平成14年9月1日に妻は、入院しましたが、翌2日の朝、出勤前に面会に行くと「昨日の夜、軽い脳こうそくを起こした。」と笑顔で言いました。入院しているのであまり心配はしませんでしたが、翌3日も出勤前に病院に顔を出し、仕事帰りにも面会に行きました。午後8時の面会時間いっぱいまで面会して、夕食を終えた時、午後9時に病院から電話が掛かってきました。妻が、暴れるので来てほしいとのことでした。
妻は、ベットだけが置かれた別の病室で「あー痛いと叫んでいました.」私は、手を握り「大丈夫、大丈夫」と声をかけるのが精一杯でした。
翌朝には、落ち着きましたが、残念ながら左半身不随となっていました。
嚥下も出来なくなっていました。
市立病院、和歌山医大、和歌山日赤病院の方々には、特に看護師の皆さんには大変お世話になりました。
特に、市立病院では妻の為には発声練習用の「あいうえお・・・ん」の手作りの綺麗な表を作っていただきました。
翌平成15年1月に退院して、5月のお誕生日をデイサービス所でお祝いをしてもらった時の写真です。
そして、愛犬たちです。母親のヒロが食べ残しが長男タローに(一切れ)
妻は、同年、平成15年10月30日亡くなりました。
お医者さんから、今日がヤマですと告げられた翌朝です。
意識のない妻に「頑張って生きていくからな」と言うと
意識のない妻が、ハッキリとうなづいたのです。
その時、看護師さんが病室に飛び込んできました。
心電図のモニタが異常を知らせたのです。
午前9時でした。52歳です。
愛犬もいなくなりました。みんな いなくなりました。
倒れて1年4か月、入院中は仕事が終わり帰宅して病院へ、翌朝自宅に帰り出勤、仕事を終わり帰宅して病院、翌朝帰宅出勤。
自宅で介護4か月・・・してやりたかったことがまだまだあります。
妻が意識のない時、ICU(集中治療室)で人(隣のベッドの人がなくなり身内の人が泣く)の声は聞こえていたと言っていました。
この時、妻の好きな音楽をMDに入れイヤホンで聞かせたことも覚えていました。(看護師さんが、耳は聞こえています。音楽を聞かせてあげて下さいと)
私の声を聴いて意識のない妻が、最後の力を振り絞りハッキリとうなづいたのです。
安心して下さい。約束通り元気に生きています。
残ったものが、元気に笑顔でいる事が一番仏さんが喜ぶと思っているからです。
今まで通り、勝手気ままに生きています。
雨の日が続いて、9月の信州行きが延期中。
10月に予定変更計画?。