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クリス・ウッド

2023-04-20 12:57:48 | others

クリス・ウッド Christopher Gordon Blandford "Chris" Wood

【パート】
  サックス、フルート、キーボード

【生没年月日】
  1944年6月24日~1983年7月12日(39歳没)

【出生地】
  イングランド ウェストミッドランズ州バーミンガム市クイントン

【経 歴】
  サウンズ・オブ・ブルー(1964~1965)
  ザ・カンサスシティ・セヴン(1965~1966)
  トラフィック(1967~1968)
  メイスン、キャパルディ、ウッド & フロッグ(1969)
  ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース(1969~1970)
  トラフィック(1970~1974)


 クリス・ウッドは、バーミンガム市郊外のクイントンで生まれた。
 幼い頃から音楽や絵に興味を持っていたウッドは、スタウアブリッジ・カレッジ・オブ・アートを経てバーミンガム美術学校の絵画科に入学し、1965年12月から王立芸術アカデミーで学ぶための助成金を授与される。
 音楽面では、15歳の時に独学でフルートやサックスの演奏を始め、18歳になった1962年にはジャズやブルースを演奏していたスティーヴ・ハドリー・カルテットに参加する。


 ウッドの妹のステファニーは、バーミンガム出身のスティーヴ・ウィンウッド(keyboard, vocal)の所属していたスペンサー・デイヴィス・グループの衣装デザインを担当していた。その関係で、ウッドはステファニーを通じてウィンウッドを紹介された。
 バーミンガムでも有名なクラブ「エルボー・ルーム」は地元のミュージシャンが集まる場所でもあったが、ウッドはそこでウィンウッドやジム・キャパルディ(drums)らと親交を深めていった。
 こうしてウッドはウィンウッドやカール・パーマー(drums)など地元で活動するミュージシャンともステージをともにするようになる。
 1964年にはウェストミッドランズ周辺で活動していたR&Bバンド「サウンズ・オブ・ブルー」(キーボードにクリスティン・パーフェクト=のちのクリスティン・マクヴィー、ギターにスタン・ウェッブが在籍していた)に加入。
 1965年にサウンズ・オブ・ブルーが解散すると、同年「ザ・カンサス・シティ・セヴン」に参加。このバンドにはのちスプーキー・トゥースに加入するマイク・ケリー(drums)が在籍していた。


 1967年、「トラフィック」の結成に参加。
 トラフィックは、スペンサー・デイヴィス・グループを脱退したスティーヴ・ウィンウッドがより実験的な音楽を求めてジム・キャパルディ(drums)、デイヴ・メイスン(guitar)らともに結成したバンドである。
 トラフィックでのウッドは主にフルートとサックスを担当したが、時折りキーボードやベースを弾いたり、ヴォーカルを取ったりした。また彼はフォーク・ミュージックにも造詣が深く、バンドのユニークな音楽性の成立にも貢献している。
 サイケデリックな要素とさまざまな音楽性を融合させたデビュー・アルバム『ミスター・ファンタジー』は大きな評価を受け、トラフィックはブリティッシュ・ロック・シーンの重要バンドとして認識されるようになった。

 
 1968年11月、ウィンウッドが「ブラインド・フェイス」に参加するためトラフィックを脱退。
 これによってトラフィックは活動の停止を余儀なくされたが、残ったメンバーはミック・ウィーヴァー(keyboard)を加え、1969年1月に「メイスン、キャパルディ、ウッド&フロッグ」を結成。しかしメイスンの渡米によってこのバンドは同年3月に活動を終えた。
 ウッドはその後ドクター・ジョンのアメリカ・ツアーに参加したが、そこで歌手のジネット・ジェイコブス(元ザ・ケイク)と出会う。ふたりは1972年11月に結婚した。
 1969年12月、ジネット・ジェイコブズ(vocal)や、スティーヴ・ウィンウッドらとともに「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」に加入する。このバンドでは、アルバム『ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース』にのみ参加し、1970年には脱退している。
 1970年、ウィンウッドはソロ・アルバムの制作に取りかかり、ジム・キャパルディとウッドにレコーディングへの参加を依頼。この過程で、そもそもはウィンウッドのソロ・ワークだったレコーディングの目的がトラフィックの再結成へと変化してゆくことになるのである。こうして完成したアルバムが、トラフィックの再結成第1作『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』である。ウッドは17世紀の歌である「John Barleycorn」のアレンジをトラフィックが行うという案を提示している。
 トラフィックは1974年に解散したが、ウッドはトラフィックの全活動期間に渡って在籍しており、すべてのアルバムの録音に参加した。


          


 ウッドは、1960年代後半から1970年代にかけて数多くのレコーディング・セッションにも参加している。
 なんといっても有名なのは、1968年にスティーヴ・ウィンウッド、デイヴ・メイスンらとともに参加した、「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」の名盤『エレクトリック・レディランド』の録音であろう。アルバム中、「1983」でウッドはフルートを演奏している。
 翌69年には「フリー」のセカンド・アルバム『フリー』に収録されている「Mourning Sad Morning」でもフルートを吹いている。
 他にもチキン・シャック、ボビー・ウィットロック、ジョン・マーティン、ショーン・フィリップス、リーボップ・クワク・バー、クロウラーなどの作品にも参加している。


 ウッドは長い間アルコールやドラッグへの依存やうつ病に苦しんでいた。そのうえ妻ジネットとの間には深い溝が生じており、ウッドの飲酒量はますます増えて肝臓を患うまでになっていた。ウッドは飲酒を控えたものの、肝疾患に対する投薬がさらなる合併症を引き起こした。
 1982年、別居していた妻ジネットがてんかんによる発作のため死去。
 彼女の死でウッドは非常に心を痛めたが、1983年1月には親友のリーボップ・クワク・バー(percussion 元トラフィック)が38歳で死去。ウッドはポール・コゾフ(guitar 元フリー)とも親しかったが、コゾフも1976年3月に25歳で早逝しており、ジネットだけでなくこの二人の親友の死はウッドに大きな精神的ショックをもたらした。
 1983年7月12日、ウッドは故郷バーミンガムのクイーン・エリザベス病院で、肺炎のため39歳の若さで死去した。


 ウッドは1975年頃からソロ・アルバムの制作に取り組んでいた。
 過去にエンジニアのテリー・バーハムとともにハマースミス・スタジオやフォールアウト・シェルター・スタジオなどでレコーディングを行っていたが、ウッドの死によってその録音物は未完成のまま妹のステファニーによって保管されていた。
 しかしステファニーやスティーヴ・ウィンウッドらの協力によって、ウッドの死後25年を経た2008年、遺されていた音源は『ヴァルカン』というタイトルのアルバムとして発表された。


 1994年、トラフィックは20年ぶりに再々結成したが、この時に制作されたアルバム『ファー・フロム・ホーム』はウッドに捧げられたものである。
 このアルバムにはウッドのフルート演奏をサンプリングした音源を用いた曲が収められている。また、ジャケット中央のフルートを吹いているように見える人物像はウッドを表したものである。


          
           Traffic『far from home』


 2017年にはウッドのボックス・セット『イヴニング・ブルー』がリリースされた。
 これはウッドのソロ・キャリアを総括した、全世界で1000枚限定のナンバリング付きコンピレーション・セットであり、CD4枚+LP1枚の5枚組である。この作品には合計43曲の未発表音源が収録されている。



【ディスコグラフィ】☆=ライヴもしくはライヴ録音を含むアルバム ★=コンピレーション・アルバム ◎=ボックス・セット

 <トラフィック>
  1967年 ミスター・ファンタジー/Mr. Fantasy UK16位, US(ビルボード)88位
  1968年 トラフィック/Traffic UK9位, US(ビルボード)17位
 ☆1969年 ラスト・エグジット/Last Exit US(ビルボード)19位
 ★1969年 ベスト・オブ・トラフィック/Best of Traffic US(ビルボード)48位
  1970年 ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ/John Barleycorn Must Die UK11位, US(ビルボード)5位
  1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ/The Low Spark of High Heeled Boys US(ビルボード)7位
 ☆1971年 ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン/Welcome to the Canteen US(ビルボード)26位
  1973年 シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー/Shoot Out at the Fantasy Factory US(ビルボード)6位
 ☆1973年 オン・ザ・ロード/On the Road UK40位, US(ビルボード)29位
  1974年 ホエン・ジ・イーグル・フライズ/When the Eagle Flies UK31位, US(ビルボード)9位
 ★1975年 Heavy Traffic US(ビルボード)155位
 ★1975年 More Heavy Traffic US(ビルボード)193位
 ★1991年 Smiling Phases
 ★1998年 Heaven Is In Your Mind - An Introduction to Traffic
 ★2000年 Feelin' Alright:The Very Best of Traffic
 ★2002年 The Collection
 ★2003年 The Best Of Traffic - The Millennium Collection
 ★2005年 Traffic Gold

 <ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース>
 ☆1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force UK37位, US(ビルボード)33位
 ★1998年 Do What You Like

 <ソロ・アルバム>
 ★2008年 ヴァルカン/Vulcan ※1983年録音
 ◎2017年 イヴニング・ブルー/Evening Blue

 <セッション・ワーク>
  1967年 Sunshine Super Frog(Wynder K. Frog)
  1968年 エレクトリック・レディランド/Electric Ladyland(ジミ・ヘンドリックス・エキスペリエンシス)UK6位, US(ビルボード)1位
  1969年 フリー/Free(フリー)UK22位, US(ビルボード)177位
  1969年 Fiends and Angels(Martha Velez)
  1969年 O.K. Ken?(Chicken Shack)UK9位
  1969年 Thinking Back(Gordon Jackson)
  1969年 ファット・マットレス/Fat Mattress(ファット・マットレス)US(ビルボード)134位
  1970年 Contribution(Shawn Philips)
  1971年 クライ・オブ・ラヴ/Cry of Love(ジミ・ヘンドリックス)UK2位, US(ビルボード)3位
  1971年 Don't Hold Back(Sky)
  1972年 Oh How We Danced(Jim Capaldi)US(ビルボード)82位
  1972年 ボビー・ウィットロック/Bobby Whitlock(ボビー・ウィットロック)
  1972年 Reebop(Reebop Kwaku Baah)
  1973年 Inside Out(John Martyn)
  1973年 Now Here This(Hanson)
  1973年 Music from Free Creek(Free Creek)
  1975年 Short Cut Draw Blood(Jim Capaldi)US(ビルボード)193位
  1977年 華氏96度/96° in the Shade(サード・ワールド)US(ビルボード)203位
  1977年 Crawler(Crawler)
  1979年 トロピカル・ファンタジー/The Story's Been Told(サード・ワールド)US(ビルボード)157位
  1997年 Funky(Spencer Davis Group)
  


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アルヴィン・リー&カンパニー

2023-04-17 18:49:31 | band

アルヴィン・リー&カンパニー Alvin Lee & Company


活動期間
  ①1974年~1975年
  ②1976年



メンバー
 ①1974年3月(レインボウ・シアター・ライヴのメンバー)
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)

  ニール・ハバード/Neil Hubbard(guitar)※Kokomo
  アラン・スペナー/Alan Spenner(bass)※Kokomo
  ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley(keyboards)※元スネイプ
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax)※元スネイプ
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums)※元スネイプ
  ダイアン・バーチ/Dyan Birch(backing-vocals)※Kokomo
  フランク・コリンズ/Frank Collins(backing-vocals)※Kokomo
  パディー・マクヒュー/Paddie McHugh(backing-vocals)※Kokomo

  1974~1975
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)
  スティーヴ・トンプソン/Steve Thompson(bass)※元ストーン・ザ・クロウズ
  ロニー・リーハイ/Ronnie Leahy(keyboards)※元ストーン・ザ・クロウズ
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax)
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums)

 ②1976
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)
  アンディ・パイル/Anmdy Pyle(bass)※元サヴォイ・ブラウン
  ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley(keyboards)
  ブライソン・グラハム/Bryson Graham(drums)※元スプーキー・トゥース



 1974年、当時テン・イヤーズ・アフターに在籍していたアルヴィン・リーは、バンドの活動と並行してソロ・プロジェクトをスタートさせたが、まずはこの年3月22日に予定されていたロンドンのレインボー・シアターでの公演のために「アルヴィン・リー&カンパニー」を結成する。
 このバンドはブリティッシュ・ファンク・バンド「ココモ」に元「スネイプ」のティム・ヒンクリー、メル・コリンズ、イアン・ウォーレスをジョイントさせたものである。
 アルヴィン・リー&カンパニーのレインボウ・シアター公演は、2枚組ライブ・アルバム『栄光への飛翔 』(In Flight)として1974年11月にリリースされたが、それと前後してアルヴィンは「アルヴィン・リー&カンパニー」を新たなラインナップで組織し直し、ライヴ活動を展開した。


 この頃にはアルヴィンとレーベルとの音楽的方向性の違いが顕著となっており、そのうえアルヴィンがソロ活動に重きを置くようになったため、テン・イヤーズ・アフターは1974年4月に10枚目(スタジオ・アルバムとしては8枚目)のアルバム『ポジティヴ・ヴァイブレーションズ(Positive Vibrations)』を発表したのち、解散した。

 
 1975年、アルヴィンはソロ・アルバム『パンプ・アイアン』(Pump Iron!)を制作したが、この時のレコーディング・メンバーで第2期「アルヴィン・リー&カンパニー」を編成し、1976年3月から7月頃にかけてライヴを行っている。


     


【ディスコグラフィ】
 1974年 『栄光への飛翔』(In Flight)・・・ビルボード65位


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