乳がんにかかったころからだったと思いますが、人にいただいた手紙が気になってきました。
それから、もう17年位の年月が経ちますが、1度手紙を燃やそうと思ったことがあります。
今は、手紙など、あまりやり取りされない時代になりましたが、私の若いころは、お友達とも家族とも手紙のやり取りをするのは、普通のことだったと思います。
自分が書いた手紙を回収したい気持ちもあります。でも、それは不可能なこととあきらめていますが。
いただいた手紙は、10代の終わりころから、パソコンを使い始める50代の初めころまでの間のものが、全部取ってあります。(パソコンを使い始めてからは、メールを書くことが多くなりました)
書類棚の下の段にいっぱいの手紙が、私の生きてきた時間を、そっと秘密のままに保存してあるような気がします。
その手紙が、私の死後に、どうなるのかと思った時、いただいた人への礼儀として、処分しなければならないと思いました。
それで、庭で燃やしてしまおうと思ったのです。
一番、親しみが少ない人の手紙からと思い、でも、燃やす前にちょっと読んでみようかなと思ったのです。それは、高校時代の同級生からの手紙で、読んだときに、ああこんな高校生活を送っていたんだ、と、燃やす気にはなれなくなりました。
そして、手紙たちは、今も書類戸棚の中で眠っています。
もう亡くなったお友達、今もお誕生日には手紙とプレゼントを送ってくれるお友達、もう付き合いのなくなった友達だと思っていた人たち、そして、母からの妹からの手紙。
今もまた、手紙を私の死後まで残さないように、処分しようと、思っています。それは、いただいた人への礼儀からだけではなく、私の生きた息遣いを、人には、見せられないと思っているからです。
もう何も読まないで、エイッと心に決めた日に、きっと手紙たちは燃やされるのだろうと思います。
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