栗本軒貞国詠「狂歌家の風」1801年刊、今日は春の部から三首、
上巳
けふは汐のひのもとのみか蛤のから迄かち路ひらふ海原
翌日又人々打より
三月四日といへる題を
さくりて
雛酒の残りに酔ふも昨日しいたそのもうせんのあけの日の色
わつさりと見し草餅もひなの日の一夜過れははやかひた色
上巳は三月三日の桃の節句のこと。しかし貞国の歌は今のひな祭りとは随分趣が違うようだ。
一首目は、技巧を駆使した結果、私には難解な歌だ。「かち路」は歩行路(かちぢ)、徒歩の旅をさす。「狂歌桃のなかれ」に歩行路が入った貞国の歌がある。
寄竹述懐 貞国
老の身のひらふ歩行路につく杖のその古を忍ふ竹馬
一首目と同じく、「ひらふ」が入っている。これは「かちをひらふ」徒歩で行くという表現で、一首目では蛤の縁語となっている。また、汐が干る、から日の本、に対して唐まで歩行路と言い出して、蛤の殻にかけている。さらに海原を歩行路という面白さも入って、盛りだくさんの貞国らしい歌であるが、何が言いたいのかよくわからない嫌いがある。貞国の時代、潮干狩りは三月三日にするものと決まっていたという。今日は引き潮のみだろうかずっと沖まで蛤を拾っている、みたいな歌意と一応考えておこう。あるいは何か見落としているのかもしれない。
二首目は毛氈の朱(あけ)からひな祭りの明けの日の色と詠んでいる。雛酒といい、朱色の毛氈が出てきて少し今のひな祭りと同じ匂いもする歌だ。しかし、単に酒好きの貞国が酔っぱらっているだけのような気もする。
三首目は、昨日はわっさりと見えた草餅も三月四日になるとかびた色に見える、と詠んでいる。貞国は団子や餅の歌も多く、酒も餅も両方いける口だったようだ。「わつさり」は辞書で引くとあっさりと同義と出てくる。しかし現代では草餅の色をあっさりとはあまり聞いたことがないし、ここではもっと肯定的な、違うニュアンスがあると思うのだけど中々用例が見つからない。
一首目に関連して、貞柳翁狂歌全集類題から一首引いてみよう。
潮干に住吉にまうてゝ
汐のひるいつも節句のいつもいつも住吉みやけににしるはまくり
(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」13丁ウ・14丁オ)
「にしる」は蛤の煮汁ではなくて、「蛤にじる」で潮干狩りの時に足で探って蛤を採ることのようだ。この歌の前に十首ぐらいある節句の歌を見ても、上巳とは酒と草餅と蛤であって女の子の祭りという要素は皆無である。ネットで調べると江戸中期から庶民にも広まったとあって貞柳の時代はまだ無かったのかもしれない。貞国は二首目に少しそんな感じも見えるのだけど、貞国の興味は酒と草餅ということだろうか。
【追記1】 「狂歌桃のなかれ」のひな祭りの歌、
三月三日 貞桟
雛祭りあかねまへたれ緋の袴在所娘もかりのおつほね
広島 福原氏幸女
ひな祭り宮もわら屋も押なへて田舎も桃の花の都しや
草餅 庄原故人 可周
灸とはあちらこちらに蓬餅ひなに子供かすゑて悦ふ
貞桟は庄原の人で在所娘の普段の暮らしぶりが気になるところだが、寛政年間には地方でも今のように女の子が主役でひな人形を飾ったひな祭りをやっていたようだ。「田舎も桃の花の都しや」華やかな様子が伺える。
【追記2】 「狂歌手毎の花 二編」から貧家雛祭と題した歌を三首、
貧家雛祭
身躰も寒いうちとてまつれるは懐手してこさる紙ひな (逸昇亭風姿)
あきからの戸棚をすくに仮御殿ひんほかくしとなる雛まつり (知足斎愚楽)
風呂敷をしいてなりとも雛祭初の節句はつゝまれもせす (東翠舎狐月)
狂歌手毎の花は同じ作者の歌を数首ずつ記していてこの三首も連続ではなく、別々のところに同じ題で入っていたものだ。貧家雛祭という題が何度も出てくるのは、庶民のひな祭りが華美になっていったことの裏返しとも考えられる。