The origin of human action.
Vol.001 -here we start-
人の動きの源流とは?
1999~2003年の間、継続的に向けた学部時代の興味だ。
私の通う学校は、小さなアート系のコラボレーションを推進する学校であった。その事が幸いして、この興味に基づいていろいろな視点から取り組む環境があった。沢山のインターディスシプリなプロジェクトを音楽、演劇、映像、美術で活躍する学生、教授と実験し、人の表現の動きの原点を探る日々が続いた。
結果、人の動きは大きく分けて「習慣的と非習慣的」な動きから構成され、さらにその動きの源は、個々の属する文化の「快と不快」に対する価値観のもと形成されているということが、創作を継続して明らかになった。その後は、この2つの発見をふまえて作品作りとコラボレーションを重ねて来た。
今年で大学を卒業してから丸10年経過したことになる。
多作ではないが10年間の間に
「離れて立つ」「I wish I had no head」「風の行方」「土の記憶」「eclipse」「栖の瞬間 _a•ffor•dance」
「決断のプロセス」「みみずのたわごと」を創作した。
自分の中では、一貫したものを追って来たつもりだがこうやってみなさんがみるといかがだろうか。
•「離れて立つ」では、ダンスが立ち上がる際に必要である要素から身体を離したとしても、ダンスが起こるのかを実験した。最終的には、呼吸と鼓動が手だてになり踊ることが可能であるということがわかり実際には、パフォーマーが考えている程パフォーマンスの為の必然性を企てる環境作りは、そうつよく無く必要性の重要度は低いと発見した。
•「風の行方」は、ハワイでフェルデンクライストレーニングをしている間に取り組んだ写真家さんとの2年間にわたる取り組み。踊りの中でしか踊るのではなく、静の中でも踊り続けられる瞬間を捉えるのが実験の狙いでこれは、実際のパフォーマンスは、観客の前では行わず、舞踊的写真展という形で終わった。
•「I wish I had no head」では、Body Weather laboratory.US主催のFlower of the seasonという企画で父という自身の根っこを探る踊りを造形と衣装作家との交流のもと創作した。他者と自己の境界線を探っていたこの時期に人が誕生して初めて関わる他人=父について探ることにした。FMのトレーニングを卒業したこの頃、自己と他者の区別、重なりあい、変容について興味があった。この作品は、その後の「eclipse」と「みみずのたわごと」の創作方法の土台となる作品になった。
•「土の記憶」秋田森のテラスでの2年間の関わりを体現化する作品。自然と人間が関わる接点が多くデザインされた森のテラスで春夏秋冬をへて耕かされる土とは、どんな心持ちなのだろうかと。秋田、森のテラスの山開きを祝して朝、昼、夜と3カ所で舞った。
•「eclipse」は、西陣ファクトリーGardenにて。「明るすぎる世界に闇を」と祈る様なつもりで企画した。ブラジル、アメリカ、仙台、東京、京都の作家によりそれぞれの光をつくって貰った。観客が真の闇を体験したら、本当にどれだけの光が私たちの生活のなかで必要なのか気づけるのじゃないかと仮定し、最小限の明かりの元パフォーマンスした。
•「栖の瞬間」は、人と生活研究所にて。生活、性別、制度といった3つの栖をテーマに椿井の女という物語をベースに創作した。自分の職場で躍ったのは、初めてだったが、これをきっかけに生活と地域性、働き方について興味を魅かれるようになる。
•「決断のプロセス」ファシリテーターという役柄を担う人達に出会うことで生まれた。その場に集まったそれぞれの興味関心、背景をもった人々に対してひとつのテーマをもとに人の持つ価値観を拡大、変容、整理を促進する役柄の人。この人は、まさに舞踊であり、ソマティクスの学びとも類似すると感じ、その場で出会った音楽家とともに創作をはじめる。対話を重ねるうちに、人の決断のプロセスは、こうも違うかと感銘をうける。
ひいては、即興をベースにした身体表現者のための稽古方法ができあがる。現在進行形の創作作品ではあるが、ワークインプログレスとして何度かライブスペースで実験している。これからも実践をかさねた上で、誰もが体験できる身体変容技法に体系化させたい。
•「みみずのたわごと」「栖の瞬間」で探り始めたアフォーダンスと踊りの関係を深めると同時に「決断のプロセス」でつかみはじめた躍らざるをえない環境の要素を加えたい経過させた即興ベースの作品。これに、生物的機能を誇張させる照明と音響を開発。今後の作品のプロトタイプが完成した。
そして、今。
2014年大学院に入学し、2015年12月の卒業創作を目指し作品を制作しはじめている。
今までのダンス以前を探る活動の集大成のプロジェクト発起。
題して『Somatic and the creative process』プロジェクト。
自身によって内側から経験される人間存在を研究する学問領域=ソマティックスは、『気づき』『生物学的機能』『環境』という3つの要素の内的な相互関係を研究するアートサイエンスだ。このソマテック現象が起こる創造過程を明らかにするのがこのプロジェクトの目的。サイエンスがかつて『知識』であり、アートが『術』であるとするとこのプロジェクトの理念は、技術的知識の実践としたい。それは、現在はびこっているたっくさんの屍的知識にピリオドをうち、実践によって立証が伴い再現可能な知識を再生するための生きた科学とアートの実践を!をスローガンに進めていきたい。
過去10年の間、私は舞踊家であると共にフェルデンクライスアプローチの指導者でもあった。幸いにも素晴らしい生徒さんに恵まれその人達に関わることで多くに気づかされた。彼らは、真の自分術の実践者であったからだ。レッスンは、いつも実験的、かつ、彼らの表現で目指す境地にアクセスする為の時間であった。実験の積み重ねからえた再現性の的確さが知識になり唯一無二の実践書の創造が可能になっていく姿をいくつもみせてもらった。
彼らの目指す取り扱い説明書は、常にアップデートされ、留まることを知らない。1つのライブや公演が終わると書には、更に詳しくなるか新たなチャプターが加わる。彼らの書は、実に様々な現場で応用可能で初期化しては、再利用し、またアップデートしては、書き足しするうちに次第に本質を太く確固たるものにしている。そう、書は一生の中で常に継続して書き続けられる。そして、その書は1人につき一冊あれば充分で他人のものを借りる必要もない。
今は、沢山の技術書やマニュアルが沢山でているけれども他人のものを借りる必要は無く、自分のアートサイエンスを持てば一生困らず暮らしてゆけるってことになる。
この傾向に気づけたのは、京都のあらゆるクリエーターたちや他分野で働く様々な人々とレッスンを共にしてきたお陰だ。彼らよって、他者のマニュアルや方法はいらず自身で開発、体系化することを立証できた。マニュアルフリーな表現者達。この経過がいかにして成し遂げられるかを明らかにすることで、この経過がいかに意義あるものかが広く様々な年代の人に伝えられることができれば嬉しい。
Curiosity とCreativityは、あらゆる学問、生活、文化、文明の出発点であるといいたい。昨今の日本の働き方や労働条件を考える上で、ソマティックスの領域が貢献できることはないか。アートサイエンスを再考してEmbodyする仲間を探し、活動してゆきたい。
【実験初日】
2015年1月10日、18日「決断のプロセス」を使用して探り始める。
協力は、Impact Hub Kyotoで出会った方々とそのスタッフのみなさん。
当日は、中野民夫さん、柳沢友里亜さんと進行する。
次回:Vol.002 技と業 ~働き方と創造の関連性~