夫と二人で、香港に行った時のことです。1997年1月でした。香港は1997年の7月にイギリスから、中華人民共和国に返還される年で、返還されたらどうなるのだろうと、話題になっていたことを覚えています。
飛行機が香港に近づくと、アナウンスがありました。香港のイルミネーションはとてもきれいなので、飛行機の中の照明を落としますので、窓からイルミネーションをみてください、というのでした。
それは、本当にきれいで、目を奪われるようでした。乗客は皆窓から見ています。そして、感嘆の声をあげています。
私も感動して、すごいねー、と夫のほうを見ました。ところが、夫は、暗くなった飛行機の照明の明るいところへ、雑誌を持っていき、それを読んでいるのです。
その雑誌は、飛行機の中で借りたもので、どうしても読みたい記事があったのでしょう。でも、もう二度と見られないであろう美しい贅沢な明かりを見ないというのはどうだろうと、思った私は、夫に見たら、といったのです。
夫は、迷惑そうに私を無視して、雑誌を読んでいます。私は、まあいいか、私は見よう、と思いその明かりを堪能しました。
飛行機を降りて、どうして、イルミネーションを見ないの、もう見られないだろうと思うよ、と非難めいた言い方をしました。夫は、僕はイルミネーションより、その雑誌の記事が読みたかったのだから、といいました。
その雑誌を買えばいいじゃない、というと、もう先週のもので、売っていないといいます。そして、飛行機に乗って、その記事を見つけたので、どうしても読み終わりたかったのだといいます。
その記事は、もう忘れましたが、政治か経済の、どちらかの記事だったと思います。
そのときは、人に合わせることができないのだから、と思いましたが、後で思い返すと、どんなにきれいなものでも、自分にとって興味のないものに感動しなさいという態度のほうが、おかしいだろうと思いだしました。
どこの飛行機だったかは忘れましたが、スチュワーデスは、日本人ではないアジア人だったと思います。誰もがそれを見て、きれいと感嘆し、照明を落としたことを喜ぶと思う方がおかしいのかもしれません。
ただ、夫はその記事を読み終えたようで、そのほかの人は、香港の美しい夜景に目を見張り、感動したのですから、良かったのでしょう。
こんなこともあったなーと、今は懐かしく思い出されます。
香港では、二人で歩いて、2階建てバスにも乗り、楽しかったです。あの頃の香港は、高層ビルと経済の町という感じで、生き生きと面白そうな町でした。イルミネーションは町でも見られましたが、飛行機の中から見たほどきれいではありませんでした。写真を少し載せますね。
私たちが歩いていると、インド風の衣装と顔立ちの男性が近寄ってきて、「偽物時計あります」と日本語でいいました。どうして、私たちが日本人だとわかるんだろう、と夫に言うと、ぼんやりした顔をしてるんだろうといいます。そういえば香港のビジネスマン・ビジネスウーマンは、緊張したきりりとした顔だったなあと思い出します。
以前「安藤昌益全集」にふれていらっしゃいましたが、ご主人様、知的探求心が強い方だったのでしょうね。beautiful-sunsetさんともいろんな話をされたことでしょう。
これは自分話になりますが、実は私、ライトアップや夜景、華やかなイルミネーションもルミナリエも苦手です。クリスマスの時、庭に作られるささやかな電飾は見て楽しいですが。
四角く高いガラスと鉄筋のビルや、ピカピカの床なども苦手です。品種改良を重ねて作られた花や、ヒマワリなどの大きな花も苦手です。なんだか圧倒されて逃げたくなります。多分、生来、エネルギーの少ない弱虫だからでしょう。人陰に隠れてひっそりいる方がホッとします(苦笑)。
空さんもイルミネーションが苦手なんですね。人工的なものがお好きではないのかな、と思いました。私の夫も、桜の下に下がっているちょうちんなどはとても嫌っていたようです。桜の美しさが損なわれるという感じです。
夫は、私がいろいろかじる芸術的なもの、それも僕にはわからないので、と言って、コンサートや、展覧会にも一度も来てくれませんでした。でも、ギターやピアノは少しは弾けたのですが。
本をよく読んでいました。新聞もよく読んでいました。あまり出しゃばらないで生きていたように思います。知的で、自分らしく生きていたように思います。今までの空さんとのお付き合いで、空さんもそんな感じの方なのかなーと思っています。
少しはお身体楽になられましたか。時々ブログを書かれるので、ちょっと安心しています。
この記事のbeautifl-sunsetさんの気持ちもご主人の気持ちもよくわかります。なぜなら、我が家と同じだからです。夫は、私がゆっくり鑑賞したい景色、その他にあまり興味を示しません。興味を覚えるところが全く違うんですね。だから最近は大概別行動です。巷では仲の良い老夫婦が一緒に歩いているのをよく見かけますが、大概どちらかに合わせているんでしょうね。
私たち夫婦は、好みの現象は違っていても、いつも相手の思いも分かっていたと思います。底のところで、つながっていたと思いますので、安心していました。
それに、二人とも好きだということはたくさんありました。一緒に何かするのが大好きでしたが、今はもう夫はいませんので、とても寂しく思っています。