国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

衆-運輸委員会-11号 昭和58年05月18日 第5話

2014-09-15 09:00:00 | 国鉄関連_国会審議
皆様、おはようございます。
今日も、衆議院の議事録からご覧ください。
今回は、特定地方交通線の定義について質問事項がなされています。
現在の多くの地方の第3セクター鉄道は、いわば国鉄ローカル線のから派生したものですが、当時はここに書かれているように地方自治体と協議会が開催されていました。
そこで、よく行われたのがさくら乗車、老人会などに働きかけて列車に乗ってもらうというものでしたが、継続的に行えるものでもなく。結局最後は廃止に同意するか、第3セクター鉄道野道を選ぶか・・・転換交付金は入ってきますが、国鉄の手を離れることになります。
国鉄のままでしたら、線路の延長に応じて地方納付金が国鉄から支払われたので、言わば誰も乗らない線路でも、あればそこは金を生む金の卵だったんです。
そういった背景も知りながら読んでいただければいいかなと思います。


○野坂委員 五十二年から三年間平均で二千人以下、それを特定地方交通線に指定をしておる。したがって、協議会を開催して一年間の平均密度は二千人以上であるということが確認された。そして半年間は中断をして、半年後に対策協議会が開催をされる。いうなれば一年半は二千人というものが確保できたという現実がある。その場合はいろいろと考えてみるというお話だけでは第三者的には客観性がない。全体の対策協議会の中でこの問題については定着性と継続性が一年半の経験の中からあったということになれば、いわゆる地方交通線とは言いません、特定地方交通線である四千人未満の中に組み入れるべきであるというのが論理である、私はそう思う。そうでなければ何のために地域の諸君たちが努力をし、協力をし、あるいは学校や工場や住宅を建てるのか、こういういわゆる過疎から脱皮しようとする住民の期待にこたえていくことにはならぬ、私はそう思います。そういう意味で客観性を帯びた期間というものは一年半、こういうふうに判断をすべきが当然だと私は思いますが、運輸大臣はどうお考えですか。――ぼくは運輸大臣に聞いておるんだ、永光君。事務当局に聞いておるんじゃない。政治家に聞いておるんだ。

○永光政府委員 先生にお断りしておきますが、要するに基準年度以外の年次におきまして超えるということにつきまして配慮をするというのは、特に法令上そういうふうに定まったわけでもございませんし、これは御存じと思いますけれども、政令をつくりますときに都道府県、地方公共団体に非常に要望があって、そういうバランス上から何か特別に考えてくれないかというお話があって、したがって、そういうふうに定着なり継続性を見た場合は考慮をする、その考慮の方法としては、協議会を中断して見守るということは一つの考え方としてとりましょうということでやっておるわけでございまして、いま先生おっしゃいますように、それをもちまして、ある一定の輸送密度を超えたから一年半たったら直ちに基準年次は別として特段の取り計らいをするようにというわけにはなかなかまいらないので、運用上はそれぞれの個別線におきまして、客観的な事情としてそういうことであればわれわれも考えたいということを申しておりますし、それは原則として半年ごとに検証しながらその協議会を中断し、その間は線がなお保持される、一応期間的に見て半年ごとに検証するというのが客観的ではないかというのが一般論でございます。したがって、個別的な線としてどうだというお話については、またそれぞれその協議会において、なぜそれが二千人を超えたか、しかもそれが一年半なり二年続いたかということを地元で御議論になる、こういうことだと思います。

○野坂委員 特段の配慮をするというのは、どの程度まで二千人以上になれば特段の配慮をするのですか。これは一般論である、こうお話しになった。個別問題。たとえば私のところは若桜線という線区を持っております。一年間の平均は二千人以上であります。したがって中断をするであろうと思います。その場合はただ単に二年の協議期間を半年延ばして二年半にするということでなしに、四千人未満の中に繰り入れろ。決して私は横やりを入れておるわけじゃない。法の道理を申し上げているわけです。原則を話しておるわけです。その場合は当然四千人未満に入るのだが、一年半ではだめだというなればその期間をお示しをいただきたい。何年たったら四千人未満の中に――二千人以上に繰り上がれば当然四千人未満の中に入るわけでありますから、その中にはいつ、どの程度期間があれば入るということになりますか。明確にお答えをいただきたいと思います。
 私が言っているのは矛盾ないでしょう、大臣。四千人未満と二千人とあって、二千人から上回ったわけですから、五十二年から三カ年間の平均だというように固執しないで、特段の配慮をするということを私に予算委員会で明確に答えておるわけですから、それに対しては当然四千人未満の中に組み込むということになるのではありませんか。特段の配慮の期間、それについて明確にしてもらいたい。

○永光政府委員 二千人未満ということで特定地方交通線を設定しておりまして、若桜線につきましては少なくとも五十二年から五十四年までの基準年度には合致しておるわけでありますので、五十二年から五十四年までに二千人以上あるいは四千人未満という線とは別途の取り扱いということでありますので、その線が四千人から二千人の線になるということではないというように私は考えております。協議会を中断して、二年間で廃止申請ができるという規定をその間検証するために延ばすということは、他の地方交通線との均衡等から見て慎重にわれわれは取り扱わなければならないと思いますので、そういう意味で特段の配慮と申しましても、実際上二千人を超えたような実情で長く利用があるということが客観的にあった場合には、特段の配慮として協議会を中断する等の措置によって模様を見るということをわれわれは考えておる、こういうことでございまして、現実に四千人の取り扱いにというわけにはちょっとまいらないと思います。

○野坂委員 私はよく理解ができませんが、時間がありませんから、最終的に運輸大臣の御答弁をいただいて終わりたいと思うのです。特定地方交通線というのは四千人以下です。第一次特定地方交通線ということで廃止の方向を打ち出しましたのは二千人未満。二千人を超えれば四千人の枠に入るのであります。これが順当な理論であります。したがって、一年たってその状況を見て中断する、そして一年半たった、さらに二千人以上が続いたということになれば、地域住民の熱意、いわゆる国鉄に対する協力、そういうものを考えて四千人未満という取り扱いをするのが私は当然だろうと思います。国鉄は、五十二年から五十四年までの三年間の基準年次を決めて二千人以下だったんだから何が何でもと言います。しかし、これから私が質問しようとする五十九年二月のいわゆる貨物列車の問題についても、当初とは大きく状況が変わっておる。当時われわれに約束したことと変えた方針というものを打ち出しておる。だから、国鉄も状況が変化をしておるというこの実態
を踏まえて、現時点ではどうかということを最も重要視すべきではないのか、そういうふうに思います。私が予算委員会の分科会で長谷川運輸大臣にお尋ねをすると、その一年間で定着性と継続性があるかどうかについては前向きに検討するということをあなたはお答えになったのです。したがって、いますぐは答えられないが、検討するということでありました。あれから約三カ月間たちました。したがって、この辺で、私が当時質問をした、定着性と継続性に対する考え方、そしてそれは一年半、私は一年ということを申し上げましたが、客観的に見て継続性と安定性があるならばもう半年間は中断をして様子を見る、せめてこの程度は譲歩しなければならぬと思います。したがって、一年半たてば大体特段の配慮はしたい、こういうふうにお考えでありましょうか、お尋ねをして、この問題については終わりたいと思います。

○長谷川国務大臣 そういう路線を持っておる先生方の御苦心のほどがわかるわけでありますが、何さま二千人というのを一つの区切りにしてやっております。しかしまた、鉄道をそういう機会に愛し、利用しようとする熱意があって、その二千人を超えている、こういう姿も地方で私も見ます。しかし、二千人を時折超えたからといって、四千人の枠の中に無理矢理入れるというのもおかしいことであります。ですから私は、そうした問題などは、やはり最初の原則をよくお気づきの上に、いかにしてその二千人というものがずっと継続することによってほかの方々の御理解ある物の考え方、見方、その中にお互いの国鉄再建の問題等々を解釈していかなければいかぬ。先生のように運輸関係にお詳しい方、二千人が二千何百人になったからそれを四千人の枠に入れろと言うても、ほかの鉄道を持っている諸君がこれはまた疑問を持つわけでありまして、その辺はひとつあなたの方もよくお考えのほどをお願いしたいと思います。

○野坂委員 そういうすれ違いではないのです。私は、時間がなくて多くを申し上げられませんけれども、あなたのところの基準は、地方交通線は八千人ですね。八千人未満を地方交通線ということはちゃんと書いてある。特定地方交通線というのは四千人未満と書いてある。第一次特定地方交通線、第二次特定地方交通線というのは二千人未満となっている。条件は三つあります。二千人を超えれば、二千五百人というのはない。四千人なんです。二、四、八となっている。だから、二千人を超せば四千人の枠しかないのです。だからその場合、超せば四千人になる以外ないじゃないですか、こう言っているのですから、それでは二千人に下がるまで待とうと、十年間も十五年間も待って、二千人になったら二千人になったというようなやり方では、愛情のある国鉄、公共性のある国鉄とは言えません。だから、四千人という枠の中に入らざるを得ないじゃないですか、こう言っておるのです。その点については十分御検討いただきたいと思いますが、再度運輸大臣の御答弁をいただきます。

○長谷川国務大臣 二千人よりよけいだから四千人の枠に入れろと言うても、しかし、それは調べてみれば、二千人の枠の中に入っている諸君が、ちょっと超えたからといって四千人の枠の中に入れるというのも、これもなかなか、私はあなたに名回答をできないのは非常に残念でございます。

○野坂委員 検討しますか。

○長谷川国務大臣 私一人が検討――材料を集めてみましょう。

○野坂委員 材料を集めて検討しますか。

○長谷川国務大臣 検討と言われても、日本国じゅう全国的にみんな影響することですから、私はそういう場所のあることは勉強いたしますけれども、その勉強が全国的に響くことは大変影響があることでございますので、ただ、明言はできないことが残念です。

○野坂委員 資料を集めて勉強するということは、検討するということではありませんか。

○永光政府委員 もう何遍も申しておりますけれども、要するに二千、四千、八千という区別というのは、一つの基準年次によって決めてある一つのカテゴリーの中に入っておるわけでございますので、いま先生のお申し越しの線につきましても、二千人組ということは、もうこれは明らかなわけでございます。したがって、それを四千人組にするということも、五十二年から五十四年の一つの実績に基づいておりますので、それは無理だと私は思います。二千人組についてはそういうことなんだということは決まっておって、法令上もそうなっておるのでありますが、実際上二千人を超えたらどうだというお話が需要者側からあったので、それなら協議会の中断等によってわれわれとしては若干の対応をいたしましょうということは、二千人組の中で若干の特別の取り扱いをするということが、いまわれわれのできる、法令の中でのできるだけの運用上の範囲なのでございますので、その点は十分御理解願いたいと思います。

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