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アルヴィン・リー

2023-04-21 08:34:10 | guitar

アルヴィン・リー Alvin Lee

【本名】
  グラハム・アンソニー・バーンズ/Graham Anthony Barnes

【パート】
  ギター、ヴォーカル

【生没年月日】
  1944年12月19日~2013年3月6日(68歳没)

【出生地】
  イングランド ノッティンガム

【経 歴】
  テン・イヤーズ・アフター(1966~1974)
  アルヴィン・リー&カンパニー(1974~1975、1976)
  テン・イヤーズ・レイター(1978~1980)
  アルヴィン・リー・バンド(1980~1982、1990年代)
  テン・イヤーズ・アフター(1988~2003)


 アルヴィン・リーは、1960年代から1970年代にかけて世界的な成功を収めたブルース・ロック・バンド「テン・イヤーズ・アフター」のギタリスト兼ヴォーカリストである
 トレード・マークは、「Big Red」と呼ばれたチェリー・レッドのギブソンES-335。
 ロック・ミュージックにおける「速弾き」ギタリストの先駆者のひとりであり、多くのギタリストに影響を与えた。
 アル・ディ・メオラは、アルヴィンのギターを聴いた時に全てピッキングしているものと思い込み、自分もその練習を続けているうちに速く弾けるようになったという。
     

 イングランドのノッティンガムに生まれ、ノッティンガム西部のウォラトンにあるマーガレット・グレン・バット校に進む。
 アルヴィンは、両親が集めていたジャズやブルースのレコードによって音楽に親しむようになっていた。
 13歳の時、ロックンロールに影響されてギターを弾き始める。当時のアルヴィンはチャック・ベリーとスコッティ・ムーアに夢中だったという。
 当時のロック・ギタリストたちはアメリカのブルース・ギタリストをお手本としていたが、やがてアルヴィンはチャーリー・クリスチャンやタル・ファーロウらのジャズ・ギタリストをひたすらコピーするようになり、それによって速弾きと「マシンガン」とも形容されたピッキングを習得した。


 1960年、アルヴィンは地元ノッティンガムで知り合ったレオ・ライオンズ(bass)とともに「アイヴァン・ジェイ&ザ・ジェイメン」という5人組のバンドを結成。
 間もなくこのバンドはギター・トリオとなり、「ザ・ジェイメン」から「ザ・ジェイキャッツ」へ、そして「ザ・ジェイバーズ」と改名。演奏場所を求めて彼らは一時はハンブルグに移った。
 ジェイバーズは1964年2月にデビュー・シングル『Not Fade Away』をリリース。
 1965年夏にドラマーがリック・リーに交替し、メンバーはアルヴィン・リー、レオ・ライオンズ、リック・リーとなる。
 1966年、ジェイバーズはロンドンへ進出。この年、チック・チャーチル(keyboards)が加わり4人編成となったバンドは「テン・イヤーズ・アフター」と改名する。


     


 テン・イヤーズ・アフターは、1967年にウィンザー・ジャズ・フェスティバルに出演したが、この時のパフォーマンスが認められ、デッカ・レーベル傘下にあるデラム・レコードと契約することになった。
 1967年、デビュー・アルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』を発表すると、アルヴィンのギターを中心としたエネルギッシュなステージが徐々に評判となる。
 1968年にはセカンド・アルバム『イン・コンサート』を発表。このアルバムは、当時としては異例のライヴ・アルバムとしてリリースされており、ライヴ・バンドとして頭角を現しつつあったテン・イヤーズ・アフターの魅力が反映されたものになっている。


 1969年、テン・イヤーズ・アフターはウッドストック・フェスティヴァルに出演。
 8月17日夜のステージで見せた「アイム・ゴーイング・ホーム」の熱演は、25万人もの大観衆を熱狂させた。
 この時のテン・イヤーズ・アフターの演奏はウッドストック・フェスティヴァルのハイライトのひとつに数えられており、ドキュメンタリー映画『ウッドストック』にも収められている。そしてこの時のパフォーマンスによって、アルヴィンの人気も決定的なものとなった。


 テン・イヤーズ・アフターではスタジオ・アルバムを8枚リリースしているが、イギリスでは2作目の『ストーンドヘンジ』(1969年)から5作目の『ワット』(1970年)まで4作連続トップ10入りを、アメリカでは3作目の『夜明けのない朝』から6作目の『スペース・イン・タイム』まで4作連続トップ30入りを記録している。
 1971年、バンドはコロムビア・レコードに移籍。9月にリリースしたシングル『チェンジ・ザ・ワールド』はビルボードで40位となるヒット(テン・イヤーズ・アフター唯一の全米トップ40入り)を記録したが、ひと頃の人気は徐々に影をひそめるようになり、1973年の来日公演終了後からはブルース・ロックを追求したいリーとポップ路線にシフトさせようとするレーベルとの間の音楽的指向の相違が表面化するようになった。


     


 1973年、アルヴィンはジョージ・ハリスン、スティーヴ・ウィンウッド、ロン・ウッド、ミック・フリートウッドをゲストに迎えて、アメリカのゴスペル系シンガー、マイロン・ルフェーヴルとのコラボレーション・アルバム『自由への旅路』を制作、発表する。カントリー・ロックから大きな影響を受けているこのアルバムは、セールスは今ひとつ伸びなかったものの、好意的な評価を受けた。
 同年発表されたジェリー・リー・ルイスの2枚組アルバム『ロックンロール・スーパー・セッション』の録音にも参加している。
 

 アルヴィンは、1974年にはソロ・プロジェクトを本格化させる。
 この年3月22日に行われる予定のロンドンのレインボー・シアター公演のために、ブリティッシュ・ファンク・バンド「ココモ」のメンバーとアレクシス・コーナーのバンド「スネイプ」の元メンバーのジョイントによる「アルヴィン・リー&カンパニー」を結成。この公演の模様は2枚組のライヴ・アルバム『栄光への飛翔』として、テン・イヤーズ・アフター解散後の1974年11月にリリースされている。
 テン・イヤーズ・アフターは1974年4月に通算8作目のスタジオ・アルバム『ヴァイブレーションズ』を発表したが、アルヴィンが活動の比重の重きをソロに置くようになっていたことなどで人気の停滞に拍車がかかり、アルバムのリリース後間もなく解散した。


 1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドで、アメリカでのフェアウェル・コンサートのため一時的にテン・イヤーズ・アフターが再結成される。
 1975年にはソロ・アルバム『パンプ・アイアン』を制作したが、この時のレコーディング・メンバーが第2期「アルヴィン・リー&カンパニー」である。
 同年にはボ・ディドリーのアルバム『栄光のロックン・ロール・ジャム』の録音にも参加、数曲でギターを弾いている。


 1978年、ズート・マネー(keyboard)やアラン・スペナー(bass)らを起用してソロ・アルバム『レット・イット・ロック』を制作。
 『レット・イット・ロック』を発表した後、トム・コンプトン(drums)、ミック・ホークスワース(bass)を起用して「テン・イヤーズ・レイター」を結成。『甦る雷神』(1978年)と『ライド・オン』(1979年)の2枚のアルバムをリリースし、ヨーロッパやアメリカなどでツアーを行った。
 1980年、「テン・イヤーズ・レイター」のメンバーを一新、元レア・バードのスティーヴ・グールド(vocal, guitar)などを加えて、バンド名も「アルヴィン・リー・バンド」とした。このバンドは1980年10月に『フリーフォール』、そして1981年11月に『RX-5』の、計2枚のアルバムをリリースした。1981年にはスティーヴ・グールドの後任としてミック・テイラー(guitar, vocal)が加入している。
 1983年7月1日、一夜限りで再結成し、ロンドンの「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演。
 1989年、ソロ活動と並行して、オリジナル・メンバーによる「テン・イヤーズ・アフター」の再結成にも参加。同年アルバム『アバウト・タイム』をリリースした。
 1990年代には再びスティーヴ・グールドとともに「アルヴィン・リー・バンド」としての活動を再開させ、1993年に12年ぶりのサード・アルバム『Nineteenninetyfour』発表した。


 2004年、D.J. フォンタナ、そしてかつてのアルヴィンのアイドルであるスコッティ・ムーアを招いて制作したアルバム『アルヴィン・リー・イン・テネシー』をリリース。
 晩年はレコーディング・スタジオのある自宅にこもって「FBI」というバンドをプロデュースするなど、マイ・ペースで活動した。
 2012年9月にはアルバム『スティル・オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム』をリリースしたが、これがアルヴィンの最後の作品となった。


 2013年3月6日、アルヴィン・リーはスペインで死去。68歳であった。
 死因は、「心房細動を治療するための通常の外科的処置後に起きた予期せぬ合併症」とメディアで発表されている。
 アルヴィンの訃報を聞いたレオ・ライオンズは、アルヴィンを「兄弟に最も近いもの」と呼んでその死を惜しみ、リック・リーは「彼の死の現実についてまだピンと来ていない」と哀しみを述べた。
 アルヴィンは20枚以上のアルバムや多くの楽曲を残しているが、「ビルボード」誌は、ウッドストック・フェスティバルでの『アイム・ゴーイング・ホーム』や、1971年のヒット・シングル『チェンジ・ザ・ワールド』などを画期的なパフォーマンスだったとして、アルヴィンの功績を讃えている。


     


【ディスコグラフィ】☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
 <テン・イヤーズ・アフター>
  1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
 ☆1968年 イン・コンサート/Undead UK26位、US(ビルボード)115位
  1969年 ストーンドヘンジ/Stonedhenge UK6位、US(ビルボード)61位
  1969年 夜明けのない朝/Ssssh UK4位、US(ビルボード)20位
  1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green UK4位、US(ビルボード)14位
  1970年 ワット/Watt UK5位、US(ビルボード)21位
  1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time UK36位、US(ビルボード)17位
  1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World UK27位、US(ビルボード)43位
 ★1972年 Alvin Lee and Company US55位
 ☆1973年 ライヴ!/Recorded Live UK36位、US(ビルボード)39位
  1974年 ヴァイブレーションズ/Positive Vibrations  US(ビルボード)81位
 ★1975年 Goin' Home! US174位
  1989年 アバウト・タイム/About Time US(ビルボード)120位
 ☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
 ☆2003年 One Night Jammed
 ☆2005年 Roadworks

 <ソロ・アルバム等>
  1973年 自由への旅路/On the Road to Freedom(アルヴィン・リー with マイロン・ルフェーヴル) US(ビルボード)138位
 ☆1974年 栄光への飛翔/In Flight(アルヴィン・リー&カンパニー) US(ビルボード)65位
  1975年 パンプ・アイアン/Pump Iron!(アルヴィン・リー) US(ビルボード)131位
  1978年 レット・イット・ロック/Let It Rock(アルヴィン・リー)
  1978年 甦る雷神/Rocket Fuel(アルヴィン・リー&テン・イヤーズ・レイター) US(ビルボード)115位
 ☆1978年 Live at Rockpalast
  1979年 ライド・オン/Ride On(アルヴィン・リー&テン・イヤーズ・レイター) US(ビルボード)158位
  1980年 フリー・フォール/Free Fall(アルヴィン・リー・バンド) US(ビルボード)198位
  1981年 RX5/RX5
  1986年 デトロイト・ディーゼル/Detroit Diesel US(ビルボード)124位
  1992年 ズーム/Zoom
  1994年 Nineteen Ninety-Four
 ☆1994年 Live In Vienna
  2004年 アルヴィン・リー・イン・テネシー/In Tennessee
  2007年 Saguitar
  2012年 スティル・オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム/Still on the Road to Freedom
 ☆2013年 The Last Show

 <ソロ・シングル>
  1986年 デトロイト・ディーゼル/Detroit Diesel US(ビルボード)26位


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