阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

短歌 その1 (2008年まで)

2014-04-11 09:33:44 | 短歌(まとめ)


  

              森脇

  思い切りどかんと蹴って森脇は「失敗した~」と笑い飛ばせり 

  劇場に夢中な君の横顔を見れば森脇うるさくもなし

 

      アテネ世代

  まずそうなエイちゃんの顔見たいから土産まじめに選んだあの頃

   コバさんは寅さん似と言うウラちゃんの新たな苗字アシストに載る

  あきちゃんの面影追っているだろとかおちゃんチクリ似ているかなあ

  背番号7は私の名前ですと代表ユニを持ち上げた君

 

      甘露煮

  甘露煮を口に運べば古河の町を君と歩いた秋の日思う

 

      聖夜恒例

  ケーキ食う以外なんにもない夜は片仮名メール繰り返し読む

 

      題不知

  天井の野口五郎と目が合った二十八年前の冬の日

 

      恨恋

  もてないと我が嘆けばうんうんとうなずく君ぞいとうらめしき

 

      君不来

  君来ないビッグアーチの寂しければ場所取りシート適当にはる

  君来ないビッグアーチの寂しければ勝率悪いラーメンを食う

  君来ないビッグアーチの寂しければ坂本しゃんからサイン道きく

  君来ないビッグアーチの寂しければホームは野次よとヤケ気味に言う 

  君来ないビッグアーチの寂しければ5番のギャルに声かけてみる

 

      秀歌 

  夢の中で秀歌よみけりすぐ起きて書きとゞめけりでもそれも夢

 

      夜行バス

  ライトつけて握り飯食う あったかい手だねと君が言ったその手で

 

      普通列車山陰号    

  はいゝろの海みて食べるゆゑならむ冬でもうまい出雲そばかな

 

     被振恋 

  丁重に断りましたが口ぐせの君そっけなくふってくれたね

 

      丘団地昔日

  じいさまとキノコ探しし低き山の名残の森につわぶきの咲く

 

      久保竜彦

  左足をぶんとくぼたつ振りぬけばビッグアーチに揺れる紫

 

 

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その3 ヨースケの質問

2014-04-09 19:23:46 | サンフレ昔話

 昨日までの代表合宿で大声で悪はしゃぎしてる槙野の横に洋次郎がいるのが残念だとか、槙野が上がりすぎて塩谷が上がれなかったとか感想が聞こえてくるのだけれど、まあ彼らしいというしかないだろう。ただ、槙野の昔話だけ書くのはさすがにうっとうしいのでヨースケ(柏木陽介)にも登場してもらう事にして、二人がユース3年だった2005年の話を書いてみたい。

 

 これは吉田町(当時)の広報紙、広報よしだ03年4月号に乗ったユース新入団選手の自己PR。この年はJ2降格の影響なのだろうか、新人は7人だけ。そのうちプロになった4人分を見てもらおう。吉田サッカー公園のロビーにおいてあったのを事務所でコピーしていただいたものだ。

 槙野のところを読むと、彼の基本的な部分はユースに入る前に完成されていたことがわかる。「常に声を出し相手をビビらす」ために大声を出していることもわかる。こんな事を自己PRで書く人は他にはおらんよね。私もユースのゲーム後に槙野から「今日は一回いい声がありましたよ」と言われて、90分応援して一回かとガックリ来たことがあったけれども、槙野というのはそういう男だ。私に言わせれば、10年前と今とではユニの色が変わっただけで、中身はちっとも変わっていない。

 ヨースケも「キーパー前に入ってくるちょっとだけうまいコーナーキック」ってところに性格が出ている。この頃のヨースケはネガティブでひがみっぽくて、ゴリさん訓話に必ず出てくる、「へたくそだから帰る」というセリフは有名だ。ここからはヨースケを中心に05年の話をしてみる。

 05年3月20日に吉田で行われたサテライトリーグG大阪戦にユースから槙野、ヨースケ、金山の3人が参加、槙野は先発でヨースケは68分くわしんに代わって出場。ややモチベーションの上がらないプロ選手の中で素晴らしい動きを見せる。ところが71分に負傷してわずか3分で前田俊介と交代、鎖骨骨折だった。

 そのあと3月29日、私はユースのアシックス杯西日本フェスティバルを見るために吉田へ。この大会は30分ハーフのゲームを1日2試合、春休みということもあってJrユースから宮原兄や、皆実高校が選手権優勝の時のFW、吉田中の金島君も練習生として出場していた。その2試合のインターバルのあいだにちょうど天然芝でサテライトが練習していたので見ていたら治療を終えたヨースケがやってきた。思いがけないことではあったけれど、一緒に練習を見ながらしばらく話を聞くことができた。

 まずは20日の負傷の場面、自分でも調子が良くて完全に抜けたと思ったそうだ。ところがつま先が引っ掛かって受身が取れずに肩から落ちたって。その時、サポーターの「うちのプリンスに何するんじゃ」という野次が聞こえて来たそうで、痛さの中で笑ってしまったと言ってた。プリンスと言われたことが嬉しかったようだ。

 自分がいない今のユースについては、「龍一にパス出す奴がいない」って。この時、ヨースケは自分の持ち味をパス出しだと思っていることを知った。これは私にとっては意外で、豊富な運動量で縦にボールを運ぶのがヨースケの魅力だと思っていた。ミシャが「危険な走りをしなければならない」と言う時、真っ先にヨースケの顔が思い浮かぶ。パス出しがうまい人は他にもたくさんいるのだから、もしこれからヨースケが代表を目指すのであれば、危険な走りの部分で勝負するのが良いのではないか、上半身の筋肉はいらないのではないかと思うが、これは本人が選択したことだからとやかく言うまい。話がそれた。

 そのあとU-18の話、去年の自分のベストシーン、これはプリンス多々良戦88分のドリブルからのゴールとJユースガンバ戦のFKと言ってた。私はずっと聞き役であったが、それで十分幸せだった。ところが、そのあと話題が変わって突然質問が飛んできた。曰く、

「槙野は、どうして大人の女性にもてるのでしょうか?」

これにはびっくり。20年サポーターをやっているがこんなことを選手から聞かれたのはあとにも先にもこの時だけだ。確かに、槙野は年上のファンが多くてプレゼントはブランドの財布とか、一方ヨースケは中学生女子が多くてプレゼントも猫耳とかおもちゃの類、この傾向はプロになってからも変わらなかった。しかし、これは聞く相手を間違っている。もっと女性にもてそうな男に聞くべきだ。もちろん、答えられるはずもなく、サッカー頑張ればもっともてるようになるよと言って逃げるしかなかった。

 ところがそのあと少しヒントになるような出来事があった。05年から2種の試合に女性審判が来るようになって、ユースの試合を担当する事もあった。しかし、接触プレーの判断はまだまだ経験が足りなくてサンフレユースのゲームを吹くレベルではなかった。まずは槙野のケース。

 7月9日のプリンスリーグ2ndラウンドは吉田で国泰寺と対戦。その48分、女性審判から不可解なイエローカードを出された槙野がレフェリーに向って歩いていく。一瞬緊張が走ったが、そのあと槙野は女性審判の肩を抱いて何かささやいてる・・・端から見たらセクハラ、思わず「触ったらいけんじゃろー」と叫んでしまった。こちらの方がセクハラだったかもしれないが、ユース選手を野次ったのはこの時だけだ。しかし、こんなことをする高校生男子はおらんよね・・・。

 なお、槙野はこの年のプリンスリーグは代表とかでいない時もあって10試合中7試合に出場、手元に残ってる公式記録ではシュートは計5本しか打っていない。槙野の、特に足による得点力はむしろプロになってからのものだ。センターバックとして海外行きたいならシュート練習よりも別の練習した方が良かったんじゃないかと思うが、これも本人の選択だ。新入団会見で得点王とると宣言してその線で努力する、それが槙野のやり方なんだろう。実現しないことがあったからといって何年にもわたってガタガタいうのはいかがなものかと思う。

 次はヨースケのケース。8月27日の吉田招待、2試合目の大阪朝鮮とのゲームだった。後半4分、女性レフェリーがレッドカードを掲げる。このゲームは天然芝のクラブハウス寄りにピッチが切ってあって、私がいた谷側のゴール裏からは遠い場所だったので何が起きたのか全くわからなかった。退場になって引き上げてくるのはヨースケ、もちろん声をかけるつもりはなかった。しかし、ネット越しにこちらを見て話したいように見えたので、「どした?」と聞いたら、「だから女審判イヤなんじゃあ」と言ってしまったと。なるほど、それなら異議じゃなくて侮辱でレッドかもしれない。「謝りませんからね、だってへたくそじゃないですか!」と続ける。そう言われても同意も反論もできない。なるほど、わかったと言うしかない。

 そのあと、ゲームを終えた選手たちが引き上げてきて、ヨースケもネット際まで来て迎える。そしたら龍一が「ちょっと言い過ぎなんじゃないの? 謝ってきたら?」って。ユースに入った頃の龍一は大人に対する態度がアレで視界に入っただけで睨みつけられてるように感じたものだ。この時期の龍一に接した人に、10年後はJでキャプテンやってると言っても誰も信じないだろう。だからこの発言は私にとってもびっくりだったけど、ヨースケは龍一に言われてがっくり、とぼとぼと女性レフェリーのところに謝りに行った。ゴリさんも加わった話し合いで、招待試合であるからベストメンバーで臨むのが礼儀、しかし公式戦でなくてもレッドが出たらノーペナルティというわけにもいかない。次のゲームの前半だけ出場停止という裁定になった。

 この女性審判への対応をみて、ヨースケの質問の答えが少しわかったような気がした。しかし、高校生男子一般でいえば、ヨースケの方が平均値に近くて、やはり槙野の対応の方が特異であるように思える。もちろん、ヨースケと答え合わせはしていない・・・

 ユース出身者が次々と移籍してしまう事態に、クラブ愛教育をしろという人がいる。しかし、サッカーやってる中学生高校生のスピーチを聞くと、8割以上が将来は海外でプレーと言う。それは止められない。それに、いくら忠誠心を上げてもambition(若い選手の成長には必要不可欠なものだろう)のパラメータが高ければ飛び出す力は生まれてくる。確かにユース出身者が移籍金も残さずに移籍してしまうのはクラブにとって頭の痛い問題だ。クラブの将来を真剣に考えて行動しているサポーターをリスペクトしているし、3人が移籍したあとの新入団会見で24番を継いだ選手にサンフレ一筋と言わせてしまったのは心が痛む。しかしそれでも、ユースやジュニアユースのゲームの現場では選手の個性を応援したいと思う。それは理屈ではなくて自然な感情だと思っている。


ランダムにサンフレ昔話 その2 97年の郷原

2014-04-09 10:09:30 | サンフレ昔話

 仙台のアーノルド監督の解任が伝えられている。サンフレ時代はアニーと呼んでいたので以下アニーと書かせていただく。プレーでの印象はあまり残っていないが、97年の思い出を少し。写真にアニーが写ってないのは申し訳ない。

 98年11月に吉田サッカー公園が完成するまでは、サンフレの練習は郷原が多かった。当時は広島熊野道路がまだ開通してなくて、バスで行こうとすると呉駅まで行ってから引き返して来ないといけなかった。広島市内の自宅からだと長居の方が時間的には近い場所だった。そのせいで自力で行ったのはほんの数回、ほとんどユースの公式戦ばかりだった。

 ところが97年の11月2日、郷原に練習を見に行こうと誘ってもらって、その人の車に乗って郷原に行った。W杯初出場を決めたジョホールバルが16日で、Jリーグは中断期間に入っていた。そのせいか紅白戦にはすでにサンフレを離れていたゴリさんやユース1期生の高田純や名前は思い出せないがどこかで見たことのある選手も練習生として出場していた。

 そして、サポーター同士で話しているうちに、アニーは今日の練習を最後にオーストラリア代表に合流すると聞いた。ジョホールバルの日本vsイランの敗者が大陸間プレーオフでオーストラリアと対戦する事になっていた。

 それならサポーターとしても、アニーに声をかけたい。しかし、プレーオフの相手は日本かもしれなくて、こういう場合何と声をかけたらいいか・・・。あーだこーだ言い合っても英語のできる人もおらんし良い知恵は出ない。ここはいらんこと言わずに握手だけしてもらおうということになった。そしてアニーが出てきて、我々が近づこうとしたら、その前に望月コーチ(現ユース監督)がアニーと握手して「グッドラック」って。ああ、ってことでサポーターも握手してもらいながら一人ずつグッドラック、今考えると馬鹿みたいな光景だ・・・

 その後はご存知のようにジョホールバルでは岡野のゴールデンゴールで日本がフランス行きを決め、オーストラリアvsイランは2分ながらアウェイゴールでイランが最後の切符をつかんだ。2戦目のメルボルンが、アニーの豪州代表での最後のゲームになったそうだ。私が郷原でトップの練習を見たのはこの時一回だけ、それだけにアニーのことは忘れられない思い出だ。今年Eスタでその姿を見られなくなってしまったのは残念、プロの監督の宿命ではあるけれども・・・

ランダムにサンフレ昔話 その1 「シュート打て」

2014-04-07 12:48:13 | サンフレ昔話

 徳島のシュート打てコールが話題になっているけれども、サンフレのゴール裏からも同じコールが出たことがある。2003年8月30日、ビッグアーチでのJ2水戸戦だった。記憶がいい加減な私がすぐにゲームを特定できたのはちょっとした思い出があるからで、まずはそのあたりから。

 その前の年の2002年、私の幕を作ってもらっているS子さんが関東のゲームでトゥーリオファンのMさんという女性と知り合った。Mさんにとってトゥーリオは高校の先輩にあたるそうだ。トゥーリオは01年サンフレ新加入のあと03年は水戸にレンタル。その時のいきさつを今西さんから直接聞いたことがあった。それによるとトゥーリオはA契約外国人としては物足りないということで02年で契約満了になる予定だった。しかし、J2降格が決まった札幌ドームのゲーム後、久保社長が全員と契約すると発言、これは今西さんにとって寝耳に水の話で、その後引き受け先を探すのに苦労したけど外国人枠の余っていた水戸にお願いしたという話だった。これは後年の今西さんのインタビューと食い違う部分があるのだけれど、03年に今西さんから直接聞いた話だ。話がそれた。

 03年水戸でのトゥーリオは守備の要というだけでなくポイントゲッターとしても活躍。4月24日の誕生日にプレゼントを渡しに行ったMさんの話では、どういうルールか知らないがその日から帰化申請ができるとかで練習後ファンサービスもそこそこにサンフレ職員と一緒に去って行ったそうだ。4月下旬の時点で評価が一変していたことがわかる。

 さて、やっと本題に戻るが、この8月末の対戦の前にS子さんから連絡が来て、ビッグアーチでのトゥーリオの様子をMさんに手紙で教えてあげてほしいという。ちょっとおせっかいだなとは思ったけれど、私が女性に対してできることで唯一得意分野なのが手紙を書くことなので引き受けることにした。この時点では、お安い御用だと思ってた。

 ところが、当日になってみると、ユース2年の洋次郎がスタメンだった。故郷Jヴィレッジでのクラブユース決勝が8月3日、そのあと洋次郎は夏休みということもあってトップの二葉寮に移って練習参加していた。小野監督にとってみれば夏休みの最後に一回出しておこうということだったのかもしれない。洋次郎がプロ契約するのは10月の高円宮杯全日本ユース敗退後のことだ。

 その年のサンフレは一回り目は他を圧倒して独走かと思われたけれど、夏場は相手に対策されて厳しいゲームが続いていた。雨の中で始まった水戸戦も、双子がやや夏ばて気味で精彩がなく、春の広スタでの対戦の時のようには押し込めない。最初右サイドに入った洋次郎は雨のせいかトラップミスが目立つ。前半23分に失点後、システムを4バックに変更、洋次郎はボランチに移ったが若さのせいか前へ前へ行ってしまって相手に反撃のスペースを与えてしまう。そんな中でB6から、

「動け、動け」

「シュート打て、シュート打て」

というコールが出た。後にGK下田は「厳しいなあと思った」と語っている。何より問題だったのは、この二つのコールでスタンドの雰囲気が暗くなってしまったこと。結論から言えば、もうやらん方がいいだろうね。一回やってみてわかることだけれども。

 洋次郎は後半18分サンパイオと交代、CKを得てゴールエリア付近にいたときに交代に気づいてそのままゴール裏に出てメイン方向に去っていく35番の背中が今でも忘れられない。J1復帰に向けて負けられないゲーム、そして異様なスタンドの雰囲気、17歳になったばかりの洋次郎にとっては酷なゲームだったかもしれない。試合はその後相手に退場者が出て、後半44分サンパイオのゴールでかろうじて引き分けた。

 そのあと、手紙を書かなければならないのだけれど、もう洋次郎ばっかり見ていて、トゥーリオがどうだったか・・・。ひとつ言えるのはあまり上がって来なかった。記録を見るとシュートは1本だけど、これはセットプレーで流れの中では来なかった。明らかに広島への遠慮があったと思う。この時点では、来年J1のサンフレでプレーしたいと思っていたようだ。でも、上がって来なかっただけ書くわけにいかんので、それ以外は洋次郎のことばかり書いてしまった。当然S子さんからはお叱りの言葉をいただいた。あまり興味のないことを安易に引き受けるものではないという教訓じゃね・・・

 あれから十年、しかしながら、Mさんは今でも関東サンフレのゴール裏にいて、しかも10番を着ていらっしゃる。これはひとえに私の功績であると、関東サポを見つけたら自慢することにしている・・・


シュートの精度を上げる応援(募集は終了しました)

2014-04-01 00:01:38 | エイプリルフール

 応援に二つの不如意ありという。ひとつはピンチをチャンスに変える応援。劣勢の場面で集中力をもってしのぎ、良いリズムの時間帯にはさらにかさにかかって攻勢を強めようという応援はあるけれども、ピンチを一瞬にしてチャンスに転ずる応援はない。流れを変えるきっかけは、やはり選手たちによってつかんでもらわなければならない。

 もう一つは、シュートの精度を上げる応援。日本人はシュートを打つとき求められる精神の沈静がへたくそな民族で騒ぎ立てるのは逆効果、PKも味方が蹴る時は静かに、相手が蹴る時はうるさくするのが一般的だ。少年サッカーでも、子供の名前を叫ぶのはシュートが終わってからにした方がいいと言われた人もいるはずだ。フィニッシュの場面では選手個人でゴールをこじあけるしかなく、サポーターにできることは少ないとされている。

 しかしながら、果たしてそう決め付けて良いものだろうか。世の中には不快な音も数多くあるが、逆に心地良い音も少なくない。シュートを打つ選手の脳内に響いて精度が上がるような音が実は存在しているかもしれない。もし、それをつきとめることができれば応援は今まで以上に大きな力になることだろう。これは以前から考えていたことだけれども、折しも病を得てスタジアムで90分応援する事はかなわない体であるから、今こそ研究を進めてみたいと思い立った。

 最終的にはサポーターの声で応援するのであるから実験も誰かに声を出してもらった方がいいだろう。そこで、協力者を募集したいと思う。やってもらうことは簡単で、吉田サッカー公園のサンフレ選手の練習中、シュートを打つタイミングで、「ぎょーん」「ぴろぴろぴー」「ぱおーん」などなど、いろんな声で叫んでいただきたい。記録係は私が務めて、一種類の声を千回もやれば大丈夫だろう。吉田は山奥にて鹿や猿や山の木々しか聞いてはおらぬ、恥ずかしくはない。選手たちからは頭がおかしいと思われるかもしれないが、これも崇高な任務のためだ。チームのために捨石となること、これサポーターの本懐というべきものなり。

 思い立ったが吉日、善は急げというから、早速行動に移したい。われこそはと思わんサポーターの方、本日4月1日12時までに声をかけていただきたい。貴君の美声が麗しき吉田の里に響き渡り選手たちのシュートが次々に決まれば、タイトル総なめ間違いなしである。