10月15日 日曜日 晴曇
VOXで天誅組跡終焉の地へ行きました。
8:30発~R24~五條市・櫻井寺、五條仮政府~R370~k16・終焉の地~k220・丹生川上神社中社、東の瀧~16:40帰宅。
走行:181㎞。
※ コロナワクチン(7回目)発熱。
12日、ワクチン・ファイザーを注射。
13日、38.8℃の熱で病院へ行き、ワクチンの副作用とのことで解熱剤を飲む。
14日、終日寝る。
15日、平熱になったので走る。
櫻井寺(さくらいじ)
天誅組本陣跡 (櫻井寺)
桜井寺は天暦年間(947 ~957) 桜井康成の創建と伝える古刹。
五條代官所を襲った天誅組は続い てここを本陣として五條仮政府と号しました。
境内に通じる参道。
天誅組本陣跡の石碑
櫻井寺は、幕末期には五條で 有数の規模を誇った寺だった。
天誅組は代官所(五條市役所、寺から約500m)を焼き払った八 月十七日から、「八月十八日の政変」を受け急いで天辻へ本陣を 移す二十日(いずれも旧暦)までの間、この寺に「御政府」の 看板を掲げ本陣とした。
寺には、 代官の首を洗ったとされる水盤 が残されている
境内から山門 山門左に「首洗いの石」
五條代官の首を洗った「首洗いの石手水鉢」
本堂:コンクリート造り。法事中でお経が聞こえていました。大阪方面の車が駐車。
本堂から境内方向。趣のないお寺でした。
R370 岩神(いわがみ)神社 祭神は、岩穂押開神。小さな本殿の後ろに巨岩。
境内から
岩神神社
岩神神社の祭神は、岩穂押開神と伝える。
岩穂押開神は、『古事記』に記される国津神石押 分のことで、この神は、神武東征に際して吉野で 神武天皇を迎え、「吉野の国巣の祖」とされ、『日 本書紀』では「吉野の国樔部の始祖」とされる。
同社は現在矢治の氏神である。
吉野川に面して南を向いて鎮座する社殿の背後 に、境内からでは全容が見渡せないほどの巨岩 が聳え、社名に相応しい威容を誇っている。
岩神 神社の巨岩は、近隣でも類を見ない巨岩で、同 社への信仰は、元来はこの巨岩に対する信仰に由 来すると考えられている。
社殿は春日造、素木の一間社、覆屋を設け、神門 玉垣が付属している。
神社には、「元禄四辛未年(1691年)九月九日/和州吉野郡矢治村岩神大明神御湯釜」と刻銘のある湯釜が 伝わっており、その形式などから元禄四年(一六 九一)に奈良県内で鋳造されたもので、湯立て神事などに供せられていたと考えられる。
この湯釜が「岩神」という神社名を確認できる最古の資 料である。
また、境内には、元禄三年・寛政十二年(一八〇〇) 文化元年(一八〇四) 天保十四年(一八四三)・安 政三年(一八五六)の銘のある石灯籠が奉献され ている。
矢治自治会
1お社の床面~お社左手の小さな岩の頂上 約10m70cm
2お社の床面~お社背面の大岩、階段下から最頂部 推定13~14m
3 お社の床面~お社背面の大岩、割れ目手前まででの最頂部 推定15m60cm
4お社の床面~お社背面の大岩、全体の最頂部 約22m30cm
趣のある灯篭 左:天保14年(1843年)、右:寛政12年(1800年)
本殿前の石灯篭
本殿。巨岩と覆屋がなければ小さな祠。
k16 もう少し秋が深まれば紅葉を楽しめます。
鷲家’(わしか)川 川岸が少しだけ色づいています。
k16 天誅組終焉の地。吉村寅太郎の墓
天誅組史跡案内板
東吉野村は、幕末の当時、憂国の?士が幕藩体制を排して国家の 的改革を目指して、その思想と???殉じた地である
即ち文久三年(一八六三年) 八月、孝明天皇の神武山に、倒幕の先鋒と称して、中山忠光卿を主将とし、藤本鉄石、松本奎堂、吉村寅太郎の三士を総裁とした「天誅組が五条に旗挙げしたが、「七卿の都落ち」に象徴される政変に依り、事、志に違い幕軍の追討を受けて吉野山間を転戦、同年九月二十四日から二十七日にかけて、当村内に於いて三総裁以下十五志士が戦死、「天誅組」は、茲(ここ)に終焉を見る
しかし、やがて 時を経ずして展開された明治維新大業の魁となり、現代日本繁栄の原動力となった事は、その後の歴史が物語つている
東 吉 野 村
東吉野村天誅組顕彰会
吉村寅太郎の墓へ。鷲家川を渡る。
見返し
吉村寅太郎の墓
ここも大きな岩
湯ノ谷墓所 カギはかかっていません。トイレと同じように開けたら閉める。
維新の魁(さきがけ) 天誅義士
藤本津之助(鉄石) 福浦元吉 松本謙三郎(奎堂) 村上万吉 森下猪久馬(幾馬)
諸霊 永眠之處 (湯ノ谷)
川を渡ってすぐ左。
墓石に従四位から正五位と刻まれています。
背面から
お墓から入口方向
厳重にフェンスで囲われた桜。今年で天誅組義拳から160年。
松本奎堂生誕の地の桜
東吉野村と愛知県刈谷市は明治維新の魁となった「天誅組」ゆかりの地です。
平成25年(2013年) 7月1日、文久3年(1863年)の天誅組義拳から150年を 契機として、天誅組の研究・顕彰事業を中心に、両自治体の友好を更に深 め、歴史・文化を大切にしたまちづくりを進めるため「ゆかりのまち友好 市町村盟約」を締結しました。
この桜は、 刈谷市出身の天誅組総裁 松本奎堂生誕の地の桜から取り木されたもので、盟約を記念して平成27年(2015年)12月に植樹しました また、同年11月には、本村の松本奎堂戦死の他(大字伊豆尾)の桜の種から 育てた苗木が、刈谷市のセントラルパーク、松本堂生誕の地及び亀城公園に植樹されました。
さらに平成30年(2018年)5月には、奎堂戦死の地よ り挿木したカスミザクラと本村指定の天然記念物 宝蔵寺のシダレザクラ を培養した苗木が刈谷市歴史博物館に植樹されました。
5,6人の大人が川を見るでもなく何もしないで立っています。
キノコの様な何の暖簾のかかったお店からエプロンをしたおばさんが立っている人に声をかけ店の中へ。
残りの人も連れられてお店に入っていきます。
奇麗な車が何台も駐車していた理由が判りました。食事の順番待ちでした。
店の右端に積み上げてあるのはキノコの栽培用のビンの様です。
前半終了。
17日は抗がん剤点滴ですから2日間は完全にダウン、さらに2日間は無気力になります。