
「私が想像できる最も悲しい事は贅沢に慣れてしまう事だ」。こちらも喜劇俳優のチャールズ・チャップリン氏の自伝からだが、「確かにね?」と思う。それが可能な環境でも当たり前になってしまうと大変な時の苦労を忘れ、それが出来なくなると、逆に苦労をするだろう。そんなものだと思う。それは趣味にも言える事で、小生の場合はカセットデッキの修理だが、一度でも高級機を使うと、その高音質、高性能に魅了され、それ以下の機種が視界から消える。やはり使い勝手が違うのだ。現在は、Technics「RS-670U」を使っているが、動作の確かさ、高音質、その安定性に魅了される。安定こそが利点の全てなのだ。だからしっかりメンテナンスをした後は、いつも同じ動作をする確実さに安心するのだ。正にそれに勝るものはない。それと音楽耳の方ならば、誰しも経験があると思うのだが、測定器では感知出来ない回転ムラは割と聴き取れるものだ。小生もそれで敏感なのだが、時にそれが仇となる。カセットデッキは、その性能上、回転ムラは割と出やすい。テープ速度が遅いからだ。なので回転系等の走行系は精度が命となる。そんな事から高級機の方が、その辺が確かなのは言うまでもなかろう。だから高級機の修理ばかりをするようになったのだが、それこそ摂理である。安定は安心なのだ。

小生のしている趣味は小さいものだが、それが政治となれば話は別だ。何故、現政府は国民が望む反対の事ばかりをするのだろう?そのおかげで国民の望む「安定と安心」は蔑ろにされている。これでどうして少子高齢化を解消出来るのだろう?簡単に言えば、若者が車を買わないのも“安定と安心”がないからだ。昭和とバブルの時代は、働けばどうにかなったが、バブル崩壊を含む平成の世は末期に連れ、悪くなるばかりだった。その間に「悪夢の民主党政権」を経験し、再び自民党政権が返り咲き、「安倍内閣」による経済政策「アベノミクス」でテコ入れをしたものの、天からは庶民に下りる恩恵は僅かだった。それから現内閣となったが、まるで総理自らが官僚のような感覚なので、これで回復の可能性は絶たれた。国民の大半は庶民なのに、その層を無視する内閣は要らない。このままでは、自民党政権の必要悪が、不必要になる日も近い。消去法は、まだ有効だが限度がある。あまりにも至らな過ぎて、保守系の野党がどんどん有利になる。衆議院選挙がどうなるかが見物である。
ニュージーランドのアーダーン首相が辞任を発表「タイミングが来た」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e00f193e1406786c74162ac8575839c598957e5

「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」とは、浅野内匠頭の辞世の句だが、その「忠臣蔵」は講談や浪花節では知られたものだ。しかし今や廃れ、知る世代も結構な御歳だろう。唐突にそんな辞世の句を取り上げたが、此処で散り際の美学なんぞを論じてみよう。先日、ニュージーランドのアーダーン首相が辞任を表明したのだが、そのコメントがなかなか感銘深かった。19日の事だった。これこそ日本の政治家にも、何かを感じて貰いたいものだ。ハフポストによると「アーダーン首相は19日に開かれた労働党の党員集会で、「十分な力が残っていない」「辞めるタイミングが来た」と説明し、辞任を表明」との事。ちなみにその理由は「このまま続ければ、ニュージーランドに不利益を与えることになる」と語った。ちなみに辞任は2月7日だ。「ニュージーランドに不利益を与える」と危惧するのは、如何に真面目に国民に向き合った政治を行っていた事を伺う事が出来るが、なかなか言えないのが、アーダーン首相曰く「国を率いるというのは、最も特権的な仕事であると同時に、より困難な仕事の1つです。満タンのタンクと予期せぬ挑戦のための少しの備えがなければできず、やるべきでもありません」と表明をした事だ、これがアーダーン首相の政治倫理だが、首相がすべき仕事を、これ程までに的確に述べた人は居ないだろう。立派なものだ。現総理に感想を伺いたいものだ。