「消えた277人」より
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
◆木村かほる(きむらかおる)さん
昭和十三(一九三八)年八月二十七日生れ。中肉中背、色白、優しい 柱格で、いつも微笑みをたたえていた。
昭和35年(1960)年2月27日、秋田県秋田市内で失踪。
当時21才、日赤秋田高等看護学校三年生。
卒業を10日後に控えた2月27日、「ちょっと出かけてくる」と料の同室の数人に言ってでたまま戻らなかった。
戸籍上は、かをるだが、日常は、かほるとしていた。
「絶対死んでなんかいない」 天内みどりさん(姉) から
かほるちゃん 元気にしていますか ちゃんと食べていますか?
毎日こうして問いかけながら四十五年が過ぎてしまいました。1960年二月二十七日、秋田の日赤の寮を出たかほるちゃんの身にいったい何が起こったたのですか。
警察、家族、友人たちであんなに捜しても何の手がかりも得られなかったかほるちゃんは絶対に死んでなんかいないのです。
難民収容所や引き揚げ途中の山の中であんなに多くの人の死を見てきたかほるちゃんが自分で死を選んだりはしない。
これがお姉ちゃんの確信です。
かほるちゃん、お姉ちゃんは夫に先立たれ一人暮らしをしています。
かほるちゃんを必ず捜し出してまた一緒に暮らすのだと決めています。お兄さんも洋二さんもあなたを待っています。
生きていれば百二歳のお父さんと九十五歳のお母さんは、故郷のお墓の中で木村家代々に守られてかほるちゃんの帰る日をひたすら待っているのです。
かほるちゃん、かならず元気で会える日がくるはずです。
がんばってね。
――――――――――――――――――――――――――――――――
2007年8月27日で、69才になる。
失踪から47年。
長い不在である。
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
◆木村かほる(きむらかおる)さん
昭和十三(一九三八)年八月二十七日生れ。中肉中背、色白、優しい 柱格で、いつも微笑みをたたえていた。
昭和35年(1960)年2月27日、秋田県秋田市内で失踪。
当時21才、日赤秋田高等看護学校三年生。
卒業を10日後に控えた2月27日、「ちょっと出かけてくる」と料の同室の数人に言ってでたまま戻らなかった。
戸籍上は、かをるだが、日常は、かほるとしていた。
「絶対死んでなんかいない」 天内みどりさん(姉) から
かほるちゃん 元気にしていますか ちゃんと食べていますか?
毎日こうして問いかけながら四十五年が過ぎてしまいました。1960年二月二十七日、秋田の日赤の寮を出たかほるちゃんの身にいったい何が起こったたのですか。
警察、家族、友人たちであんなに捜しても何の手がかりも得られなかったかほるちゃんは絶対に死んでなんかいないのです。
難民収容所や引き揚げ途中の山の中であんなに多くの人の死を見てきたかほるちゃんが自分で死を選んだりはしない。
これがお姉ちゃんの確信です。
かほるちゃん、お姉ちゃんは夫に先立たれ一人暮らしをしています。
かほるちゃんを必ず捜し出してまた一緒に暮らすのだと決めています。お兄さんも洋二さんもあなたを待っています。
生きていれば百二歳のお父さんと九十五歳のお母さんは、故郷のお墓の中で木村家代々に守られてかほるちゃんの帰る日をひたすら待っているのです。
かほるちゃん、かならず元気で会える日がくるはずです。
がんばってね。
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2007年8月27日で、69才になる。
失踪から47年。
長い不在である。