブ・エイプリル」を除く12曲、「ゴールデン・ビスケッツ」に収録されていた②「ワン」、チャート入りしなかったB面曲⑪「胸に溢れる愛」の計14曲から成っている。


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『ハード・レイバー』(スリー・ドッグ・ナイト)

2025-02-04 13:05:47 | albums

ハード・レイバー Hard Labor

【歌・演奏】
  スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night

【リリース】
  1974年3月6日

【録  音】
  1973年
  レコード・プラント(アメリカ合衆国カリフォルニア州ソーサリト)
  
【プロデューサー】
  ジミー・イエナー/Jimmy Ienner

【エンジニア】
  Greg Calbi, Roy Cicala, Dennis Ferrante, Jimmy Ienner, Jay Messina, Tom Rabstenek, John Stronach

【レーベル】
  ダンヒル/Dunhill Records

【収  録  曲】(☆=シングル ②⑦⑨)
  side : A
   ① プレリュード 1:00 ※Instrumental
     Prelude(Public Domain)
  ☆② 人生なんてそんなもの 4:45
     Sure As I'm Sittin' Here(John Hiatt)
     *1974年シングル・チャート US16位, カナダ18位
   ③ エニータイム・ベイブ 3:07
     Anytime Babe(Larry Weiss)
   ④ プット・アウト・ザ・ライト 3:06
     Put Out the Light(Daniel Moore)
   ⑤ 刑務所にひとり 5:03
     Sitting in Limbo(Gully Bright, Jimmy Cliff)
  side : B
   ⑥ 胸に溢れる愛 4:48
     I'd Be So Happy(Skip Prokop)
  ☆⑦ プレイ・サムシング・スウィート 4:48
     Play Something Sweet (Brickyard Blues)(Allen Toussaint)
     *1974年シングル・チャート US33位, カナダ25位
   ⑧ オン・ザ・ウェイ・バック・ホーム 4:16
     On the Way Back Home(Daniel Moore)
  ☆⑨ ショウ・マスト・ゴー・オン 4:24
     The Show Must Go On(David Courtney, Leo Sayer)
     *1974年シングル・チャート US4位, カナダ18位
        
【録音メンバー】
 ◆スリー・ドッグ・ナイト
   コリー・ウェルズ/Cory Wells(lead-vocals②④⑦⑧, background-vocals)
   チャック・ネグロン/Chuck Negron(lead-vocals③⑥⑧⑨, background-vocals)
   ダニー・ハットン/Danny Hutton(lead-vocals⑤⑧, background-vocals)
   マイケル・オールサップ/Michael Allsup(guitars, banjo)
   ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(keyboards)
   スキップ・コンテ/Skip Konte(keyboards, synthesizer, chamberlin)
   ジャック・ライランド/Jack Ryland(bass)
   フロイド・スニード/Floyd Sneed(drums, percussions)

【チャート】
  1974年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)20位 日本(オリコン)50位 カナダ16位 オーストラリア61位

【メ  モ】
 ・スリー・ドッグ・ナイトの通算11枚目(ベスト・アルバム含む)、スタジオ録音としては8枚目のアルバム。RIAAゴールド・ディスク・アルバムに認定された。
 ・ラズベリーズなどを手がけたジミー・イエナーが本作からプロデューサーに起用されている。またスキップ・コンテが加入し、ツイン・キーボード編成になった。
 ・アルバム・ジャケットは「レコード・アルバムの誕生」を描いたもので、オリジナル・ジャケットでは問題視されるとして大きなバンド・エイドが追加でデザインされた。


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