回を重ねるごとに盛り上がりを見せている(?)佐藤和夫『〈政治〉の危機とアーレント』の読書会です。
第1回・第2回の様子はこちらをご覧ください
⇒第1回の議論のまとめ
⇒第2回の議論のまとめ
第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会
【開催日時】2017年11月30日(木)20:00~21:00
【読み合わせ箇所】第3章「自分らしさと私的所有」(p.105~p.130)
「プライヴァシー」を「自分らしさ」を確保する居場所と捉え、それが切り崩されることの危機を論じています。【参加条件】
⓵スカイプ通信での対話を行います。参加希望の方はメッセージをお送りください。
⓶可能な限り事前に指定範囲を読んでご参加ください。
【参加者によるこれまでの感想】
◎読書会は 「絶滅危惧種」だという話がありましたが、その通りだと思います。話が通じないことおびただしいから、もどかしいし、まどろっこしいし、なんだよー、とも思うことも多い。そして、「人間性」の違いからもう無理!って思うこともある(過去の経験)。
でも、間違いなく、私の思考はそういうところで巡り会った 「他者の言説」によって構成されています。
テキストを読むことも、映画を観ることも、芝居を見ることも、美術展にいくことも他者と出会うという意味では同じようなもの、に一見思えるのだけれど、実はかなり違うんですよね。
生身の他者のチョイスを、 「他者の肯定」を肯定する、という経験がそこにはある。ここでの肯定はとりあえず否定といっても同じことだ。
いわゆる同好の士が集まったサロン、とはちょっと違う話になるよね。アーレントは、実は自分の中でそれをやってるような気もする。
ここから先は國分功一郎氏の「二者」と 「多数」の問題にもなってくる。
ワクワクです。また次回を楽しみにしています。
◎(スカイプ通信という方法について)「生身の他者」と出会う、というのは読書会の重要な側面だとは思います。併用するといいんじゃないすかね。
◎対面の読書会とは違った雰囲気、言葉を浴びている感じです。確かに対面のよさもありますが、併用することで回数が重ねられますし、対面したときがどう変化するのか?が楽しみですけどね。
◎パウ・カザルス(1876年12月29日 - 1973年10月22日。スペイン・カタルーニャに生まれたチェロ奏者で、チェロ演奏の今日を築いた。指揮者、作曲家としても活動した)の「鳥の歌」。きょうここで聴けるとは!まったくの驚きで、いきなり感無量。カザルスの一徹な悲願を新たにした(彼の鳥は今も「ピース、ピース!」と歌い続けているから)。弟君の思いっきりの良い(やんちゃな!)「コレルリの主題による変奏曲(クライスラー)」ともども、兄弟による歓迎演奏あまりにも素敵で、心の中で「よき哉!よき哉!!」と興奮しつつ堪能させていただきました。
さて「条件」という単語の多義性(大きくは下記A&B)の波に浮いたり沈んだりしながら……
A:普段はもっぱら「求めるとき/求められるとき」に、「飲ませたり/飲んだり」するもの、というような意味で用いてきた「条件」
B:あったり(起きたり)/なかったり(起きなかったり)するモノ/コトの因果を来す要因(観察して解明する背景要件・環境状況)を指して用いる「条件」
取り急ぎ直感で読む、というか直感が感知するものについての表明・表現を思考錯誤している気分です。
・いわば「過渡期の絶え間ない連続」でありつづける生の現場における人間の「とりあえず(仮説・仮定)の生き方」のあらわれについてのハンナ・アーレントの観察洞察と論証の試み?……として理解しようとしています。
・分かりにくい、難しいということがしばしば口にされますが、ふと「アーレントの所感・所信」でしかないものを読みながら、つい「解答や提案」を求めてしまうからムズカシイのではないのかーーと思いはじめています(?)。
・「科学(主義?)」に由来する「永遠の過程性」という「逃避のブラックホール」が時折見え隠れします。
・愉快な仲間たちの個性のほとばしりがしずまり、理解未然の胸襟を開き合ったまま沈思黙考 ——— ひたすら理解しようとするところに訪れた沈黙のえもいわれぬ深さを味わった(共有しあった)瞬間がありましたね。振り返ると、信頼の海に糸を垂らす釣り人の幸福感に包まれたとでもいいたくなるような充足感があったことに気づきます。読書会の醍醐味の一つ?
というわけで、このあともナニが起きるかわからないゾ!という希望を弾けさせた第2回読書会だったと思います! ありがとうございました。
いよいよアブラが乗ってきたカンジの「まとめ」の力作にも感謝。ここまで書いてあったかなと思うほどよくわかります。次も楽しみです!
第1回・第2回の様子はこちらをご覧ください
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第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会
【開催日時】2017年11月30日(木)20:00~21:00
【読み合わせ箇所】第3章「自分らしさと私的所有」(p.105~p.130)
「プライヴァシー」を「自分らしさ」を確保する居場所と捉え、それが切り崩されることの危機を論じています。【参加条件】
⓵スカイプ通信での対話を行います。参加希望の方はメッセージをお送りください。
⓶可能な限り事前に指定範囲を読んでご参加ください。
【参加者によるこれまでの感想】
◎読書会は 「絶滅危惧種」だという話がありましたが、その通りだと思います。話が通じないことおびただしいから、もどかしいし、まどろっこしいし、なんだよー、とも思うことも多い。そして、「人間性」の違いからもう無理!って思うこともある(過去の経験)。
でも、間違いなく、私の思考はそういうところで巡り会った 「他者の言説」によって構成されています。
テキストを読むことも、映画を観ることも、芝居を見ることも、美術展にいくことも他者と出会うという意味では同じようなもの、に一見思えるのだけれど、実はかなり違うんですよね。
生身の他者のチョイスを、 「他者の肯定」を肯定する、という経験がそこにはある。ここでの肯定はとりあえず否定といっても同じことだ。
いわゆる同好の士が集まったサロン、とはちょっと違う話になるよね。アーレントは、実は自分の中でそれをやってるような気もする。
ここから先は國分功一郎氏の「二者」と 「多数」の問題にもなってくる。
ワクワクです。また次回を楽しみにしています。
◎(スカイプ通信という方法について)「生身の他者」と出会う、というのは読書会の重要な側面だとは思います。併用するといいんじゃないすかね。
◎対面の読書会とは違った雰囲気、言葉を浴びている感じです。確かに対面のよさもありますが、併用することで回数が重ねられますし、対面したときがどう変化するのか?が楽しみですけどね。
◎パウ・カザルス(1876年12月29日 - 1973年10月22日。スペイン・カタルーニャに生まれたチェロ奏者で、チェロ演奏の今日を築いた。指揮者、作曲家としても活動した)の「鳥の歌」。きょうここで聴けるとは!まったくの驚きで、いきなり感無量。カザルスの一徹な悲願を新たにした(彼の鳥は今も「ピース、ピース!」と歌い続けているから)。弟君の思いっきりの良い(やんちゃな!)「コレルリの主題による変奏曲(クライスラー)」ともども、兄弟による歓迎演奏あまりにも素敵で、心の中で「よき哉!よき哉!!」と興奮しつつ堪能させていただきました。
さて「条件」という単語の多義性(大きくは下記A&B)の波に浮いたり沈んだりしながら……
A:普段はもっぱら「求めるとき/求められるとき」に、「飲ませたり/飲んだり」するもの、というような意味で用いてきた「条件」
B:あったり(起きたり)/なかったり(起きなかったり)するモノ/コトの因果を来す要因(観察して解明する背景要件・環境状況)を指して用いる「条件」
取り急ぎ直感で読む、というか直感が感知するものについての表明・表現を思考錯誤している気分です。
・いわば「過渡期の絶え間ない連続」でありつづける生の現場における人間の「とりあえず(仮説・仮定)の生き方」のあらわれについてのハンナ・アーレントの観察洞察と論証の試み?……として理解しようとしています。
・分かりにくい、難しいということがしばしば口にされますが、ふと「アーレントの所感・所信」でしかないものを読みながら、つい「解答や提案」を求めてしまうからムズカシイのではないのかーーと思いはじめています(?)。
・「科学(主義?)」に由来する「永遠の過程性」という「逃避のブラックホール」が時折見え隠れします。
・愉快な仲間たちの個性のほとばしりがしずまり、理解未然の胸襟を開き合ったまま沈思黙考 ——— ひたすら理解しようとするところに訪れた沈黙のえもいわれぬ深さを味わった(共有しあった)瞬間がありましたね。振り返ると、信頼の海に糸を垂らす釣り人の幸福感に包まれたとでもいいたくなるような充足感があったことに気づきます。読書会の醍醐味の一つ?
というわけで、このあともナニが起きるかわからないゾ!という希望を弾けさせた第2回読書会だったと思います! ありがとうございました。
いよいよアブラが乗ってきたカンジの「まとめ」の力作にも感謝。ここまで書いてあったかなと思うほどよくわかります。次も楽しみです!