僕等が自分達の性格に関する他人の評言が気に食わぬのは、 自分を一番よく知っているのは自分だという自惚れに依るのでは恐らくないだろう、 凡そ性格に関するはっきりした定義を恐れているのだ。 自分はどの様な人間にせよかくかくの人間だとどうしようもなく決められるその事を、 人性は何にもまして好まないのである。 僕等は他人の性格に関しては、 はっきりした知識を持った気でいる事が便利だが、自分白身の性格に関しては不得要領に構えているのが便利である。 いや便利と言うより、 己れの何物たるかをはっきりとは合点出来ない事が、 僕等の生きるに必要な条件かも知れない。
「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二八 (人生の鍛錬 P.68)
「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二八 (人生の鍛錬 P.68)
事実は小説より奇だ、 これは実に本当の事である。 言語に絶する光景という様なものは、 なかなか日常見られるものではないと僕等は思い込んでいる。 ただそう思い込んでいるだけだ。 若し心を空しくして実生活を眺めたら、 日常生活も驚くべき危機に満ちている。
「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二二 (人生の鍛錬 P.67)
「 山本有三の 『 真実一路』 を廻って 」 10-二二二 (人生の鍛錬 P.67)