ボリビア カミナンド記

極限の生活だったサンファン

前の日記の写真、看板の下の、サンファンの中心部へと続く道路は日本と同じようにきれいに舗装されている。当たり前のようなこの景色。

しかし、50年前のここは大木が生い茂る、開墾するにはあまりにもひどいおよそ開墾とは程遠い場所だったそうだ。夢と希望に胸膨らませて新天地を目指した移民の人たち、彼らは雨期には泥水の中を木を切り倒す過酷な日々を送らざるを得なかった。開墾後の畑にまく種は大雨でことごとく流され収穫できるまでには幾多の苦難の道が待ち構えていたそうだ。

現在のJICAの前身、海外協力事業団のそのまた前身、移民事業協会(名前が正確でないが)から当時サンファンにただ一人派遣された若槻泰雄さんが、当時の政府の海外移住政策のいかにずさんだったか、その犠牲になった移住者の過酷な日々の貴重な記録を数年前、本に著わした。興味のある方にお薦めします。

若槻泰雄著 「外務省が消した日本人」 毎日新聞社発行

日本国内も戦後の苦しい時代を経てきているが、日本の裏側、ボリビアでこのような苦難の道を歩まれた方がいたことをこの本で初めて知った。

写真は1950年代後半、サントス丸やブラジル丸で移民してきた人々が持参した生活用具。当時の生活を髣髴とさせる。サンファンの歴史資料館に保存されている。


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