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第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会の案内

2017-11-27 | 『〈政治〉の危機とアーレント』を読む
回を重ねるごとに盛り上がりを見せている(?)佐藤和夫『〈政治〉の危機とアーレント』の読書会です。
第1回・第2回の様子はこちらをご覧ください
第1回の議論のまとめ
第2回の議論のまとめ

          

第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会
【開催日時】2017年11月30日(木)20:00~21:00
【読み合わせ箇所】第3章「自分らしさと私的所有」(p.105~p.130)
「プライヴァシー」を「自分らしさ」を確保する居場所と捉え、それが切り崩されることの危機を論じています。【参加条件】
⓵スカイプ通信での対話を行います。参加希望の方はメッセージをお送りください。
⓶可能な限り事前に指定範囲を読んでご参加ください。


【参加者によるこれまでの感想】

◎読書会は 「絶滅危惧種」だという話がありましたが、その通りだと思います。話が通じないことおびただしいから、もどかしいし、まどろっこしいし、なんだよー、とも思うことも多い。そして、「人間性」の違いからもう無理!って思うこともある(過去の経験)。
でも、間違いなく、私の思考はそういうところで巡り会った 「他者の言説」によって構成されています。
テキストを読むことも、映画を観ることも、芝居を見ることも、美術展にいくことも他者と出会うという意味では同じようなもの、に一見思えるのだけれど、実はかなり違うんですよね。
生身の他者のチョイスを、 「他者の肯定」を肯定する、という経験がそこにはある。ここでの肯定はとりあえず否定といっても同じことだ。
いわゆる同好の士が集まったサロン、とはちょっと違う話になるよね。アーレントは、実は自分の中でそれをやってるような気もする。
ここから先は國分功一郎氏の「二者」と 「多数」の問題にもなってくる。
ワクワクです。また次回を楽しみにしています。
◎(スカイプ通信という方法について)「生身の他者」と出会う、というのは読書会の重要な側面だとは思います。併用するといいんじゃないすかね。
◎対面の読書会とは違った雰囲気、言葉を浴びている感じです。確かに対面のよさもありますが、併用することで回数が重ねられますし、対面したときがどう変化するのか?が楽しみですけどね。
◎パウ・カザルス(1876年12月29日 - 1973年10月22日。スペイン・カタルーニャに生まれたチェロ奏者で、チェロ演奏の今日を築いた。指揮者、作曲家としても活動した)の「鳥の歌」。きょうここで聴けるとは!まったくの驚きで、いきなり感無量。カザルスの一徹な悲願を新たにした(彼の鳥は今も「ピース、ピース!」と歌い続けているから)。弟君の思いっきりの良い(やんちゃな!)「コレルリの主題による変奏曲(クライスラー)」ともども、兄弟による歓迎演奏あまりにも素敵で、心の中で「よき哉!よき哉!!」と興奮しつつ堪能させていただきました。
 さて「条件」という単語の多義性(大きくは下記A&B)の波に浮いたり沈んだりしながら……

 A:普段はもっぱら「求めるとき/求められるとき」に、「飲ませたり/飲んだり」するもの、というような意味で用いてきた「条件」

 B:あったり(起きたり)/なかったり(起きなかったり)するモノ/コトの因果を来す要因(観察して解明する背景要件・環境状況)を指して用いる「条件」

 取り急ぎ直感で読む、というか直感が感知するものについての表明・表現を思考錯誤している気分です。

・いわば「過渡期の絶え間ない連続」でありつづける生の現場における人間の「とりあえず(仮説・仮定)の生き方」のあらわれについてのハンナ・アーレントの観察洞察と論証の試み?……として理解しようとしています。
・分かりにくい、難しいということがしばしば口にされますが、ふと「アーレントの所感・所信」でしかないものを読みながら、つい「解答や提案」を求めてしまうからムズカシイのではないのかーーと思いはじめています(?)。
・「科学(主義?)」に由来する「永遠の過程性」という「逃避のブラックホール」が時折見え隠れします。

・愉快な仲間たちの個性のほとばしりがしずまり、理解未然の胸襟を開き合ったまま沈思黙考 ——— ひたすら理解しようとするところに訪れた沈黙のえもいわれぬ深さを味わった(共有しあった)瞬間がありましたね。振り返ると、信頼の海に糸を垂らす釣り人の幸福感に包まれたとでもいいたくなるような充足感があったことに気づきます。読書会の醍醐味の一つ?

 というわけで、このあともナニが起きるかわからないゾ!という希望を弾けさせた第2回読書会だったと思います! ありがとうございました。
 いよいよアブラが乗ってきたカンジの「まとめ」の力作にも感謝。ここまで書いてあったかなと思うほどよくわかります。次も楽しみです!

第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会・レジュメ

2017-11-27 | 『〈政治〉の危機とアーレント』を読む
第3回の『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会が一週間後に迫ってまいりました。
レジュメをまとめましたのでアップさせていただきます。
今回は「第3章」の読解をメインにしていますが、前回読み飛ばした「第2章3節」も大きく関わりますので、そこでの議論も含めてまとめてあります。
今回からご参加いただくこともできますので、ご関心のある方はスカイプを設定していただいた上で、ブログメッセージよりご連絡下さい。



「自分らしさ」と「私的所有」(報告担当:渡部 純)

1.私的所有=自分らしさのためのプライバシー(第2章3節)
(1)公的領域で活動できるための私的領域の意味づけの重要さ
 労働からの解放はありえないが、「自分らしくあること」の追求が人間の基本的な条件として求められる〔90〕
 ⇒しかし、ロック以降の近代思想が「自分らしさ」の「所有」という意味の「財産」を無限増殖・消費する貨幣としての「富」(カネ)にすり替えてしまった!

(2)生命としての人間は「大地」という条件によって根源的に制約されているが、この条件は変容可能である〔93〕
 ⇒もっとも恐るべきは、この地球の中で自分が、ここだけは誰にも侵入されずに自分の場所(世界の内部に私的に保持された場所)をもつことができるという、いわば根本的な人間の条件が奪われること
 ⇒近代資本主義は労働のなかに所有と「財産」の起源を見出し、それが貨幣の肯定と結びついてしまったことで、「自分らしさのための所有」が、無限増殖する貨幣の量に還元される「富」であるかのように混同されるに至った。
 ⇒大地に根をもつことで可能になる「自分らしさ」の「所有」とは正反対のものであ

(3)ヴェイユの『根をもつこと』-「私的所有は、魂の生命的な要求の一つである」〔94〕
 ⇒自分の根が奪われているとき 人々は全体主義への誘惑から自由になれない〔95〕

2.「自分らしさ」と「私的所有」(第3章)
(1)はじめに
①私的所有の重大な盲点…個人の自由は全ての市民に保障されているわけではない!
 ⇒生活のための家や土地が保障されることなく、絶えざる不安に襲われている人が公的関心事に関わる条件は極めて乏しい
 ⇒元々、政治的主体としての市民とは、生命体としての生存を脅かされる恐怖から解放された人々であるはずなのだが…〔107〕
 ⇒もし、生活の安定を奪われた人々が政治に参加すれば、生活の確保や安定が要求課題になるが、それは「政治」を破壊するものを「政治」が主たる対象にすることである
②今日のプライバシー問題…国家や市場による私生活への侵害・監視
 ⇒メディア、ケータイ、ネットによる情報管理、避妊・中絶など生命操作、臓器売買の可能性、非正規雇用とプレカリアート、住宅ローン、グローバル経済と金融ゲーム、
 ⇒この市場世界で生き残るために強制される精神的隷属と身体的虐待の問題
 ⇒今日の「政治」は「政治」を壊す爆弾を内に抱えながら「民主主義」の危機を論じる時代である(外国人の排外主義とリーダー待望論)

(2)ロックの所有権の正当化と貨幣の導入
①property…「所有/自分の/固有の」という「自分らしさ」を示す内容が含まれていた
②ロックの所有権論
 ⇒自分の身体の労働と手の仕事によって生じたものは「労働」が付加されたものとなり、私的所有権が発生する〔114-115〕
 ⇒市場や自然などの「物」に対する所有権が問題とされ、「自分らしさのためのプライバシー」という「私的所有」の保障はブルジョワ市民階層を分析対象とした社会科学の主要な関心となりえなかった。
 ⇒「物を所有する」という意味は「物をもつ」という意味に限定されてしまった
③ロックの貨幣論
 ⇒近代社会理論において物をたくさん所有することが、そのまま「自分らしさ」の増大とつながるかのように思われてきたのは、ロックの「貨幣」による自己所有の正当化の議論と深く結びつく
 ⇒「財産の蓄積を持続し拡大する」ものとして貨幣を正当化したが、これは自分で使用する範囲の所有権を超えて、貨幣の無限の蓄積の正当化へ向 かった。

(3)マルクスの私的所有批判
①マルクスの近代経済学批判
 ⇒「貨幣の蓄積の増大=富が形成されれば(物をたくさん所有すれば)人間の豊かさが実現される」という考え方への批判から始まる。〔117〕
 ⇒「物をたくさん所有することが豊かだ」という考え方が労働疎外と貧困化を招く
 ⇒人間の豊かさは、人間が労働生産の過程で主体的に自然に働きかけながら、自己が対象化され豊かな人間環境が形成される「文明化作用」によって実現する〔118〕
 ⇒しかし、現実は労働者が富を生産すればするほど…それだけ貧しくなる。なぜか?
②マルクスの答え〔119〕
 ⇒労働と資本が対立する社会では、労働者から物(生産手段等)が奪われている事実があり、排他的な「私的所有」があるからだ!
 ⇒すべての物を共有する共産主義へ
③マルクスの問題点
 ⇒「人間による人間のための…共産主義」は個人と社会の対立を超え、「個人的生活と類生活は別ものではない」。人間は社会的諸関係のアンサンブルである。
 ⇒マルクス:私的所有の積極的な廃止の後に立ち現れるユートピア的な調和的人間
 ⇒アーレント:マルクスは「人間の個人生活と社会生活の間にあるギャップを除去」しており、多様な個々人と社会との間の緊張関係が想定されていない。
 ⇒個人と類の同一視こそがマルクスとアーレントの対立点である

(4)アーレントの「私的所有」=「自分らしさのためのプライバシー」
①アーレントの私的所有観〔122〕
 ⇒一人ひとりの人生の生活のあり方はすべて異なる以上、この違いを前提としなければ人間が尊重されたとは言いがたい
 ⇒一人ひとりが異なる存在であることを認めることが人間社会の出発点
②アーレントの「公的」概念
 ⇒「公的に表れるものはすべて、誰にでも見られ聞かれたりする」
 ⇒世界とは、他者によって見聞きされる中で生じてくる
 ⇒人間が互いに見聞きする営みが曖昧にされることは「公的」営みの危機であり、それは全体主義の状況のもとで生じる危険がある〔123〕
③一人ひとりの「違い」を認め合える世界の条件を保障するために
 ⇒一人ひとりの違いを十分に育てるための場所の確保(「私的」領域・財産・所有の確保)
 ⇒それを通じて自分のかけがえのなさが表明されること
 ⇒その表明を互いに認め合う空間の保障
④「私的」所有・財産の意義
 ⇒人間が公的領域で自由平等にコミュニケーションできる条件を成り立たせるもの
⑤ロック以降の近代思想のすり替え
 ⇒もともと「私的所有」は自分の生活に必要なものを思い通りにできることだった
 ⇒貨幣の正当化によって「万人が共有している世界に入る」可能性をもちこんだ
⑥私的所有・財産と富の区別
 ⇒「帝国ホテル」に住む事例と原発事故による生と場所の剥奪〔124-125〕
⑦私的領域の意義(まとめ)〔126-128〕
 ⇒自分らしい暮らし方を通じて自分を保つというのは人間の根本的な在り方であり人間の条件である。
 ⇒マルクスの議論は労賃。資本・地代の対立が人類経堂のものになれば個人と人類の発達の対立は消えるとしたが、そこには個性の問題が見逃されている
 ⇒「財産」とは一人ひとりが自分の安心できる「4つの壁」をもち隠れていられる状態であり、その上に公的領域で自分を示しうる条件が保証されている
 ⇒「根こぎ」の状態の蔓延こそが全体主義運動に組織化されていく