「消えた277人」より
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。
徳永 陽一郎(とくなが よういちろう)さん
昭和10(1935)年1月14日生れ。右肩に子供の頃鎌で切った傷痕がある。
昭和28(1953)年10月7日、長崎県長崎市で失蹉。当時18歳、店員。
新しい勤務先へ提出する履歴書を書いている途中、突然姿を消した。
10月17日、家族へ借金を返すため、現金書留が福岡県門司市より家族宛てに送られてきた。
同封されていた手紙には「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」などと書かれていたが、それ以来連絡が途絶えてしまった。
「どうして、どうしてと思っていました」 森川洋子さん(姉)から
徳永陽一郎。徳永陽一郎。陽一郎。聞いていますか、姉の徳永洋子です。日本の長崎から呼んでいます。
洋一郎のことは父さん、母さん、ずーーと案じて捜していました。
弟妹も洋一郎兄ちゃんの事心配しています。洋一郎は昭和28年10月長崎から突然いなくなりました。門司からの手紙が最後でした。
陽一郎の行きたい化学の会社に決まりかけていたのにどうして、どうしてと思ってました。
陽一郎、陽一郎、長崎の大浦のおじいちゃんのお家に洋子姉ちやん、陽一郎、けんちやんと3人で暮らしてましたね。
陽一郎、陽一郎、七人兄弟でした。
洋子姉と陽一郎、けんちやん、すみちやん、よっちん、ひでちやん、松ちやんと五島に中学校出る迄いました。
陽一郎、陽一郎の肩の傷は五島にいる時つけたんですよね。
陽一郎。陽一郎。生きている間に是非会いたいです。
姉より
――――――――――――――――――――――――――――――――
当時18才 72才 失踪から54年
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。
徳永 陽一郎(とくなが よういちろう)さん
昭和10(1935)年1月14日生れ。右肩に子供の頃鎌で切った傷痕がある。
昭和28(1953)年10月7日、長崎県長崎市で失蹉。当時18歳、店員。
新しい勤務先へ提出する履歴書を書いている途中、突然姿を消した。
10月17日、家族へ借金を返すため、現金書留が福岡県門司市より家族宛てに送られてきた。
同封されていた手紙には「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」などと書かれていたが、それ以来連絡が途絶えてしまった。
「どうして、どうしてと思っていました」 森川洋子さん(姉)から
徳永陽一郎。徳永陽一郎。陽一郎。聞いていますか、姉の徳永洋子です。日本の長崎から呼んでいます。
洋一郎のことは父さん、母さん、ずーーと案じて捜していました。
弟妹も洋一郎兄ちゃんの事心配しています。洋一郎は昭和28年10月長崎から突然いなくなりました。門司からの手紙が最後でした。
陽一郎の行きたい化学の会社に決まりかけていたのにどうして、どうしてと思ってました。
陽一郎、陽一郎、長崎の大浦のおじいちゃんのお家に洋子姉ちやん、陽一郎、けんちやんと3人で暮らしてましたね。
陽一郎、陽一郎、七人兄弟でした。
洋子姉と陽一郎、けんちやん、すみちやん、よっちん、ひでちやん、松ちやんと五島に中学校出る迄いました。
陽一郎、陽一郎の肩の傷は五島にいる時つけたんですよね。
陽一郎。陽一郎。生きている間に是非会いたいです。
姉より
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当時18才 72才 失踪から54年