国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

20系寝台車の思い出などなど

2008-03-23 23:45:55 | 国鉄思いで夜話
20系寝台車といえば、登場当時は「動くホテル」揶揄されるほど優れた設備を持った列車といわれたものです。
たしかに、あの優雅な丸い屋根は、今でも魅力的ですが、幅52cm、3段の寝台車は現在の水準では決して快適とは言えず、開放式A寝台車などは、個室志向の高まる現在では快適な車両とは言えなくなってしまいました。

ただ、当時のクーラーもない時代を考えると完全冷暖房の車内はやはり快適だったと思いますし、それ以上に人の温かみが感じられる車両でした。

さらに、この20系という客車、昔の客車の伝統を受け継いだのか、電車やそれ以後の客車では当たり前になった自動ドアが付いていませんでした。

かといって、走行中にドアが勝手に開くのかというとそういうことはなく、電磁弁によりある程度の速度になると自動的にロックが降りてきて施錠するようになっていました。
 ただし、ドアの開閉自体は手動であったため、開放したドアを閉じなくても運転は可能でした。

ただ、当時は列車ボーイ【後の車掌補】が乗務していたため、こういったトラブルは起こらなかったのではと推測されます。

ここで、列車ボーイのお話が出たのですが、昔の寝台特急などでは、列車給仕が乗務しており、白い詰襟服に、黒い腕章で(給仕・下に英文字でboy)と記されていました。

おもな仕事は、1・2等乗客の案内や、寝台車における設営、車内の清掃などがおもな仕事で、それ以外にも、電報の取次ぎなどの仕事も行なっていたようです。

さて、この列車ボーイ【車掌補】ですが、昭和39年の東京オリンピックを前に画期的なことを発案します。

さて、何だったのでしょうか?

さて、この続きは明日にでも書かせていただきます。

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