私は、自分が書かなかった手紙のことを、忘れることができません。
それは、私が18才の時、大学に入学して家から離れ、まだ自分の位置も見えない頃のことです。
高校3年生のころ、通学列車が一緒でおしゃべりをするお友達がいました。彼女は、敏感な感受性を持った、とても美しい目の女の子でした。
私たちは、いつも青春のころの思いを話し合い、お互いのことを認め合っていました。それは、今思っても、豊かな時間だったと思います。
ある時、彼女は、大学へ行くのをどうしようかと思っていると打ち明けました。何をしに行きたいかということが分からないので、といいました。
私は、自分が何もわかってもいないのに、彼女に、何をしたいかわからないのに、大学に行くの? といったのです。なんと無様な思い上がりだと今はよくわかります。
でも、彼女は、そうよね、といい、大学受験はやめて就職することを選びました。私たちの通った学校は、150人くらいの1学年で、大学へ行くものが140人ほどのいわゆる進学校でした。
そんな中で就職した彼女の思いは、どんなものだったでしょうか。何をしたいかわからない人がほとんどだったと思うのに、彼女の真摯な思いは、自分の人生を思い詰めていたのです。
地元の銀行に就職した彼女は、うわさに聞くところでは、とても有能で、リーダーシップを取るような人だったそうです。
でも、彼女は、就職した最初のころ、たぶん5月か6月頃に、私に手紙をくれました。それは、今の自分がとても頼りなく、このままこういう生活をしていってもいいのかというような手紙でした。
私は、彼女が大学へ行くことに対して、思いやりのないことを言ったことをよく覚えていました。彼女のつらい思いが、手紙から、よく伝わってきました。
そうです、私は、彼女に返事を書かなかったのです。書かなければという気持ちは強くありましたが、自分の立ち位置もよくわからなかった頃に、彼女になんと言って返事をしたら良いのか、どうしてもわかりませんでした。
そして、その手紙は、書かれないままに、私の心の中に住み着いています。こんなことを今更言ったってと思いますが、その手紙がいつまでも、私の中にくっきりとあるのです。
もし、彼女がインターネットの世界を歩いているとしたら、何かのきっかけで、私のこの文を見てくれるかもしれないと思ったりします。
あなたの人生が、自分の思うような人生だったらいいのにと、強く望んでいます。
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