物欲 日記

買ってきた モノ への、泣き、小言、妄想、言い訳など。
アニメなどの感想もあります。SINCE 2004年05月16日

車遍歴 1 台目 その 2

2025年01月20日 19時34分19秒 | エッセイ風

車遍歴 1 台目 その 2

1989年 サバンナ RX-7(FC3S)GT-X 前期型 AT:その 1
1989年 免許取得:その 0
 
車の運転に慣れてくると、だんだん遠出をするようになった。というか、休みの日だけでなく、残業がない日は平日でも夜な夜な徘徊することも覚えた。わざわざ遠くのマックに夕飯のハンバーガーを買いに行くとか。とにかく運転しているだけで楽しかった。ガソリンを入れに行って満タンにしたはずなのに、帰ってきたらほぼ空になっていたとか。同じような経験をされた方も少なくないと思う。
 
単独行だけでなく、会社の車好きたちと数台でドライブに行くこともあった。皆さん自分の車に乗ってくるから、一人 1 台。かつ、彼女とかいないから、助手席には誰も乗っていない。オイラもねー(^^)/。
 
その日も 4 台くらいで出かけ、帰宅するために高速を走っていたら、途中で結構な雨が降ってきた。教習所で ハイドロプレーニング現象 を習ったことを思い出した。本当に実際の車で起きるのだろうか?バカな私は、アクセルを踏み込んだ。何キロ出ていたかは秘密だが、突然、ハンドルが軽くなったのが判った。あっ、これか!その時のスピードを考えると、もうこのままタヒぬと思った。すごく後悔した。多分、走馬灯状態。いろんなことが頭に浮かんだ。
 

車のコントロールが効かないので何もすることはない。というか、水の上をすごいスピードで滑っているので、何もやってはいけないことは直感的に悟った。アクセルから足を離し、もちろんブレーキは踏まず、ハンドルを直進状態でしっかりホールドするしかなかった。数秒後だろうか、車の右側がガードレールに当たり、それでスピードが落ちたせいかグリップが回復。奇跡的に直進キープ。ここで停止するのはマズイと思ったので、そのまま走行し(普通に走れた)、次のサービスエリアに入った。同行車も私の行動に気づき、SA の駐車場に集結した。
 
同行の皆さん、何が起こったのかと興味津々。説明したら、苦笑。このアホが!的な。これも、怪我がなかったからこそ。車を調べたら、右前フェンダーの破損が大きく、タイヤが当たるのでハンドルを大きく切れないことが判明。車に詳しい年長の先輩が、工具を持ってきてフェンダーの板金を叩いたり曲げたり。心の中で「ヤメテー!」と叫んだことが、自分でもおかしかった。
 
何とか普通にハンドルを切れるようになって、再び高速にのって三々五々帰途についた。国道から外れ一般道に入ると、すれ違う対向車のドライバーがほぼ全員、こっちを見てくる。同情ではなくて、目が笑っている。このバカが調子にのってスピード出してたんだろ、いい気味だ、とみんなの心の声が聞こえた。その通りなので、黙って運転した。
 
本当にバカだったと思う。たまたま車線からガードレールが近い場所にあって、直進を維持したままグリップが回復したのは本当に奇跡だろう。高速道から飛び出しても、スピンして他の車にぶつかっても、何が起きてもおかしくはない。その後、バカな無茶はしなくなった。
 
あっ、そういえば、別の日に高速を走っていて一つ印象的なことが。先輩を乗せて走りに行ったときのこと。オートポジションではなく、2 速固定で加速していたら突然でかい音が響き渡った。おったまげ。それは、初めて聞くレブリミットの警告音だった。まさしく昭和の玄関のブザーの音で、まさかそんな音がするとは思っていなかったので、二人してびっくりてしまった。そして、スポーツカーに似合わない間抜けな音に大爆笑だった。
 
約 1 年間、乗りまくった。一人暮らしなので誰も止める人はいない。年をとってからのハシカはひどいというが、年をとってからの 運転免許+スポーツカー(初心者マーク付き)も、似たようなものかも。初心者ならではのエピソードが山のようにあるけど、この辺にしておこう。車自体は、最後の方は満タンで 300 キロ走らなかった。まだ 2 年目なのに。アペックスシールがヘタっていたのだろうか。回しすぎだったろうか。ある日ディーラーに行ったら、カタログを見せられた。「今度、マイチェンが出ます。」30 過ぎた独身ヤロウの恐ろしいところ、数日後にはその新モデルを予約していた。

次回は、そのあたりから。続く。
 
 
 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿