先日、力のことを書きました。世の中に、力があると、そこには、人やものが集まり、力を中心に、それぞれが自分と力との関係を探し、小さな世界を作っていくのだと思います。
力というものを実際に認めていなくても、自分のいる世界は安定していて、よく考えると、中心には力があるのだと思います。
そんな世界がたくさんあり、例えば家族、地域、学校や会社、そして、国、それらが交錯したり、並行したりして、だんだん大きな世界になっていくのでしょう。
そんな中で、自分のいる位置が分からないものがいるのです。どんな世界にも自分が属していないと思い、居場所がないと思うのです。
でも、それでも、生きている国などはあり、日本のように一応安定している国で、自分の居場所などないと思いながらも、何とか生きているのですから、それは、その国の力を認めているのでしょう。
ただ、小さな世界では、自分がどこにも属していないと思い、何かに衝突しながら、苦しい思いで生きているものがいるのです。自分に力があると思って生きてきた若いころのみじめさ、誰も周りに集まってこないという力のなさの認識。
でも、年を取って、自分に力がなかったことを実感してしまった今も、やはり、生きることは、何かにぶつかって、しんどいなーと思いながら生きています。
私に力などなかったのだから、私だけの世界は本当に小さく、こじんまりと家族と一緒に生きています。
今、あまり欲がなくなり、力を持つことの意味もあまり分からなくなり、もう残り少ない人生の時間を、力などなくても、穏やかに、自分の時間を深く覗き込んで、生きていければいいのかと思っています。
力があったとしても、力がなかったとしても、人は、限りある時間を生き、そこでどれだけの豊かさを味わえるかが問題なんだよ、と負け惜しみのような気持でいるこの頃です。
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