Blue jewel

拉致の解決を願って
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曽我ひとみさんのお話(2)

2005-05-12 | 曾我ミヨシさんを救うぞ東京集会
ぴろん さんのよる丁寧なテキストです。


西岡氏
今お母さんと別れた日のこと、その時から時計をしていらっしゃったと言いましたけれども。
会場の皆さんには資料として曽我ひとみさんが2002年の12月にジュネーブの国連人権委員会に強制的失踪作業部会にどのように拉致されたのか?という事について説明の書簡を出しています。

曽我ひとみさんがジュネーブの国連人権委員会に強制的失踪作業部会に提出した書簡
(2002年の12月)を紹介 リンクエントリー参照

西岡氏
お母さんがどのように襲われたのかを明らかにするためには、自分がどう襲われたのかを明らかにしなければならないと言うことで。
あんまり思い出したくなかったのとですけど、詳しく書いていただいたんですが。
お母さんの事を探す・救出するためには、その時のことをどうしても考えなくてはいけないと思いますので。
あんまり思い出したくない思い出かもしれませんけれども、ここでどのように拉致されていったのか?という事に付いてちょっと話してくださいますか?

☆曽我ひとみさん
1978年、丁度その日は土曜日でした。
私がその頃看護学校に通っていて、丁度毎週土曜日になると家に帰っていました。
その日夕方母が帰ってきて、丁度8月12日なのでお盆の支度をしたり、ちょっと忙しいときでした。
それで夕方もう7時は回っていましたけど、母と一緒に近所の雑貨屋さんに買い物に出かけました。

そんなに遠くもないので普段着で、草履で、財布ひとつ持って、それで二人して出かけました。
その時には街灯もほとんど無く、道路と言ってもあまり車も通らない。
そういった頃でした。
明かりと言えば家々からもれてくるような、ちょっと薄暗いそんな明かりしかない頃でした。

店に行って二人で買い物を済ませて、家に向かっていました。
店を出ながら1週間あった話をいろいろ母としながら二人で歩いていると、何か後ろに人の気配を感じたので私が後ろを振り向きました。
そうした所、後ろには3人の男が横並びで付いて来てました。
その時母と二人で何か気持ち悪いから、二人共早足になって、少しでも早く家に帰ろうと話をしながら足を早くして歩き始めたその時でした。

後ろから・・・余り靴の音はしなかったんですよね、何か静かにぱ~っとこう来たって感じで。
道路の横にあった木の下に私と母は引きずり込まれてしまいました。
その後は口、手足を縛られて袋に入れられました。
そして船に乗せられ、着いたのが北朝鮮でした。
もちろん行った当初はその地名も分かりませんでしたけど、後で汽車とか時間的に計算してみると、まぁこのくらい時間がかかったから、まぁこの場所だろうと言う。
そういうふうにして場所がハッキリ分かりました。

だけど、その・・・(西岡氏「北朝鮮だと分かった?」)清津だと。
(西岡氏「清津だと分かった?」)はい。
それでその時に袋に入れられた後は母の姿は・・・見てないです。

西岡氏
その3人の男に襲われて袋に入れられてそれで担がれて川の船に乗せられたんですよね?
その間何分くらいだったんですか?

☆曽我ひとみさん
もちろん私もその時に自分自身何が何か分からないくらいだったんで、時間と言われてもちょっとあれですけど、そんなに長い時間じゃなかったような気がします。

西岡氏
そこが大事なんで確認しますけど、途中車に乗せられたりとか隠れ家のような所に連れて行かれたんじゃなくて。
その3人の中の一人に担がれてその3人と一緒にボートで、小さな船ですよね最初は。
小さな船で外に出て、そこから一回乗り換えて大きな船に乗ったと、それでいいんですか?

☆曽我ひとみさん
そうです。

西岡氏
ゴムボートみたいだったんですか?

☆曽我ひとみさん
私がぽっと置かれた所は板みたいになってて、下がどうなってるのかちょっと私も袋に入れられているので分からないんですけど、置かれた所はとにかく下に板がありました。

西岡氏
そこでつまり曾我さんがいて、3人の男がいて、そして何か他にお母さんの気配とか無かったんですか?

☆曽我ひとみさん
その時母の気配は感じてないんですけど、その時に下手な日本語と言うか、で、話をしている女性がいました。

西岡氏
下手な日本語と言うのは日本人の日本語じゃないということですか?

☆曽我ひとみさん
はい、そうです。

西岡氏
女性。
曽我さんに対して話しかけたんですか?

☆曽我ひとみさん
いいえ私に対してじゃないです。

西岡氏
そこのボートの所に男3人と下手な日本語を話す女性一人と、曽我さんが袋にいれられていたと。
男3人は朝鮮人ですから下手な日本語を話す必要はないですよね?
曽我さんに話しかけなかったということは、これは私・西岡の推測ですけども、そのボートの別の所に曽我さんのお母さんがいて。

富山の事件で未遂事件がありましたけども「静かにしなさい」とやっぱり下手な日本語で言われてるんですね。
何か暴れたりすると「静かにしなさい」と言われると。
つまり曾我さんは感じなかったけれどもそこにお母さんがいたという証拠じゃないか?
そこでもう一回聞くとそこでどんな話をしてたんですか?
「静かにしなさい」の他に、意味は分かったんですか?

☆曽我ひとみさん
私がいた場所よりもちょっと多分離れた場所にいたと思うんですよ。
それで日本語で話してるな、と言うのはハッキリと分かるんですけども、その一言一言がどういう話の内容だったか?っていうのは私は分からないです。

西岡氏
でも下手な日本語だ、と言うのは分かったんですよね?
例えば通りかかった人に日本語で話しかけたら、その人に外国人だというのがばれてしまうから隠れているのに、曽我さん袋に入れて逃げようとしているのに、通りかかった人に日本語で話しをするのは考えられないですよね?

☆曽我ひとみさん
考えられないです。

西岡氏
朝鮮人工作員と、その人が北朝鮮の工作員の多分一味だと思うんですが、やはりそこの近くにお母さんが入れられていたんじゃないかなぁと思うんですけどもね。

☆曽我ひとみさん 
私もそう思います。

◆ぴろんさんのテキストです。参照話の花束

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