国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

懐かしの新快速 物語

2008-04-18 06:50:49 | 国鉄思いで夜話
皆さん、おはようございます。

寝台特急物語、少しネタ切れなので現在取材中です。苦笑

さて、今日は皆さんもなじみの深い、新快速のお話などをしてみたいと思います。

新快速のことは僕の方が詳しいよという方も多いと思いますがしばしお付き合いくださいね。

新快速という名称が誕生したのは、遡ること38年、昭和45年のことでした。

昭和45年、何があったか覚えていますか?

月の石を見るために何時間も並んだ・・・・そんな記憶がある方も多いのではないでしょうか。

そう、日本万国博覧会が開催された年ですよね。

この年、万博終了後に10月改正で「京都~西明石間」に1時間一往復、計6往復が設定されたのが最初でした。
当時の停車駅は、大阪・三ノ宮・明石のみという俊足?であり、京都~大阪間29分運転はこの頃からの伝統でした。

このとき使用された車両は、113系スカ色、スカ色といって解るのは鉄道マニアの人だけだと思いますね、ごめんなさい。

横須賀線に使用されている車両は伝統的に青色とクリーム色の塗装をまとっており、一般的に親しまれている湘南色(緑とオレンジ)と並んで当時の国鉄では最もポピュラーな塗装の一つでした。

万博輸送に際して、実はこの横須賀色でかつ冷房改造された車両【おそらく試作改造車だったと思う】を転用させて万博輸送時の専用快速に充当した車両の有効活用を図る目的で設定された列車種別で、当時の大阪鉄道管理局権限で設定した列車でした。
(当時は、通勤輸送列車は管理局権限、長距離列車は本社設定ダイヤという棲み分けが出来ており、現在のように新快速が普通電車を追い抜くことは出来ませんでした。

考えてみたら、冷房もままならない時期に、冷房化された電車が有るわけですから、何としても有効活用したかったというのもあったのではないでしょうか。

ちなみに、当時東京の中央線には「特別快速」という名称の快速の上位に位置する電車が存在していましたが、大阪鉄道管理局はこれを嫌って、「新快速」という名称を与えました。
ただ、本社はあまりよく思っていなかったようで、昭和45年10月の時刻表を見ると、時刻表のニュース欄には「新快速運転開始」と書いているのですが、時刻表を開くと「特別快速」の文字が光っています。
おそらく、誤植ではなく、本社が最後まで「新快速」を認知しなかったからではないかと勝手に推測しています。

そんな、こんなで、113系冷房付きの豪華な?新快速はその歴史を関西に刻み始めたのでした。

次回は、153系新快速の頃のお話をしたいと思います。

・・・・また、濃い日記を書いてしまった。(^^ゞ

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2 コメント

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新快速 (taka)
2010-03-11 02:28:50
はじめまして。
通りすがりですが、ひとつだけ気になる点が。

新快速113系。
冷房試作車は、万博の前にすでに出来てましたよ。

大阪駅で湘南色の7連が写ってる写真があります。(試運転)

スカ色新快速でも、殆どが非冷房でした。
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Unknown (Unknown)
2010-03-21 23:08:53
takaさん、コメントありがとうございます。
当時は和歌山に住んでいたため、冷房試作車の点は、私も文献等で知った程度の話ですので、間違っている部分はどんどんとご指摘ください。

万博前にはすでに有ったということですか、詩作冷房車は、103系のように冷房ダクトに扇風機がついているタイプだったと思うのですが記憶違いでしょうか?
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