国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄改革のあゆみ 69

2010-07-31 06:27:09 | 国鉄改革関連
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公企労レポートからの引用を続けたいと思います。

【不幸にも国鉄労使は厳しい世論の批判を受け最悪の状態に陥った、幸いにもこれしか無い出口を求めた、厳しい環境、激しい反省の上にたった厳しい割り切り方、やり方ができたろうと思うので、民間労組でもそこまで踏み込めてはいませんね】

割り切れないから総評大会でも国労を応援する演説はありましたが、動労を応援する演説はありませんでした。しかしどう考えても現状における労使関係の中で国労が正しいと総評加盟の皆さんがそう思っておられるなら応援すればいいし、そうでなければ少なくとも一つや二つの援護があっても自然だし、それがしきれないところに総評総体、日本の労働の総体の、日本の労働の総体の弱点がると思います。それは動労が悪いのかもしれません。自分が悪いから応援演説がなかったんでしょうけども、しかしそれだけですむ問題ではない。議員になりたいとか、地位がほしいとか、そういう邪まな考えがある限り今の動労の純粋な気持ちはわかってもらえないでしょう。

【どうしてもああいう場は建前が先行して本音が全然出てこないということですね】

まあ建前を使い分けれれるのは、皆さんに余裕があるからでしょう。そういう余裕のあるところは余裕を持ってやって頂ければよろしいんで、私ら余裕がありませんからね。何といわれても、まっぱだかで生きていくより仕方ないですから。

【第二次共同宣言の中にもある、新事業体が、企業として安定するまではスト権を自粛する、という一項目がありますが・・・】

そうですね、ストライキというものは義務感や権利でやるものではなく、ただ単純に言えば労働者が労働力商品を得らないだけのことです。それは他の商品を販売する人が気にくわないから売らないというのと、値段で折り合わなければ売らないだけのことで、別に学問的に位置づけたり、悲壮感を持ったり、義務感を持ってやるべきものではなく、ごく自然体でやればいいんです。ですから労使がストライキが何だとか、言えるほど、明確な環境があればそれはそれでいいのでそうけど、国鉄以降における新会社は最低のところから出発するんでしてね。最低のところから出発するということはお互いに本音で向き合うということです。
労使が本音で向きあって、本音で議論して解決できない問題はないと私は見ています。ですからむしろ世の中に向かって評価してもらうためにとか、オベンチャラでとかそんなことでストライキ自粛という必要もないし、それから国労のように既得権として労働者階級の権利としてどうとか、そんなこと論じる暇が無い最低のところから出発するものが誠心誠意向かい合うだけのことで、その中でストライキを必要とするかといえば、私はそんな必要はないですね。だから日本に冠たる新しい労使関係を作ろうと思いますから、ストライキを自粛するとかやるとか、そういった事は当分課題にもならないと思っています。

【それは相手の考え方の有無にかかわらず、あるいは企業環境のいかんにかかわらず運動の原点をそこに置くんだということですか】

そういうことですね。相手側自身も非常に積極的に変わっています。国鉄会っくというのは経営形態か改革するというよりも、内側の労使を買えるということですから、労使が自分を変えなかった新事業体がどんな形式上立派なものであり、どんな資本金が投下されてもこれは全く意味のないことでして、私はそういう意味では今のところまだ、さまざまな不鮮明な部分とか信頼できない部分が、地方的にも部分的にも存在するけど、そんなに猜疑心を持つよりは信頼関係を今は一番大事にすればいいわけです。
私らのやれることは全てやる。このワンサイドが相手側から見てごく自然のこととうつるでしょうし、私たちのそういう行為が結局ワンサイドじゃなくて両者の合意として必ず新事業体では発足の端緒からそういうものになるだろうと信じております。疑問符があるから行動を猶予するとか、私はそういうつもりは全くないです。

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