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拉致の解決を願って
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小泉外交2

2005-12-16 | 記録
 蒼き星々掲示板への 安倍貞任さんの投稿より
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小泉外交2  

 会議に出席した多くの人側が目を疑った。

 2002年8月21日、外務省の次官室で開かれた幹部会議。
 谷内正太郎総合外交政策局長(現外務次官)
 藤崎一郎北米局長
 海老原紳条約局長

 彼らに配られたのは、国交のない北朝鮮との首脳会談を前提とした「日朝平壌宣言」の原案だった。

 当時、田中均アジア大洋州局長らによる日朝極秘交渉の報告を受けていたのはわずか5人。首相官邸は小泉首相、福田官房長官と古川貞二郎官房副長官。外務省では川口外相と竹内行夫次官だけだった。

 「秘密裏にやってきて申し訳ない。首相も了承していたことだ」

 竹内は冒頭、幹部たちに釈明した。
 宣言案が「拉致」に言及していないことに谷内が気づいた。
 「拉致問題はどうなっているんだ」

 田中は「それは別途、やっていますから」とだけ答えた。

 海老原が「米国には連絡したのか」と質問すると、田中は否定した。気まずい空気が流れた。

 「核や弾道ミサイルの問題で、相当突っ込まれるだろうと、出席者の一人が懸念した。

 パウエル米国務長官が約3週間前のブルネイでの日米外相会談で、「北朝鮮には従来とは違う形式の核疑惑がある」と川口に警告していたためだ。

 同盟国の米国にまで、小泉訪朝を伏せていたのは、「事前に漏れれば、つぶれる」と判断していたからだ。
 日本側の秘密主義が日米関係をきしませた。

 結局、米国に訪朝計画を伝えたのは小泉本人だった。アーミテージ国務副長官との8月27日の会談で打ち明けた。正式発表のわずか3日前のことだった。

 アーミテージらは、小泉の前では異議を唱えなかったが、28日の日米戦略対話の休憩中に、竹内にこう注文をつけた。

 「訪朝は慎重に進めてほしい。今後は、米国にもきちんと連絡してほしい」

 米政府内には、日本が北朝鮮の核疑惑を脇に置いたまま国交正常化を進めるのではないか」との疑念も広がった。それを抑え込んだのは、ブッシュ大統領だった。

 ブッシュは「金正日は嫌いだ」と公言してはばからない。9月12日のニューヨークでの日米首脳会談では、「北朝鮮の大量破壊兵器、ミサイル、通常兵力はおろそかにできない」と指摘した。しかし、その後で小泉訪朝支持を明言し、「グッドラック」と小泉にエールを送った。

 アーミテージは翌年春、訪米した外務省幹部に米政権の内情を明かした。

 「我々は実は、小泉訪朝に反対だった。だが、大統領が『ジュンイチロウが決めたことだから』と言うので、それ以上、何も言えなかった」

 歴史的な日朝首脳会談は9月17日に行われた。その2日後の19日、小泉はブッシュに電話し、「金正日は米国との対話を望んでいる」と伝えた。

 米国がケリー国務次官補の訪朝を決断したのは、この電話会談によるところが大きかったという。

 ケリー訪朝は、しかし扉が開きかけた日朝関係に冷水を浴びせる形となった。

 北朝鮮の姜錫柱・第1外務次官は10月4日、ケリーに対しウラン濃縮の事実を認め、「我々は核抑止力を持つ」と言明した。米朝関係はもちろん、日朝関係も一気に緊迫した。北朝鮮は翌1月、核拡散防止条約(NPT)の脱退を宣言した。

 米国のプリチャード・前朝鮮半島和平担当特使は今年(2004年)1月、田中にこう語った。

 「小泉訪朝は絶妙のタイミングだった。もう少し遅ければ、米政府は本気でつぶそうと動いただろう」

 小泉政権になって日米関係は「史上最高」と言われる。だが、一皮めくれば危うい局面もあった。

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