ダンス以前 》》》

■__/dance izen.

(2020年) 東京アーツカウンシル/芸術文化活動創造のためのキャパシティービルディング講座報告レポート

2021-10-18 | this AND that
ご無沙汰しています。
パフォーミングアートの小林みゆきです。
長野県ほっちのロッヂ診療所での滞在を終え、埼玉県比企郡に戻りました。
埼玉県秩父芦ヶ久保では、10月には日本博を控えております。
芸術の秋、真っ盛りです🎶

さて、
去年参加しました芸術文化活動の現場を持つ人らの参加した講座のレポートが出来上がりました。

2020年を振り返ると、
ちょうどその頃は、今と異なりコロナの始まりに自分も含め周囲の仲間も右往左往していました。そんな状況の中、今持つ現場をどのように継続し、芸術文化創造のための土壌を作り続けるか皆、それぞれの分野で試行錯誤し、withコロナと共にある今後5〜10年を見据えた活動のあり方をこの機会に!と考えていました。

参加者の戦略レポートのみならず、講座内容も含めお読みいただけます。
ぜひ!


もうひとつの美術館_面と人形は語る

2020-07-24 | this AND that
4連休、2日目!
雨模様を予想していたけれど曇りになり栃木県小口にあるもうひとつの美術館へGO!

埼玉県在住のマスカラ・コントラ・マスカラさんのユニット作品展示を拝見に向かう。

+£+
到着。車は2台程あるのみ。鳥やセミのなく豊かな田園風景の印象的なロケーションだ。






明治時代の廃校になった小学校を有志をつのり改装することから始まった美術館。校庭もあり思わず母校の小学校を思い出して走り出したい気分になった。



展示スペースは、長〜い廊下に沿うようにしてある。


作品の写真は、沢山アップしたいけれどやはり直接体験していただきたいと感じる展示であったので遠目でのせるね。








とにかく、作品のエネルギーは高く細部まで見ても観ても飽きたらず。
ぜひ、ゆったりと時間をかけて触れて欲しいよ。

+£+
とは言え、楽しい作品満載でついついふざけたくなり…



変顔勝負!なんで笑笑



なんか、負けたくなかった😅

+£+

展示のあとは、広々とした空間にて校庭を眺めながらボーッと余韻に浸れるデザイン演出はありがたい。







最後に玄関の作品と記念撮影した。
また来るから、とご挨拶して^ ^




校庭を飾る紫陽花。
ちびっこカエル君がひと休みしてました。

また来ます。







■___/ダンス以前について考える

2017-04-01 | this AND that

 

 

■___/ダンス以前 ダンス以前は、20世紀の身体性教育の始まりであったフェルデンクライス•メソッドの指導者でありパフォーミング•アーティストである小林三悠によって展開される表現ジャンル/思想である。

 

日本にて職業ダンサーとして活動する中でダンスの本質的価値に疑問を抱きはじめ、単身アメリカ•カリフォルニア州、ハワイ州に留学、移住する。9年間に及ぶ他国での生活なかで多様な芸術、宗教、価値観に触れ土着の民族音楽や文化の美意識に興味を持つようになり、様々な表現文化が誕生するきっかけと考えられる経済、教育、思想、とくに人の行動や価値観、感性を決定しうる生活環境、例えば季節、生活習慣、日々の労働条件に着目し創作活動を展開してきた。

田植え、山仕事、庭の手入れ、日々の労働によって染み付いた姿勢、仕草があれば、それらを丁寧に抽出し、抽出した要素や条件をダンスする際の動き作りの原点としてきた。過去10年の主な活動、作品として「身体と環境のワークショップ」(2010—2012)、「決断のプロセス」「みみずの戯言」(2013)、「無縁仏」(2014)、「静かな糧」(2016)、「How we aware…what we know…〜気づきの系譜〜」(2016)等がある。

 

現在は、庭園コンシェルジュとして働く傍ら日本庭園における作庭家の美学と思想に着目し、庭師の身体感覚や空間把握能力を活かしたパフォ−マンスを展開しはじめている。2017年春、千利休作庭•百積庭(大徳寺聚光院)にて「白の御神楽」を振付け、上演する。

(2017.6月現在)

ダンス以前は、現代日本に存在する西洋的なダンスに基礎をもたず、日本にダンスが歴史的、教育的に導入される以前の舞やおどりの源を探し、発見し、創作の原点とする活動自体をさします。また、ダンスになり得る前の動きを繋げて「躍る」行為を意味します。

 

他の人はダンスをなんといっているんだろー。

「ダンスは、遊戯的でリズミカルな動きの連続によって豊かなコミュニケーションと表現を楽しむ文化である。」

(日本ボールルームダンス連盟)

と広く定義されるが、ダンス以前の場合

ダンスに文化的役割、意味、価値が発生する以前の活動をさし、

ダンスがコミュニケーションや表現のメディアとして扱われる現状を含めない(どちらかと言うと否定する)ダンスです。

 

■___/ダンス以前の場合、

  

通常の作品概念の中に含まれるはじめとおわりはなく、作品テーマ、モチーフ、使用する決まった音楽等や振付けは躍るためにさほど重要ではありません。

 

では、何を躍るのかというと、、、躍る場所にたったとき、踊るにはとるに足らないあらゆる感覚、感情、考えの兆しを集めて躍ります。

例えば、察するもの、迸るもの、突き抜けるもの、心に触れたもの。

awareしたもの。

いや、するにもまだいたらぬ未然のもの。

自分でも、awareしたとわかっていないむさくいな領域とでもいうのでしょうか。

 

 

 

 

 

きっと、音楽にのってタンゴのように「踊る」よりも渓流に銀鱗が動くような「躍り」に近い「おどり」であることはたしかで、

時と場合によって踊りと躍りの狭間をおどると言えます。

自分の中では、これが一般的に言われるダンスかだんすでないかないかと、問われたダンスではないけれど、

ダンス以前は、事の発端に気づきおもわず作動してしまう、とめようのないものを躍るダンスなのです。

(2016.3月現在)

 

 

 あれ?

やっぱりダンスだった。

 

 

 


New year resolution; morning walk to 黒谷

2016-01-26 | this AND that

It has been very warm winter, although last week we had a big snow day in Japan, including here in Kyoto.

 

How are you doing on keeping your new year resolution?

I luckly happen to wake up early to visit Yoshida shrine for new year greeting on new years day and I found of morning fresh air since then and GUESS WHAT!

I, myself used to be more night person, become a morning person like a bird!

It actualy surprises me. LOL

 

Well, since then my dairy routeen is to wake up before sunrise to walk up to Yoshida mountain, go through the shrine to get to Kurodani temple to meditate while the monks do their morning chantings!!

It got so much snow last week, though my walking routeen is still with me.

What a surprise!

 

Everyday, same pathway...

thuogh none of the morinings are the same ever.

nothing is the same.

 

it stated to remind of me the spirite of appreciation.

the every life,

the every neighbors,

the everyday food,

the every breath...

 

it kinda nice to sense the changes in the same routeen.

It is a habit I happend to create with joy in taking one deep breath of  morning fresh air.

Start with pleasurable new year resolution is not a bad idea.

 

I wish you all a year with full of discovery and smiles.

 

 

 

 

 

 

...Something to come up soon...

Feb/13 Talk about LOVE dialogue @ Cafe Aina

Mar/7  Music and Feldenkrais night @ Kyo-machiya 人と生活研究所 音楽と植物と。。。

Mar/11Art of caring night for care workers @ Bethesda no Ie

Apr/7 Dance for Shaka's B.D. @瑞泉寺

May  Tea and feldenkrais after Picking the wild straberry @ 吉田山

June Fresh herbal tea time after picking the wild mint @鴨川

 

 


Penny meditative spot in Yosida area, Kyoto

2016-01-05 | this AND that

Now Happy Holidays are over...

 

though my holiday activity created such a fabulous habit to have in my dairy life.

 

that is visiting 真如堂 for the morning walk through Yoshida shrine with mountain foggy air...

 

recognizing a fresh air makes my day.

Breathing..hah...

arriving at 真如堂 while looking at sunrize coming out from mount 大文字

 

the door of 御堂 is slightly open. though don't be shy here.

Takee off shoes quietly and bow before you go in there.

and entering 御堂 and offer the donation into the box at the front.

Chime and pray here.

 After that flow...if you wish, go to aside of御堂 and meditate.

My favorite spot is sitting at the right hand side, so that you won't disturbing nobody.

just sit there calmly as long as you wish..

 

enjoy priceless quiteness inner and outer.

 

my  outcome was won't get wasted after all day work, deskwork or the physically hard work.

thetruth is...seems like i learned how to rest one in a while...during work.

i like this new habit this environment created for me.

 

thanks new year!

 

 

Best,

meyou

 

---feldenkrais Kyoto

 


ダンスってそもそも。。。

2015-12-01 | this AND that

 近年作品を発表することに趣をおくことより、またダンスを踊ることよりもどうして躍りたくなるかを丁寧に探る作業をしてみたいと考えていた。それは、プロダンサーとして躍ってきた背景が大きく関わるように思える。職業ダンサーとして働いていると、決まった公演時間、イベント時間、出演回数が当然のように定められている。出演する時間になり、決められた演目で継続的に長期間躍り続けているとそもそも自分がどうして躍りたかったのかが不確かになることがあったし、躍りってそもそも毎日するものでなくない?といった考えすらも浮かんできた。

 

 

 職業ダンサーでいた当時は、躍る事に意味や役割があるようには余り思えず自分にとって躍る事が自然な成り行きであったから躍っていた。そして、それを見てくれる人達がおり、喜んでくれているのだから良いのではないかと考えていた程度であった。思うと意味づけ、価値、役割等を意識せずに躍っていた頃の方が躍りとの付き合いが楽であり、ルールに縛られず、機嫌良く躍れていたように思える。

 今でさえ「ダンスは、遊戯的でリズミカルな動きの連続によって豊かなコミュニケーションと表現を楽しむ文化である。」という定義は、理解し得るが当時の私は、躍りでコミュニケーションをとっていたつもりも表現をしていたつもりもなかった。(少し、へそ曲がりだろうか。)昨今の社会的課題解決の為のダンス、コミュニケーションを向上する為のダンス、自己肯定を向上するダンス、自己開発や自己実現のためのダンス。。。などど意義づけをされると返って躍るのに居心地が悪くなってしまうわたしがいる。(やっぱり、へそ曲がりなのだろう)

 ダンスは、なにかの道具として使われる事を喜ばしく感じているのだろうか。人をエンターテイメントする為のメディアとされたり、神様に祈りを捧げる為の行為とされたり、自己表現の媒体としてや求愛の行為やら決戦に出る前の儀礼的作法とも見られることもあるけれど。。。それは、副作用みたいなもんで本当は別に価値、意義、役割、効果なんてどうでもよいのではなかろうか。

本当のところは、ダンスにきいてみなけりゃわかりませんけどね。

 

 

 

 

ダンス以前より

 

 

 

★1)日本ボールルームダンス連盟HPより


ダンス以前ノート#001 2015/9/22

2015-09-26 | this AND that

ダンス以前ワークショップノート・・・

 

基本の型は、自己の身体に内包する気づき。

振り付けは、日々の生活の中で身につけた筋肉の癖。

 

はじまりを観察する感覚が動きの起爆剤だったけれど、

最近は、終わり方や終わりの兆しの観察がヒトの動きの原点にもかんじられる結果が原因になるという感覚よりもきめ細かい、と言えそうな。

 

動く以前に

お終わりを丁寧に見守ること。

そうすることで、

次の動きが孕む瞬間を見逃さずに躍れる。

 

次の動きが栄えてくるプロセスに同行させてもらえる。

 

 


Playing for change Day @Impact Hub Kyoto 無事終了のご報告

2015-09-21 | this AND that

9月19日にPlaying for change というチャリティーイベントに参加してきました。

ダンス以前は、Impact Hub Kyoto 能舞台にて即興舞踊を2種の古典楽器と共にパフォーマンスする機会をいただきました。

日本の芸能の型と音楽性が身体に与える精神の根っこ?を探っているわたしにとっては、またとない機会でした。

午前は、琴、尺八、能管、小鼓、日本舞踊を個々に味わう時間。

デモ&レクチャーもあり日本楽器愛好家にはたまらない時間。

その日の様子は、Impact Hub Kyotoのfacebookページに映像としてアップされますので、

お楽しみに。

 

Impact Hub Kyoto 能舞台にて 
 
Photo by: Hub Host 昌美さん
 
小林は、完全に緊張がほぐれ、ひとりご機嫌な様子です。
 
 

•Playing for change dayは、世界中で音楽を奏で平和を願う日です。

日本では、東京のImpact Hub Kyotoでも実施していました。

https://playingforchange.com/

 
また、来年みなさまにお会いする日を心待ちにしております。