国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

583系電車の思いで 後編

2008-04-08 01:42:25 | 国鉄思いで夜話
世界初の寝台電車、583系は登場当時は国鉄の救世主と大変もてはやされて孝行息子として愛されたのですが、他の電車の倍以上一日に走るわけですから、他の電車よりも老朽化が進む計算となりますよね。

当時の国鉄車両の寿命は、特急車両16年、その他車両20年、新幹線は10年と言われていました。

特に、新幹線の10年は極端に短いような気がしたのですが、当時は新幹線は高速運転をしておりかつ、走行距離も長いため老朽化が激しいので早い目に取り替えると言う理屈をそれとなく納得しながら聞いていたのですが、JR西日本に移行してからの0系は不老長寿の薬を飲んだのか、30年近く運転する0系もいる訳で、10年寿命説はもはや何だったのかと思ってしまいますよね。

JR西日本には、きっと不老長寿の漢方薬を車両に使ってるんだろうな。
・・・なわけないか、でも、今でも急行「きたぐに」やシュプールに使っていますからね。
ということで、誕生から40年近く経とうとしている583系もあれば、国鉄末期の59年に改造された仲間もいますよね。

今日は、583系から改造された仲間たちにスポットをあてて見たいと思います。



みなさんは、こんな食パン顔の電車見たことありますか?

これは、現在も北陸本線で走っている電車なんですけど、これが583系寝台電車の改造された姿なんですよね。

JR東日本とJR九州にも同じ仲間で交流専用の仲間がいたのですが、不老長寿の薬を飲めなかったので早々と解体されてしまいました。

ところで、この食パン電車がどうして誕生したかをお話してみたいと思います。

話せば長くなるので、この辺で・・・・おいおい。未だ何も話していないって。

実は、この電車の誕生には国鉄改革が色濃く反映されているのです。
昭和58年、国鉄は民営化の方向で大きく舵を切り始め、大幅な設備投資の抑制、貨物ヤード系輸送の全廃などで、全国的に機関車が余り始めました。さらに従前であれば貨物輸送の帰りで客車を牽引など、無駄のない運用が組めたのがそれも不可能となりました。

そこで、電車を新製しようとしたのですが、総事業費が抑制されているため電車の新製もままなりません、さらに追い討ちをかけるように、当時583系電車はかなり余っていたのも事実でした。

そこで、3両程度の編成にした、不足する先頭車はメーカーで作ってもらい、ドッキングさせるという経費は係るが確実な方法が取られたのです。

これが、419系他の仲間たちの誕生の発端のですが、この車両たち本当はとっても短い寿命の元生まれたのです。
さあ、この続きはまた明日のよるにさせていただきますネ。


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