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引き続き公企労レポートからの引用をつづけていきます。
以下、公企労レポートからの引用です。
【ことに動労は既に新事業体を意識した新しい民間型労使関係を予見した運動を展開し、第二次共同宣言にもその点が鮮明になっていますが】愈々(いよいよ)向かえる新事業体の労働運動の基本、方向性について・・・】
私は労働運動はう一方的なものではないと思います。ワンサイドのものではなくて相関関係で成り立つので、それが労使関係としての労働運動だと思うんです。ですから質のいい労使によって初めて質のいい労使関係がつくられると、そういう意味では、かって親方日の丸意識を労使双方が明らかに脱却したと私は思います。過去形で語ってもいいと思います。新事業体の中での労使関係は、正々と理路整然たるものが必ずなってくると思うんですね。
ですから俺の面子をどうしてくれたとか、俺の組織を同してくれたとか、そういう個人の利害関係、これに基づく労使のトップないしはそれに近い人達の、俺をどうしてくれるんだという、こういう非常にケチ臭い、自分の利益ということから発想するのが、大組織の中でも労使の中にもあったものです。こういう情緒的なものを越えるのはやはり論理なんです。理路整然たる論理が屈託なくできる。そういう保証がほぼ与えれつつあるという気がするんです。そうしますと明確な政策を組合の側が提起しまして、当局の側も長期に亘る政策を出すべきだと思うんです。
今どうするというだけでなく、五年先、六年先まで見通した政策を出していかなければいけない。厳しい競争場裡で生きていくのですから、常に先を読んで創意性を持った労使でなければいけない。ですから組合側が出したものにノーとか、反対とかではなく、間違っていたら「いやそうではなくてこうすべきだ」という明確な反対論を具体論として示さなければいけないと思います。また、当局側会社側は組合が提起した政策や方針にそれが反対だったら、なぜかということ、どうすべきかという説得力を持たなければいけないと思いますね。お互いの立場があるからまぁいいじゃないかという、この従来の国鉄における悪しき労使関係を完全に除去する。そういう意味では凄絶な戦いが始まるのじゃないかと。
裸になった凄絶な戦いですね。これはなんの許容限度も持たない正しいか、正しくないかということおt、儲かるか儲からないかということと、労使がお互い相対しうる平等であるかどうかとの関係も含めて、理にかなわない妥協の余地のない労使関係、政策によって争うという労使関係ができて初めて労組が労働組合主義になれると思います。主義をすてた労働組合主義、労働組合主義という概念をすてた労働組合が、裸のままで労働組合員の利益を守り会社と共存しうるという、そういう新しい日本の労使関係みたいなものをこれだけ悩んできた以上、他の労働組合に追従したくないと、私がここからほんとうに日本的な新しい労働組合像を作りたいと、そしてそれは可能だろうと、そんな感じが私は沸いてきているんですね。
続く
まだまだ続くのですが、ひとまず引用を終わります。
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