「俺は孤独で惨めだ。俺と交わる人間はいない。だが俺と同じくらい醜く恐ろしいならば、俺を拒否する事はあるまい」。「伴侶となるのは俺と同じ生き物、同じ欠陥を持った生き物だ。それをおまえに造ってもらうのだ」。毎日、英国の女流作家、メアリー・シェリー原作の「フランケンシュタイン 或いは現代のプロメテウス」からフランケンシュタインが創造した怪物の台詞を取り上げているが、こちらもそうだ。台詞回しが、まれでシェイクスピアだが、メアリー女史は同郷だけに、少なからず影響を受けていたようだ。映画「フランケンシュタインの花嫁」を連想させる文面もあるが、あの2作は、原作のイメージを少しは取り入れているようである。こちらも結局は「人とは何か?」だが、その怪物から見た人間の正体なるものが伺えて怖くもある。つまりその怪物に人の二面性、即ち善悪の【悪】の部分を象徴させているのだ。それは怪物を造ったフランケンシュタインの二面性でもあるのだ。
さて話は変わり趣味の方だが、例のTRIOやNECのカセットデッキの修理や調整作業が終わり、時間に余裕が出来てきた。なので家庭の記録映像を元にした編集作品の作業も出来る。ようやく時間が空いた。途中で作業が止まった間に機材が新しくなったので、その効率も上りそうだ。手間が掛かるのは字幕打ちだが、それが在ると無いとでは、全く映像の説得力が変わる。別に編集台本もなく作業をしているが、しかし核になるものは在るので、そのイメージを活かすべく、後はインスピレーションを大切にしながらやっている。8ミリフィルムのテレシネのやり直しは全体の4分の1程度だが済んだ。今回からハイビジョンなのだ。惜しむらくは、現在使っている編集ソフトが、それに対応をしていない事だが、以前よりは素材が良いので確実に画質は向上した。そろそろホームシアターの方もどうにかしたい。ゴムベルトを交換したTRIOのカセットデッキ(「KX-7000」)だが、少しずつ馴染んできたようだ。毎日、それでテープを再生する事がエージングになるのだ。ゴム部品とは、そんなものである。
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