いくつも夜をこえたところで
ふと思うことは、、
1994.1.8
またもや
その昔にあった ジャスコの
「ダイヤモンドシティ」での思い出話なのだけども
私が小さいころ
小学2年頃だったかな
ダイヤモンドシティの本屋さんで
父に本を買ってもらって
自分でなんとなく 選んだ本
その時の光景を ぼんやりと
映像で覚えている
その本は
ポプラ社の舟崎克彦さん作・絵「森からのてがみ」
これが すっごく面白くてさ
楽しくって
自分 いい本選んだ!と
今でも感心する
何度も何度も 読んだ
もちろん 今でも手元にある
もう何十年も一緒にいるんだよね
大好きな本
定価は390円だ!あの頃は消費税は無かったな
今読んでも 絶品だと思う
かわいいお話や
不思議な哀愁を漂わせるお話や
物悲しいようなお話や
ちょっと怖い感じのお話や
何作か入っている
その本の中に「クレヨンの家」という
お話があって
退屈している時に おまじないを書いて
紙飛行機にして飛ばすと
自分宛てに小包が届いて(自分宛ての小包届くってだけで、もうテンションマックス)
不思議な楽しいかもしれない出来事が起こって、、
というファンタジーなお話
私は この話を
マジで真剣に1ミリの疑いもなしに信じて
実行したのだよね 不思議体験がしたくて!!
だのに、、
私宛の小包は一向に届かず、、
なんでだよっ と思ったよね
なにか作法を間違えたのか と思って
本を何度も読み返し 再度 挑戦したり
悲しい思いをしたものですよ
そんな思い出
うちの↓猫様
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/47/c61644f7a86f152017e79aca403a9e05.jpg)
考えにに耽っているふう
「入れない所」
わたしには ドラゴンも
ブリキのロボットも
小さなヒトも
何もいなかったから
とても寂しかったと思う
今おもうと
嘘つきで泥棒で
好きになれない奴だった
遠い海をずっと泳いできたように
キラキラする波も
しぶきも
海とまじりあうウソみたいにきれいな空も
全部 覚えているはずなのに
それが何だったの なんて
今 私の世界は とても狭い
たくさん生きてきたはずなのに
毎日 自分としか会話していなかったような
たしかに
色んなものが色んなものと
重なり合ったり混ざりあったりしながら
動いているのだろうけど
人間は嘘をつけるからいけない
本当じゃない心をもてるからまずい
もう 全てが終わったような気にもなって
何も始まっていなくて
何も起こっていないような
そんなふうなのに
こんな たくさん生きてきて
1992.10.16
何を残せるのか
後に 何を残せたら善いのか
2022.2.6
お店で いいな!と思う
鞄をみつけて
けど
お値段が少し高めで
今 使っている鞄が まだまだ使えるし
新しい鞄がどうしても必要なわけでもないから
どぅ~しよ と悩んで
その日は止めて
別の日 またその鞄をみて
どぅ~だろ と悩んで
止めて
で 後日
ちょっと思うところあって
「やっぱ、あの鞄、わたし、買うわ!」
と買いに行ったらさ
もう なかった、、、、
がびーーん
そんな時 どう思うタイプですか?
私は
「今の自分には合わなかったんだ」とか
「必要なかったんだ」とか
「もっと素敵なものが、あるのかもしれないんだ」とか
思うタイプです
だいたいがさ
迷うってことは 違うんだよね
本当に必要なものは 迷わないもの
本当に欲しいものは
即買いだもの
とか 思うことで
手に入らないものは
そんな価値のないものと
思わせたいのかな 誤魔化したいのかな
悔しいような気持ちを
紛らわせてんのかな 自分
うちの↓猫様
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/bb/d7e66eee7a2c354380e433e0e55c58cd.jpg)
「おまいさんらは、靴も服も鞄も
どんだけ持っているのよ。体は、ひとつしか
手は2本、足も2本しかないのにねぇ。」
なんて 思われてやしないだろうか と
考えるのは 人間の欲深さが
恥ずかしいから
「恐ろしいもの」
寂しい僕は
暗い夜を
ひとりで歩き
何もいないような道ではあるが
そこいらには
あらゆる無数の命がいる中
一番出会って怖いものが
人であったりする奇妙
2022.3.9
本当に 見たいものを見なくちゃ
聞きたいことを聞かなくちゃ
分かりたいことを分からなくちゃ
2021.1.8
前回 ジャスコの
「ダイヤモンドシティー」の話をしたのだけども
今は もうなき「ダイヤモンドシティ」
(現在は違うショッピングセンターが、建っているらしい)
小さな頃から 何度も行ったので
たくさん思い出があってさ
エレクトーンがあって
生演奏をしていたのを覚えているなー
なんか すごいなー
で
思い出の中の一つ
私が中学生の頃かなー
地下みたいなところに たしか
ペットショップみたいなところがあって
(全体的に曖昧情報)
そこのお店の外の
建物と壁の狭い隙間に
ある日 突然
フラミンゴが一匹だけ 片足で
立っていたのを 見たのだよねー
驚いたよねー
何故に こんなところに
桃色のフラミンゴ
こんな所で かわいそうに
と思ったよね
で
お友達に「あんな所にフラミンゴいてさ」と
話したら
誰も信じてくれない、、、
いるわけねぇと
だよねー
けど
確かにいたんだよねー
見たんだよねー
作り物だったのかな?
あんな所に?
大きさは実物大 たぶん
動物園で本物見たことあるし
触ってみたわけではないけどさ
動いてはいたかなー どうだったかなー
本物だと思ったから 少し動いたのかなー
足の細さは本物っぽかったよなー
あれは 何だったんだろ?
もっと近づいて
きちんと見ればよかったよー
今の私なら絶対確認するー
でも
記憶がアヤフヤなだけで
あの時ちゃんと見たんだっけかな?
座っているバージョンも見たような気もしないでもない
ような気もするけども作られた記憶かもしんない
確かなことは
見たことは見た!
いつまで経っても 謎は謎のまま
ふと思い出す 思い出
さて
うちの↓猫様
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f8/164e9aa43cd474ca10855c95cec9e0a8.jpg)
いつもの仲良し
天然抱き枕 いいな
「見るだけの人」
ただ「好き」でいることが
したかったから
今こうなっているのかもしれない
「好き」だけで
い続けるためには
こうなるよりほか無かったのかな
どちらにしろ、、、
2021.1.28
悲しみはいつだてって
悲しみに寄り添う
2021.12.27
私が 小学生の頃だったかな
中学生の頃だったかな
近くのショッピングセンタージャスコの
「ダイヤモンドシティー」での話
文房具コーナーで 消しゴムを買い求める
母と祖母らしき女性の 二人の会話
子供が使う消しゴムを買いに来たようで
「こっちのほうが、夢があるじゃない?」
と 真剣に一生懸命に選んでいて
たかが消しゴムに スゴイ気合のいれようだなっ
と 思って
お友達にも話した記憶があってさ
なんでか
その時のことを ずっと覚えているんだよね
子供の使う消しゴムを選ぶのに
こっちのほうが夢があるんじゃない?って
振り返って思うと
なんだか じーんときちゃうっていうか
誰かの事を思って何かを選ぶ時って
そうだよなって
良かったよねって
夢がある消しゴムを使ってほしい人がいて
夢がある消しゴムを選べる心があって
夢がある消しゴムを買うことができて
あの時の 夢のある消しゴムを買ってもらった子よ
おまいは幸せっ子だゾ!
あの時から 何十年と経っているわけなのだけども
「こっちのほうが、夢があるじゃない?」の
自分のとらえ方は 変わってきていると
おもうわけよね
あの時のその場では ただ単に
消しゴム1個におおげさだな だったと思うんだよね
そういう驚きをもって お友達にも話したと思うんだよ
今は
「こっちのほうが、夢があるじゃない?」に至るまでの
ながーい物語を一瞬にして想像し理解し
うんうん こういうの大事
とか 思ったりするわけだよね
奥の深みを知るようになりましたデス(たぶん)
なんだか言いたかったことを
上手く伝えられなかったような文に
なってしまった感じもしますが、、、、、
いつかの
うちの↓猫様ら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/64/a0bf3bcb0ceca38df61eb99e7cd75852.jpg)
気付けば この子らも
もう10年目くらい
年取ったな
「いつかのワタシ」
わたしのユメは何処かへ行って
ひとりで遊んでいる
仄暗い電車の中で
鉄橋の下で
星々の間で
わたしはそれらを
時々思い出しては垣間見て
切なく悲しくなる
もう一度そのユメを
手にすることは出来なくて
そこへ行くことも出来ない
ゆっくりと溶けていく
2022.3.3