皆様こんばんは、本日も国会審議からアップさせていただきます。
当時の国鉄改革の審議で一番問題になったのは、ローカル線問題。
既存のローカル線もそうでしたし、未成線の接続する中村線が、土佐くろしお鉄道に転換されており、土讃線として編入されていれば問題はなかったのでその辺は疑問が残るところです。
○平石委員からの質問で、「この選定基準、これは既設線についてのことでございますが、この基準の政令事項をちょっと見させていただきました。これもまことに不明確と言わざるを得ません。そして、その骨子となるものは輸送密度、八千人とか四千人、二千人とか、輸送密度で画一的に決めていこうというお考えのようです。」
実際、赤字83線の時も基準は決めてあったのですが、結局地元の反対が強く。
当時は転換に対しての交付金等の問題以上に田中角栄首相の日本列島改造計画もあって、ローカル線問題は有耶無耶になってしまった経緯がありました。
当時は、基本的にはローカル線建設は鉄道建設公団が行い、新幹線に関しては、上越新幹線を鉄建公団が、東北新幹線は国鉄の直轄で建設工事を行っていました。
さて、鉄道建設公団が建設する路線を今一度整理させていただくと、鉄建公団が関わる工事路線は下記のように分類されます。
工事線は地方開発線(A線)、地方幹線(B線)、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)、海峡連絡線(青函トンネル、E線)、新幹線(G線)、民鉄線(P線)
さて、そこで建設される地方ローカル線、俗にいうAB線は、建設後国鉄に無償で譲渡されました。
無償譲渡と言っても、国鉄時代の簡易線などではなくて高規格路線に準ずるような高架橋やコンクリート桁など非常に建設費も維持費もかかるもので、それでいて赤字は必至の路線を無理やり押し付けていたということになります。
その反面、儲かる路線湖西線などは、CD線として有償貸与であり30年年賦で支払うこととされておりこれまた国鉄の経営を圧迫することとなりました。
少しだけ、脱線して鉄道建設公団が設立された経緯を簡単にお話をしてみたいと思います。
元々、鉄道建設は鉄道敷設法に基づき建設されるべきものとされ、古くは明治42年頃に遡る古い法律でした、時々改正されてその都度新しい線路が追加されていったものです。
昭和30年代、国鉄は黒字でしたが輸送力の増強と施設の改善に努めていました、そんな中儲からないローカル線の建設はどうしても後回しになるため、業を煮やした田中角栄が新線建設を渋る国鉄に代わって鉄道を敷設する組織として鉄道建設公団を作ることとし、そこで新幹線以外の鉄道建設を引き継がせることになりました。
これにより、国鉄の予算とは別会計でローカル線などの鉄道建設は進みましたが、その反面赤字必至の路線を無理やり引き受けさせられる立場となり、その逆に収益が上げやすい路線では高額な線路使用料を払うこととなるため、国鉄の財政はさらに困窮することとなりました。
ここで追記させていただきますと、実は鉄道建設公団に対して、国鉄は毎年拠出金を払っていました。
簡単に言えば、建設費用を鉄建公団に支払っていたことになります。
この鉄建公団への拠出金は、国鉄が赤字に転落した昭和39年以降も続けられており、しばし問題となっていました。
一まで拠出していたのか、もう少し詳しく調べていく必要がありますが、国鉄に対するタカリ体質とでも言うのでしょうか、そうした点をきちんと考えていかないと、国鉄問題を研究するときに最初から違うボタンをかけてしまうことになりかねません。
さて、再び国会審議の内容に戻りましょう。
> 、土讃線が一本でございますから、台風常襲地帯としてここに被害が出ますと、鉄道はとまる。そのサイドを国道が走っておる。鉄道がつぶれるということになりますと、国道も一緒に交通途絶になるわけです。海上も行けません。空路も飛ばなくなるというまさに陸の孤島になるわけです。
> そういうことを考えたときに、やはり高知県は循環線としての予土線、これはあくまでも今回の第三セクターといった形でなしに、国の選定基準の中で国鉄の経営をもってやってほしいと思うわけですが、これについて明確にお答えをいただきたい。
以下は、中村線の第3セクター化に伴うことを指しているものと思われます。
下記の平石議員が質問しているように、代替道路の未改修等に伴う鉄道存続に関しては認められて、名松線や、朱鞠内線、只見線等は残されましたが、朱鞠内線のようにその後代替道路が整備され等々の理由で廃止された路線もあります。
> ○平石委員 ここは、御案内と思いますが、三百八十一号線という道路があります。これは国道です。だが、悪路です。非常に悪いのです。いま改修をして、拡幅もしておりますが、二八%しかいっておりません。そして、この六十キロ、七十キロというものをバス運行ということは不可能なところです。だから、この基準の中にいわゆる除外するところのものがございますが、こういったその地域の状況等を判断をして、単なる人数の画一的なことではなしに、やはりそういった特殊事情を判断して配慮していただけるかどうか、一言お伺いしたい。
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blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era
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********************以下は本文になります。*********************************
○平石委員 私の方では新線建設があるのです。ところが、幾らお伺いをしてもいまのような話。鉄建公団の方も運輸省の方へそういった話を持っていっておるのか。ただ唯々諾々と――陳情がいっておるはずですよ。
私は時間がございませんのでこの程度で終わらしていただきますが、この法案を通そうとする姿勢が本当に親切であるのなら、いま申し上げたように、第三セクターはこういう内容のモデルです、そして新線建設についてはやらす、これが本当の行き方じゃないかと私は思うのです。そういうことを強く指摘をいたしておきます。
それから、この選定基準、これは既設線についてのことでございますが、この基準の政令事項をちょっと見させていただきました。これもまことに不明確と言わざるを得ません。そして、その骨子となるものは輸送密度、八千人とか四千人、二千人とか、輸送密度で画一的に決めていこうというお考えのようです。
私が申し上げたいことは、これは高知県のことでございますけれども、御案内のとおり、いま高知県には鉄道は土讃線が一本です。そして、大正十一年以来、県民の悲願として循環線の建設をずっと運動し、お願いをしてきた。そして、まあどうにかこうにか予土線が江川崎との間に六年前に開業されたわけです。そして、土讃線が一本でございますから、台風常襲地帯としてここに被害が出ますと、鉄道はとまる。そのサイドを国道が走っておる。鉄道がつぶれるということになりますと、国道も一緒に交通途絶になるわけです。海上も行けません。空路も飛ばなくなるというまさに陸の孤島になるわけです。
そういうことを考えたときに、やはり高知県は循環線としての予土線、これはあくまでも今回の第三セクターといった形でなしに、国の選定基準の中で国鉄の経営をもってやってほしいと思うわけですが、これについて明確にお答えをいただきたい。
○山地政府委員 予土線の具体的なケースでございますので、今後政令の基準が明確になりました段階で、これが特定地方交通線になるかどうかという判断をいたしたいと思います。(平石委員「もっとはっきり言わぬとわからぬ」と呼ぶ)予土線、バスに転換できるのかどうかというのは並行道路があるかどうかとか、そういったことを全部見て決定することでございますので、今後の問題だと思います。
○平石委員 ここは、御案内と思いますが、三百八十一号線という道路があります。これは国道です。だが、悪路です。非常に悪いのです。いま改修をして、拡幅もしておりますが、二八%しかいっておりません。そして、この六十キロ、七十キロというものをバス運行ということは不可能なところです。だから、この基準の中にいわゆる除外するところのものがございますが、こういったその地域の状況等を判断をして、単なる人数の画一的なことではなしに、やはりそういった特殊事情を判断して配慮していただけるかどうか、一言お伺いしたい。
○山地政府委員 たびたび繰り返して申しわけございませんが、政令の基準という中に、いまのような並行道路があるかどうかという規定を私どもとしては設けたいと思っておりますので、その規定と、いまおっしゃった線の道路事情というものとを比べて、どういうふうになるかということを判断していかなければならない、かように考えております。
○平石委員 そういった配慮をして、その基準の中で配慮する、いまこういうようなお答えと理解できたわけですが、特にこの線は、もちろん輸送密度の面については御心配かける点があろうと思いますが、特に西南地域の開発に一つの大きな、主要ないわば幹線になるわけですから、先ほども国土庁との論議がありましたが、そういったことを勘案の上、ひとつ予土線については国鉄で運営をするという方向に強く要望したいと思います。
時間が来ましたのでこれで終わらせていただきますが、また今度本会議後に質問、こういうことになりまして非常にやりにくいのですけれども、またよろしくお願いしたいと思います。
当時の国鉄改革の審議で一番問題になったのは、ローカル線問題。
既存のローカル線もそうでしたし、未成線の接続する中村線が、土佐くろしお鉄道に転換されており、土讃線として編入されていれば問題はなかったのでその辺は疑問が残るところです。
○平石委員からの質問で、「この選定基準、これは既設線についてのことでございますが、この基準の政令事項をちょっと見させていただきました。これもまことに不明確と言わざるを得ません。そして、その骨子となるものは輸送密度、八千人とか四千人、二千人とか、輸送密度で画一的に決めていこうというお考えのようです。」
実際、赤字83線の時も基準は決めてあったのですが、結局地元の反対が強く。
当時は転換に対しての交付金等の問題以上に田中角栄首相の日本列島改造計画もあって、ローカル線問題は有耶無耶になってしまった経緯がありました。
当時は、基本的にはローカル線建設は鉄道建設公団が行い、新幹線に関しては、上越新幹線を鉄建公団が、東北新幹線は国鉄の直轄で建設工事を行っていました。
さて、鉄道建設公団が建設する路線を今一度整理させていただくと、鉄建公団が関わる工事路線は下記のように分類されます。
工事線は地方開発線(A線)、地方幹線(B線)、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)、海峡連絡線(青函トンネル、E線)、新幹線(G線)、民鉄線(P線)
さて、そこで建設される地方ローカル線、俗にいうAB線は、建設後国鉄に無償で譲渡されました。
無償譲渡と言っても、国鉄時代の簡易線などではなくて高規格路線に準ずるような高架橋やコンクリート桁など非常に建設費も維持費もかかるもので、それでいて赤字は必至の路線を無理やり押し付けていたということになります。
その反面、儲かる路線湖西線などは、CD線として有償貸与であり30年年賦で支払うこととされておりこれまた国鉄の経営を圧迫することとなりました。
少しだけ、脱線して鉄道建設公団が設立された経緯を簡単にお話をしてみたいと思います。
元々、鉄道建設は鉄道敷設法に基づき建設されるべきものとされ、古くは明治42年頃に遡る古い法律でした、時々改正されてその都度新しい線路が追加されていったものです。
昭和30年代、国鉄は黒字でしたが輸送力の増強と施設の改善に努めていました、そんな中儲からないローカル線の建設はどうしても後回しになるため、業を煮やした田中角栄が新線建設を渋る国鉄に代わって鉄道を敷設する組織として鉄道建設公団を作ることとし、そこで新幹線以外の鉄道建設を引き継がせることになりました。
これにより、国鉄の予算とは別会計でローカル線などの鉄道建設は進みましたが、その反面赤字必至の路線を無理やり引き受けさせられる立場となり、その逆に収益が上げやすい路線では高額な線路使用料を払うこととなるため、国鉄の財政はさらに困窮することとなりました。
ここで追記させていただきますと、実は鉄道建設公団に対して、国鉄は毎年拠出金を払っていました。
簡単に言えば、建設費用を鉄建公団に支払っていたことになります。
この鉄建公団への拠出金は、国鉄が赤字に転落した昭和39年以降も続けられており、しばし問題となっていました。
一まで拠出していたのか、もう少し詳しく調べていく必要がありますが、国鉄に対するタカリ体質とでも言うのでしょうか、そうした点をきちんと考えていかないと、国鉄問題を研究するときに最初から違うボタンをかけてしまうことになりかねません。
さて、再び国会審議の内容に戻りましょう。
> 、土讃線が一本でございますから、台風常襲地帯としてここに被害が出ますと、鉄道はとまる。そのサイドを国道が走っておる。鉄道がつぶれるということになりますと、国道も一緒に交通途絶になるわけです。海上も行けません。空路も飛ばなくなるというまさに陸の孤島になるわけです。
> そういうことを考えたときに、やはり高知県は循環線としての予土線、これはあくまでも今回の第三セクターといった形でなしに、国の選定基準の中で国鉄の経営をもってやってほしいと思うわけですが、これについて明確にお答えをいただきたい。
以下は、中村線の第3セクター化に伴うことを指しているものと思われます。
下記の平石議員が質問しているように、代替道路の未改修等に伴う鉄道存続に関しては認められて、名松線や、朱鞠内線、只見線等は残されましたが、朱鞠内線のようにその後代替道路が整備され等々の理由で廃止された路線もあります。
> ○平石委員 ここは、御案内と思いますが、三百八十一号線という道路があります。これは国道です。だが、悪路です。非常に悪いのです。いま改修をして、拡幅もしておりますが、二八%しかいっておりません。そして、この六十キロ、七十キロというものをバス運行ということは不可能なところです。だから、この基準の中にいわゆる除外するところのものがございますが、こういったその地域の状況等を判断をして、単なる人数の画一的なことではなしに、やはりそういった特殊事情を判断して配慮していただけるかどうか、一言お伺いしたい。
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○平石委員 私の方では新線建設があるのです。ところが、幾らお伺いをしてもいまのような話。鉄建公団の方も運輸省の方へそういった話を持っていっておるのか。ただ唯々諾々と――陳情がいっておるはずですよ。
私は時間がございませんのでこの程度で終わらしていただきますが、この法案を通そうとする姿勢が本当に親切であるのなら、いま申し上げたように、第三セクターはこういう内容のモデルです、そして新線建設についてはやらす、これが本当の行き方じゃないかと私は思うのです。そういうことを強く指摘をいたしておきます。
それから、この選定基準、これは既設線についてのことでございますが、この基準の政令事項をちょっと見させていただきました。これもまことに不明確と言わざるを得ません。そして、その骨子となるものは輸送密度、八千人とか四千人、二千人とか、輸送密度で画一的に決めていこうというお考えのようです。
私が申し上げたいことは、これは高知県のことでございますけれども、御案内のとおり、いま高知県には鉄道は土讃線が一本です。そして、大正十一年以来、県民の悲願として循環線の建設をずっと運動し、お願いをしてきた。そして、まあどうにかこうにか予土線が江川崎との間に六年前に開業されたわけです。そして、土讃線が一本でございますから、台風常襲地帯としてここに被害が出ますと、鉄道はとまる。そのサイドを国道が走っておる。鉄道がつぶれるということになりますと、国道も一緒に交通途絶になるわけです。海上も行けません。空路も飛ばなくなるというまさに陸の孤島になるわけです。
そういうことを考えたときに、やはり高知県は循環線としての予土線、これはあくまでも今回の第三セクターといった形でなしに、国の選定基準の中で国鉄の経営をもってやってほしいと思うわけですが、これについて明確にお答えをいただきたい。
○山地政府委員 予土線の具体的なケースでございますので、今後政令の基準が明確になりました段階で、これが特定地方交通線になるかどうかという判断をいたしたいと思います。(平石委員「もっとはっきり言わぬとわからぬ」と呼ぶ)予土線、バスに転換できるのかどうかというのは並行道路があるかどうかとか、そういったことを全部見て決定することでございますので、今後の問題だと思います。
○平石委員 ここは、御案内と思いますが、三百八十一号線という道路があります。これは国道です。だが、悪路です。非常に悪いのです。いま改修をして、拡幅もしておりますが、二八%しかいっておりません。そして、この六十キロ、七十キロというものをバス運行ということは不可能なところです。だから、この基準の中にいわゆる除外するところのものがございますが、こういったその地域の状況等を判断をして、単なる人数の画一的なことではなしに、やはりそういった特殊事情を判断して配慮していただけるかどうか、一言お伺いしたい。
○山地政府委員 たびたび繰り返して申しわけございませんが、政令の基準という中に、いまのような並行道路があるかどうかという規定を私どもとしては設けたいと思っておりますので、その規定と、いまおっしゃった線の道路事情というものとを比べて、どういうふうになるかということを判断していかなければならない、かように考えております。
○平石委員 そういった配慮をして、その基準の中で配慮する、いまこういうようなお答えと理解できたわけですが、特にこの線は、もちろん輸送密度の面については御心配かける点があろうと思いますが、特に西南地域の開発に一つの大きな、主要ないわば幹線になるわけですから、先ほども国土庁との論議がありましたが、そういったことを勘案の上、ひとつ予土線については国鉄で運営をするという方向に強く要望したいと思います。
時間が来ましたのでこれで終わらせていただきますが、また今度本会議後に質問、こういうことになりまして非常にやりにくいのですけれども、またよろしくお願いしたいと思います。
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