「緋色の楽譜」 材料は秀逸
「緋色の楽譜 上」 ラルフ・イーザウ(著) 酒寄 進一 (訳) 東京創元社 2011年
「緋色の楽譜 下」 ラルフ・イーザウ(著) 酒寄 進一 (訳) 東京創元社 2011年
昨年10月31日初版(日本語訳が)という比較的新しい本
「ネシャン・サーガ」や「盗まれた記憶の博物館」を面白く読んだ記憶と
腰巻に「フリーメーソン、聖堂騎士団、謎の秘密結社、美貌の天才ピアニストに迫る魔の手」とあって
思わず買ってしまった
以下、ねたばれになるので読もうと思っている人はまずここで止めていただいて
まずは本を楽しんでください
ということでいささか行間を開けて
リストの歴史的ドラマ性の問題は別にして
事象として秘法の重みがそのように感じられない
何が秘密でその力がどうして絶大なのか
いろいろ考えると論理破綻をきたしている部分がずいぶんある気がする
ダヴィンチ・コードと何か(?)を足して2で割ったような小説であった
共感覚という知覚現象を想像することはできる
そういうことはありそうだ
しかし、音楽の音階と音色により文章が時制や指示語、それに固有名詞
それらが意識にとどめられるように再現性を持って浮かび上がってくる
この物語の一番肝心なところの説得力が
最後の最後結末に至って完全に崩されてしまう
そんな秘伝よりも人を意のままに操れることで十分怖いんじゃない?
奥義は正当な後継者である主人公が悟りわがものにするようだが
反物質ほどの(世界中を震撼とさせるような)威力は感じられない
伝わってこない
何よりも突き詰めた最後の隠し場所がバチカンの「教皇庁秘密文書保管所」では
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」になってしまう
そこに導くのにヨーロッパをぐるっと一巡りしなければいけないのか
随所に設定上の無理があって
せっかくの着想の面白さが枯れていく・・
辻褄あわせが問題ではないが
読み手をうならせるものにかけている
いささか残念な感想になってしまった
作者が何かを意識しすぎてずれていく、そういう印象が強く残りました
「緋色の楽譜 上」 ラルフ・イーザウ(著) 酒寄 進一 (訳) 東京創元社 2011年
「緋色の楽譜 下」 ラルフ・イーザウ(著) 酒寄 進一 (訳) 東京創元社 2011年
昨年10月31日初版(日本語訳が)という比較的新しい本
「ネシャン・サーガ」や「盗まれた記憶の博物館」を面白く読んだ記憶と
腰巻に「フリーメーソン、聖堂騎士団、謎の秘密結社、美貌の天才ピアニストに迫る魔の手」とあって
思わず買ってしまった
以下、ねたばれになるので読もうと思っている人はまずここで止めていただいて
まずは本を楽しんでください
ということでいささか行間を開けて
リストの歴史的ドラマ性の問題は別にして
事象として秘法の重みがそのように感じられない
何が秘密でその力がどうして絶大なのか
いろいろ考えると論理破綻をきたしている部分がずいぶんある気がする
ダヴィンチ・コードと何か(?)を足して2で割ったような小説であった
共感覚という知覚現象を想像することはできる
そういうことはありそうだ
しかし、音楽の音階と音色により文章が時制や指示語、それに固有名詞
それらが意識にとどめられるように再現性を持って浮かび上がってくる
この物語の一番肝心なところの説得力が
最後の最後結末に至って完全に崩されてしまう
そんな秘伝よりも人を意のままに操れることで十分怖いんじゃない?
奥義は正当な後継者である主人公が悟りわがものにするようだが
反物質ほどの(世界中を震撼とさせるような)威力は感じられない
伝わってこない
何よりも突き詰めた最後の隠し場所がバチカンの「教皇庁秘密文書保管所」では
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」になってしまう
そこに導くのにヨーロッパをぐるっと一巡りしなければいけないのか
随所に設定上の無理があって
せっかくの着想の面白さが枯れていく・・
辻褄あわせが問題ではないが
読み手をうならせるものにかけている
いささか残念な感想になってしまった
作者が何かを意識しすぎてずれていく、そういう印象が強く残りました
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