国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

餘部橋梁物語、その後 第4話

2016-10-01 21:54:23 | 妄想小説?
みなさまこんにちは、きづけば1週間以上開けてしまいました。
本日も久々に更新させていただきますので、よろしくお願いいたします。

> そうか、それじゃ今日は女将に直接聞いてみるか。
> そう言って、武井は笑うとタバコをふかすのでした。
>
> さて、さて猫尾としては昼からの仕事は、時間までに終える事が出来たのですが、女将の店に行くことを考えると少しだけ憂鬱な気分になるのでした。

昼からの仕事は、親方の一言ではかどり予定より少し早い時間でその日の予定は終わってしまいました。
生真面目な職人は、明日の段取りをする者もいる反面、人夫たちは三々五々仲間内で集まってタバコをくゆらせています。

周囲を山に囲まれた餘部では16:00を回ると薄暗くなってきます、16:53 浜坂行きの最終列車が餘部駅に停車する時刻が迫ってきます。

周りに何もないところだけに、鉄橋での音がやけに響いて聞こえてきます。

今までは、ただ通過するだけであった列車が駅に停車する。
ただ、これだけのことなのですが、親方にしても猫尾にしてもそして数多くの人夫達もその思いは一緒だったのです。

「あれが、最終列車らしいな。」

親方は誰かに聞いたのでしょう、自慢げに話しています。
列車が軽く警笛を鳴らして走り始めると、親方が声をあげます。

「おーい、今日の仕事はこれで終わりだ。飲みに行くぞー。」

それを聞いて一斉に歓声をあげる人夫たち。

武井が猫尾に声をかけます。

 「猫、行くぜ。」

「猫、お前も一緒に行くよな、今日は祝いだからなぁ。」
親方も声をかけてきます。

猫尾にしてみれば、朝のことがあるだけに・・・行ってみたいような、行くとさらに落ち込むような気がして仕方がないのですが。やはり親方の手前行かないとは言えません。

猫尾も正確には一応は親方なんですが、一人親方と呼ばれるものでした。
尋常小学校卒業してからずっと親方に面倒見てもらっていましたのです、
猫尾が尋常小学校を卒業したのが昭和16年で、当時は親方もまだ一人親方として仕事をしていたのですが、その頃からことさら可愛がってもらっていたうえ、父親を早くに亡くした猫尾にとっては親方は親代わりでもありました。

そんな猫尾ですから女将と一緒に居た男性も気になるし、そうかといって無下に親方の誘いを断るわけにもいきません。
さらに、武井が冗談とも本気ともつかない勢いで女将にプロポーズしようかなんて言い出しますから気が気ではありません。

少しだけ勇気を出して、こっそり聞いてみようと思う猫尾でしたが、こうした色恋には全く不得手な猫尾、さてそんなにうまくいくのでしょうか。

片づけはいつもの3倍の速さで・・・いえいえ、そんな赤い彗星ではないのですから。
でも、親方を含めて自転車で女将の店に向かうさまはまさに赤い彗星・・・というよりもチャリンコ軍団という雰囲気です。

やがて、親方率いる一団はそんなに広くない女将の店に入っていくのでした。
そして、猫尾はそこであるものを見てしまうのですが・・・。

その辺のお話はまた次回にいたしましょう。
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