国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 200

2011-06-15 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第二節 新会社への職員採用差別・配属差別と配転・出向攻撃
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├○三 採用国労組合員を差別的に配属│
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 東京地本における配属差別の実態

 東京地本の場合、南局の電車運転士は弁天橋に30人、東神奈川に74人、大船に64人、国府津に31人、伊東に30人いた国労組合員全員が職場から追い出され、電車のハンドルを握る国労組合員はゼロになった。東京都内では、田町、蒲田、山手電車区に国労組合員の運転士が計162人いたが、運転業務に残されたのはわずか13人にすぎなかった。ハンドルを奪われた国労の運転士は、うどん屋、コーヒーショップ、DPEなどを扱う「事業部」へ、またオレンジカード売りやセールス、ラッシュ時の尻押しなどを行う「要員機動センター」へ回された。
 こうした実態を、当日3月10日の『朝日新聞』夕刊は、九州での場合も含め次のように報じた。
 「国鉄新会社の職員の勤務先が10日、事実上決まった。が、新しい職場に胸をときめかす人がいる1一方で、思いもよらぬ配属に動揺を隠せない職員も少なくない。特に、国労(六本木敏委員長)所属の組合員に目立ち、神奈川県・大船電車区では、運転士64人の全員が現在の仕事を続けられなかった。今月1日に念願の運転士になった東京・蒲田電車区の若者3人も他の職場に配属され、ハンドルは握れない。九州では、遠隔地に配属されたことなどで新会社の採用を辞退する人も目立つ。『組合間差別がひど過ぎる。最後の国労つぶしだ』と、国労の反発は強く、新会社が最初から抱え込む火ダネとなりそうだ。
  『運転士64人の中一人も今の職場に残れなかった。23年間、横須賀線の運転士をやってきた私の配属は、東日本会社の事業部。直営売店のソバ店とか書店に回されるかも知れない。
 無事故で運転してきたことを唯一の誇りに生きてきたのに……』国労大船電車区分会のM書記長(44)は憤慨した表情で話した。ハンドルを奪われた運転士の配属先は、事業部や要員機動センターなどがほとんどだった。事業部は、直営売店の経営など鉄道業務以外の仕事を行うところで、要員機動センターは仕事の忙しい職場に応援に出る職員を集め、出改札やホームの整理などの仕事にあたる。電車の安全運行を担ってきた男たちにとっては、つらい配属だ。
  国労蒲田電車区分会でも、67人の運転士のうち、この電車区に残れたのは2人だけ。事業部や要員機動センターへ回された人が多く、今月1日に晴の運転士の資格を得たばかりの若い3人も、事業部行きを命じられた。鉄道学園で5カ月間勉強したあと、4カ月に及ぶ見習い訓練を経てようやく手に入れた資格だっただけに、ショックは大きい。その一人、Hさん(23)は『なんで、僕がこんな目に。母親は、ショックで寝込んでしまった』と言葉少なに話す。
  新会社の採用率が低かった九州の国労は、振り分けに続いて、配置転換でも遠方への配転が相次ぎ、"ダブルパンチ"を浴びた格好だ。
  3日付で北九州市の門司電力区から、佐賀県鳥栖市の鳥栖電力区へ配転になったAさん(42)は自宅から通えないため、単身赴任を決めた。『他組合の職員が遠方へ配転になった、という話は聞かないので、国労だから飛ばされたとしか思えない。
 逆に、佐世保から門司に配転を命じられた人もいるのだから、意図的なものを感じざるを得ない』と話す。
  こうした配転を発令されて、新会社の採用辞退を考えている職員も多い。国労門司地本だけでも5、6十人に達した。
  国労水戸地本では、3日に内示があった十日付人事で、国労組合員約200人のうち、130人余りの異動内容を不満として9日、抗議集会を開いたほか、水戸鉄道管理局に、発令取り消しを申し入れた。
  原ノ町保線区から水戸工事区に異動となったNさん(40)の場合は、始業時に間に合うためには、福島県広野町の自宅を 午前5時過ぎに出なければならない。水戸駅まで2時間半以上、往復で6時間近くかかってしまい、『自分の時間がなくなってしまう』という。管理局は、宿舎を準備するとしているが、自宅に母親一人と妻子3人の計4人を抱え、さらに地域の土地改良区の総代なども努めており、『転居はできず、とにかく通うしかない』と、頭を抱えている。しかし、こうした配属について国鉄当局は、『適材適所の人事異動を行ったものだ。所属組合による差別はない』と答えるばかりだ。」

続く

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