ひとり言はつれづれに・・・

いつまで続けられるかわかんないけど~日記

秋の一日

2011-11-14 12:57:06 | 詩のようなもの

先日、実家の大きな椿の木の枝をうち、トタン屋根の小さな倉庫に少しばかり日差しがさすようにした。

電気のこぎりでどんどんと石垣の下へ切り落とされた枝は、1メートル位の長さがあり葉がびっしり茂っている。

姉たちが幼いころ、この椿の木の又に腰かけて本を読んだ思い出を聞いたことがある。

夏の暑い日、風通しがよく木陰を利用しての読書

耳を澄ませば、小石の集まった川を流れる水の音や、小高い山の雑木林か風でさわさわ揺れる音が聞こえる。

高所恐怖症の私は、そんな木の上のひとときを想像するばかりで楽しむ。

そうこうしていると…「ぼーっとしてやんと、はよ、木ィ、片付けやんかい」と頭上からありがたいご指示の声が

もう冬休みに入った田んぼへ、えっちらおっちらと木を引きずりながら運ぶ

久しぶりの肉体労働。緑いっぱいの風に吹かれて気分は最高

82才になる母も、腰は曲がっているものの、まだ、現役で山へ行くだけあって頼もしい。

生の木は燃えないので、しばらく田んぼに放置し、乾かすことに。

で、昨日、そろそろ田起こしの前に処分しようと実家へいく。

朝露が付いていたものの、椿やウバメガシ、かやのき、杉の葉など少しづつ燃やしていく。

「椿の木ぃは、燃えにくいさかい嫌いやなあ。ほやけど、炭にしたらええんやよ。バべもええけどな」と母。

バベとはウバメガシで備長炭になる木である。

同じ常緑樹でも、椿とは比べ物にならないくらい葉は枯れていた。

バべの葉は、火にくべると一瞬「ジュワーッ」と音を立てて燃えて消えてしまった。

田舎といえども、今では、ごみの分別はしている。

私が嫁いだころは、ほとんどの燃えるごみは、河原の土手に据えられたドラム缶で燃やして処分していた。

ダイオキシンの問題などで、今ではゴミ収集車が週1回、遠くから山の中に回収に来る。

化学物質とは縁のないこの木たちは、白い煙を残して真っ白い灰となり消えていった。

音には聞こえない炎の揺らぎとぬくもりにあたりが包まれた。

静かな静かな秋の一日となった

 

 

 



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