10年後のキミへ贈る大切なこと

わたしのタイムカプセル

youthの卒業

2021-03-21 00:35:00 | 日記
家業を継ぐ決意をし、東京に戻ってきたのは2014年の10月でした。

「あだちブラントyouthの会」に参加したのは、その約一ヶ月後。

初めてみんなと顔を合わせたのは、まだ改装する前の安心堂でした。

小早川くんを筆頭に、国ちゃん、かずくん、大智くん、栗ちゃん、あっちゃん、元ちゃん、井島さん。



あの頃の私は、離婚が成立して一年ほどの頃で、色んな負担や不安を抱えながら、自分の感情もよくわからないままに、必死な思いで日々過ごしていました。

右も左も分からぬまま、ただ父が足立ブランドの会長を務めていたという流れで、youthの会に「参加させられることになった」、そんな気持ちでした。

月一回の定例会も、ちっとも楽しみじゃなかった。

子どもたちもまだ中学生。
人生で2回も転校させられ、彼女たちもまだ不安な日々を過ごしていた頃。

夜に家を空けることに僅かな後ろめたさもあった。

そして、そもそも私は人見知りだ。

でも、元来真面目な性格の私は「お父さんの顔を潰すわけにもいかない」と、少し憂鬱な気持ちを抱えたまま、頑張って参加していたのでした。

でもみんなと仲良くなれたのも、そんなに時間は掛からなかったと思います。

みんな親切で、優しくて、明るくて、面白い人たちばかりだった。

私について根掘り葉掘り何か聞いてくることもせず、ただただ、迎え入れてくれました。

5年という月日は、あっという間でもあり、長いようでもあり、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。

そして、たくさんの楽しい思い出もできました。

youthの会のことを聞かれると、いつも私はこう答えます。

「youthに入ってなかったら、今私はここにいることはなかったかもしれない」

これは嘘でも大袈裟でも、なんでもありません。

あの頃私は、経営のことも経済のことも何もわからない。
お金も地位も名誉もない。
子どもを2人抱えたシングルマザーでした。

あ、それは今もか(笑)

父が創業し、長い年月をかけ守り続けてきた会社を継ぐと言うことに、想像以上のプレッシャーがありました。

逃げ出したくなったこともあります。
投げ出したくなったこともあります。
円形脱毛症にもなりました。

悲しくて悔しくて、一人布団の中で声を押し殺して泣いた夜も何度もありました。

そんな私の支えになってくれたのは、youthの会の存在でした。

仲間という存在は、いてくれるだけで支えになる。

そして、背中を見せながら、導いてくれて、応援してくれました。

本当に本当に、たくさんの出会いがあり、たくさんの経験をさせていただきました。

たかが異業種交流グループと言われたら、そうなのかもしれない。

でも、私にとってyouthの仲間とは、恩人であり師匠であり、大切な大切な大切な友人たちです。

先日の定例会。





私と小早川くんが参加するのはこの日が最後。

本当に本当に、みんなありがとうございました。

youthを卒業すると言った時、娘たちに、ものすごい勢いで止められました(笑)

あんなに楽しそうだったのに?
みんなが大好きなのに?
なんで辞めなきゃならないの?

本気で心配してくれました。

正直言うと、とても寂しいです。
本当はいつまでも、みんなと一緒に楽しいこと、新しいことにチャレンジし続けていたい。

youthの会のメンバーであることが誇りだったし、youthのメンバーである自分のことが好きでした。

ただやっぱり。

人生には、引き際というものがあると思います。

自分より若い人たちが活躍するために、場所を明け渡さなければならない。

それを決断する時が来たんだと思っています。

そして、小早川くんが足立ブランド本体の会長に就任することが決まった今、わたしも全力で小早川くんを、足立ブランドを、支えていくのが、私らしい選択なのではないかと思いました。

見ず知らずの私を、経営者として導いてきてくれたのは小早川くんです。

何も知らなかった私の面倒を、本当によく見てくれました。

色んな交流の場に連れて行ってくれて、様々な経営者の方にご紹介してくれました。

いつも一緒に行動していたので、愛人疑惑が浮上したりして(笑)、迷惑をかけたと思います。
でもいつも、嫌な顔ひとつせず、色んな場所へ連れて行ってくれました。

いつも私の年齢を勝手にばらし、褒めてるようで遠回しにディスりながら笑いを取る小早川くん(嫌なやつじゃん笑)。

本当に本当に、感謝してます。


拝啓 小早川様

足立ブランド本体の重鎮たちが、長い年月をかけて作り上げてきた組織の中で、新しいことにチャレンジするということは、とても勇気が必要だったと思います。

たった一人で、誰も手を揚げてくれないかもしれないという状況の中で、「若手の会を作りたい」とメンバーを募ったその時を想像すると、尊敬以外の言葉が見つかりません。

最初の一歩を踏み出すことは、本当は誰にでもできることなんだけど、勇気を奮い立たせ実際に行動に移すことが出来る人は、そんなに多くはないと思います。

揺るぎない信念と覚悟がなければ、出来ないことだと言うことは、今の私には少しわかります。

だからまずは、youthの会を立ち上げてくれたことに、心からの感謝を申し上げます。

本当にありがとう。

そして、当時の震える子ウサギような私のことを、面倒くさがることもなく、荒野に見捨てることもなく、色々面倒みてくれて、経営者として導いてくれたこと。

本当に本当に感謝しています。

満を辞して、いよいよ足立ブランド会長に就任する小早川くん。

プレッシャーを感じないわけはありません。

完璧主義で強がりで、人に頼るのが苦手な小早川くんに、心からのエールを送りたいと思います。

フレーフレー!ま・さ・き! 

がんばれー!!!



そして私も、足立ブランドのメンバーとして、父の思いを引き継ぎながらも、新たな挑戦をし続けていこうと決意しています。

たまたま足立区に会社があるという共通点のもと、生涯通して「仲間」と呼べる人たちに出会えたことは、まさに奇跡です

これからも、ひとつひとつを大切にしていきたいと思ってます。

youthの会の卒業はひとつの区切り。

これからも新たな気持ちで、人生を楽しみたいと思います。

youthの会の皆さま、今まで本当にありがとうございました。

最高に楽しい思い出をありがとう!
































これからも、これまでも。

本当にありがとう。


大雨の卒業式

2021-03-13 20:46:00 | 日記
今日は次女菜々子の、高校の卒業式。

朝から大雨。

中学校の卒業式も雨だったね。

雨に惚れられておるな(笑)

なるべく真ん中の前の席に座って欲しいと要望があったので、早めに会場入りしました。

ラッキーなことに、真ん中の最前列がひとつ空いていたので、一応隣の人に「こちら大丈夫ですか?」って声をかけて着席しました。

菜々子はめちゃくちゃマイペースで、家族に対してはどちらかと言えば淡白で、感情を表に出すのが苦手な子です。

その娘がわざわざ真ん中に座ってって言うのだから、何かあるのかな?と思わざるを得ません(笑)

蓋を開けてみれば、まんまと娘の真後ろ。
すごい位置に陣取りました(笑)

泣かないかもと思いきや、入場の時から涙が目に浮かびました。

コロナウイルスにより、本当に大変な一年を過ごしてきました。

行事という行事は中止になり、授業も時間差登校や、課題の提出などで乗り切りました。

生徒たちはもちろんのこと、先生たちの困惑や、今まで体験したことのない指導へのご尽力を思うと、当然の如く胸が熱くなります。

未だ緊急事態宣言が続く中、卒業式を開催して下さったことにも、心から感謝申し上げます。

首席で入学し、入学式の時は代表で挨拶をさせて頂いた菜々子でしたが、入学と同時にあれよあれよと平均的な生徒になりました(笑)

それでも3年間、コロナもあり、紆余曲折ありながらも、本当に良く頑張りましたね。

国歌斉唱も、校歌斉唱もなく、淡々と執り行われた卒業式でしたが、答辞がとても素晴らしかった。

涙声で精一杯話す男女2人の生徒。

コロナ禍に悩んだり悲しんだりしながらも、みんなみんな、それぞれが一生懸命に頑張って来たんだということが伝わり、胸に熱く染み渡りました。

滞りなく式も終わり、いよいよ退場のとき。

菜々子がなんで真ん中に座ってと言ったのかがやっとわかりました。

退場の際、クラス全員で保護者の席を囲むように立ち止まり、保護者に向かって「ありがとうございました!」と礼をしてくれました。

菜々子は私の目の前にいた。
涙なくして見られませんでした。

式が終わり、あとは最後のホームルーム。

当然の如く、保護者は立ち会えません。

菜々子から「一緒に写真撮りたい!」ってLINEが来ていたので、エントランスで待つことにしました。

外は雨、そして換気のために扉は開けっ放し。

想像以上の寒さの中、40分以上待ちました。

やっとやっと、教室から降りて来た菜々子。

駆け寄って来ると、「ママ、3年間本当にありがとうございました!」って手渡されたのは、石鹸で出来た薔薇の花束。





そして菜々子からの、一通の手紙でした。


仕事を終えて、先程読み終えた娘からの手紙。


そこにはたくさんの感謝の言葉がありました。

ママが経営者という立場であることから、たくさんの大人の人たちに合わせてくれて、普通だったら学べなかったことを沢山学ばさせてもらった、と。

そして野外活動や、行き先がベトナムという海外の修学旅行へ行かせてくれたこと、本当にありがとう、と。

それから、毎日仕事に行く前にお弁当作ってくれてありがとう、と。

自分で選んだ専門学校への道を行かせてくれてありがとう、と。

そして最後に、

「いつも私を支えてくれて、育ててくれて、褒めてくれて、叱ってくれて、料理上手で、美人で(これ本当に書いてあった!)ぶっ飛んだぐらいに子ども思いなママの元に生まれてきて幸せです。」

と、書いてありました。

涙がぼろぼろ溢れました。

ありがとうは、お互い様です。

感謝してくれて本当にありがとう。

親なんだから当たり前と思わず、何事にも感謝してくれる人に育ってくれて、本当にありがとう。

菜々子、あなたは私の誇りです。

私の元に生まれてきてくれて、本当に本当にありがとう。



菜々子の笑顔は百人力。

これからもその笑顔を忘れずに、新しい世界へ羽ばたいてね!

卒業おめでとう!!



ナナとヒナとエビと

2021-02-06 22:48:00 | 日記
今日は次女菜々子の18歳のお誕生日。

早生まれの娘は、高校卒業を前にしてやっと18歳になりました。

珍しく土曜日で、珍しく3人揃う誕生日当日。

菜々子の希望を聞くと「エビが食べたい!」だったので、エビをたらふく食べられるお店を探しました。

しかし今は緊急事態宣言真っ只中。

休業中のお店も多く、なかなかこれと言ったお店が見つからない。

Facebookで皆さんに聞いてみると、早速沢山の情報を教えて頂きました。

本人の希望によりららぽーと豊洲のババ・ガンプ・シュリンプへ。

フォレスト・ガンプをテーマにしたお店だそうです。

予約しておいたからか、窓際の運河を見渡せる最高の席を用意してくれました。

今日は次女菜々子のお誕生日だったんですけど。

実は数週間前に、菜々子が「日菜(姉)にお誕生日プレゼント渡したいんだよね」って相談がありました。

日菜子のお誕生日は4月18日。
昨年は、一度目の緊急事態宣言真っ只中。

会社がどうなるかもわからないような緊迫した日々。
毎日緊張しながら過ごしていたので、とてもお誕生日をお祝いするという雰囲気ではなかった。

娘に誕生日プレゼントも何がいい?と聞いても、何も思いつかない…と。

記念すべき20歳の誕生日。

何もしてあげられなかったことがずっと気に掛かってたけど、菜々子も同じ気持ちだったみたい。

せっかくの成人のお祝い。

いつかあげようと決めていたのは、娘の誕生石でもあるダイヤのピアス。

姉思いの菜々子の優しさに、便乗させてもらうことにしました。

菜々子は日菜子が欲しがっていたアイシャドウパレットを用意するとのこと。

「じゃあさ、ママもプレゼント用意するから、サプライズでプレゼント渡そうか!」と菜々子に提案。

菜々子の誕生日当日に、2人で日菜子にプレゼントを渡すことにしました。

勘のいい日菜子でも、まさか妹の誕生日にプレゼントを貰うとは想像もしていないはず。

菜々子と2人で作戦を立てながら、ワクワクしました。

でもね。

お誕生日の主役の菜々子には、すでに欲しがっていたスニーカーをプレゼントしちゃったんです。

だから菜々子には、当日渡すものがない。

自分のお誕生日にプレゼントが無いなんて、ちょっと寂しいじゃないですか。

だから菜々子にも、サプライズでプレゼントを用意ししました。

2月の誕生石、アメジストのピアス。

卒業式の日にピアス開けるって張り切ってたから。

私ひとり2人へのサプライズ計画。

こんなにワクワクしたのは久しぶり♪

今日の日を一番楽しみにしていたのは私かもしれない(笑)

お店の予約は13時。
お天気も良くて、ロケーションは最高です♪


「ななちゃん、お誕生日おめでとう!」と乾杯した後、わたしの「写真撮ろうよ!」がサプライズの合図。

菜々子が「リップ塗るからちょっと待って!」っとバックからポーチを取り出すフリしてプレゼントを用意。

ママも塗りたい!と、バックからプレゼントを用意。

そして「お誕生日おめでとう!!」と言って、2人で日菜子に渡しました。

「え!え!わたし?なんでーー!?」

と目を丸くする日菜子。

「遅くなっちゃってごめんね。」っといったら泣き出しました。

わたしも菜々子もうるうる。

とても嬉しそうでした。

日菜子へのサプライズは大成功!

さてさて、次は菜々子へのサプライズ…といそいそと用意しようと思ったら。

なんと!

菜々子から「実はママにもあるんだー」って。
なんと菜々子から私へのサプライズ!

ロクシタンのモイスチャーミスト。

「高校卒業するし、お弁当とか、今まで色々本当にありがとう」って。

もう、なんか嬉しすぎた。
自分のお誕生日に親のわたしにまで。
なんて優しい子なんだろう。

ありがとうってその場でハグ。
言葉になりませんでした。

そして最後に私から。

菜々子に「改めてお誕生日おめでとう!」とプレゼントを渡しました。

「え!なんで?もうもらったのに??」って。

え!なんか申し訳ない…って、すごい嬉しそうでした。

なにこのサプライズの仕掛け合い…って、最後はみんなで大笑い(笑)

小さな小さなダイヤのピアスと、アメジストのピアス。
2人ともすごく喜んでくれて嬉しかった。

小さなピアスでごめんって言ったら「全然!めっちゃ嬉しい!」って。

今のママの精一杯を贈ったんだ。

菜々子、お誕生日おめでとう。


人に対しても、モノに対しても、常に優しく接する菜々子。

小さな頃から菜々子の笑顔が大好きで、あなたの笑顔は百人力だよといつも伝えていました。

ほら、この頃からなんら変わらない。 (笑)


だけど、自己肯定感が低くて、いつも自分に自信がない菜々子。

感情を表に出すのが苦手で、いつも自分の中で留めてしまうのママ知ってるよ。

こんなにも優しくて、こんなにも素敵な笑顔の持ち主のあなたは、きっと誰にでも愛されてるはず。

だからあなたには、素敵なお友達が沢山いるんだよ。

菜々子はママの自慢の娘です。

これからもっともっと、輝いていくよ。


今日は好きなものを好きなだけ頼めーー!って言ったから。

エビ、エビ、エビのエビ祭り(笑)





しばらくエビはもういいね…って言うくらいに食べました。

支払い額すごかったけど(笑)、本当に幸せな時間を過ごしました。

日菜子、菜々子。

あなたたちと家族になれて本当に良かった。

この思いはずっとずっと変わらない。


心から愛してる。
これまでも、これからも。

二人の幸せを祈り続けます。


Vol.3 小さな町工場のブランディング奮闘記

2020-10-31 14:23:20 | 小さな町工場のブランディング奮闘記
【慎ちゃんのとの出会い】

安心堂のブランディングをお願いしている株式会社ROOM810の丸山慎二郎社長との出会いは、城北信用金庫の主催する【城北未来塾】という異業種交流会でした。

城北信金の理事長、大前幸太郎さんはちょっとぶっ飛んだ人で、気になって調べてみたら元内閣府の官僚であり、そしてなんとミュージシャン!
なるほど、だから信金にしてはやることがロックなのか・・・と納得(笑)

その城北未来塾で、異彩を放っていたのが慎ちゃんこと丸山慎二郎さん。
テーブルの向こうで、ニコニコしながら一人ぽつんと佇んでいた。

頭はアフロヘアー、ジャケットとネクタイは身に着けているものの一般的なスーツではなく、どう見てもファッション関係の人というお洒落な印象でした。

人見知りな私もひとりぽつんとしていたので、目が合ったのをきっかけに話しかけました。
いや、話しかけられたのかな。

「僕、荒川区を盛り上げたいんです」という慎ちゃんの言葉を聞き、すでにあだちブランドyouthで活動していた私は、自分の経験談を語り意気投合したのでした。

そのとき「イベントやるから遊びに来て!」と誘ってくれたのが、東日本大震災以降にはじめた、東北支援のイベント【ONE HEART SHOWER】でした。

城北未来塾からどれくらい後のことだったのは定かではないですが、その未知のイベントONE HEART SHOWERに、私は単身乗り込みました。

初めてのイベントに一人で行くのは結構勇気のいることとで、勝手の分からない私はイベント開始直前に行ってしまい、たぶん一番乗り。
準備がまだ整ってなかったようで、スタッフのみなさんはバタバタと忙しそうでした。

ひとりぽつんとしているときに、何やら元気いっぱいのハイテンションで会場入りしてきたのがナレーターの森一丁さん。

とにかくずっとニコニコニコニコしていて、話しかけられた訳ではないんだけど、いい人オーラ全開だったので、ほっとしたのを思いだします。

その後ぞくぞくと参加者が集まってきましたが、当然のように知り合いは全くいない。

会場はパンパンで人がすれ違うのも大変な状況の中、人見知り全開で一人佇むしかなかった私に、慎ちゃんは次々といろんな人を連れてきて紹介してくれました。

どう見てもベロンベロンに酔っているのに、空いてるコップをさりげなく片づけたり、一人一人に声かけたり、その気遣いに驚愕。

支援を目的とし、人を集めること、人をもてなすことに伴う「責任」

その責任を背負い、慎ちゃんはとにかく人を楽しませ、そして自身もちゃんと楽しんでいる。

その姿に、外見からは想像もつかない(←失礼)社長としてあるべきの姿を見させていただいたような気がします。

その日以降は、何度もイベントに足を運ばせてもらったり、他のイベントにともに参加したり、時に飲みに行ったり。
数年の月日をかけ、交流を深めていきました。

そして慎ちゃんを支える副社長、ともちゃんこと鈴木友子さんの存在は外せない。

慎ちゃんが女神と崇めるほど器が大きく、全身から愛を感じる。
私みたいに好き好きオーラを出すことなく、淡々としてるのに、そのまなざしや言葉や態度で、人柄の素晴らしさが伝わってくる。
人間がブラックホール並みに大きい。(未知数ってことね!)

更にもう一人。

ある意味自由すぎる二人をきっちりまとめるのが、ROOM810の頭脳ともいえる(勝手な妄想含む)クリエイティブディレクターのシマケンこと島健さん(←そのままやん・・・)

島さんのことは、正直いってブランディングをお願いするまで「とてつもなく頭のいい人」以外、あまりよく知らなかった。
頭が良すぎて何を言ってるのかついていけないこともあるし、たまにグサッとくるようなことをサラッと言うし、アンドロイドですか?って思う時もある(うそ笑)

でもいざ、一緒にお仕事すすめさせてもらうと、きりっとした一見冷たいような見た目からはわからない(←失礼)愛情深さを感じます。

当然のことなのかもしれないけど責任感が強く、そして本気で意見をぶつけてくれる。

安心堂と私が成長するための最善策は何なのか、私の目指す目標に辿りつくまでに何を選択すべきなのか。
島さん自身に本気さがなければ、決して出てこないであろう意見をがんがん出してくれる。

「ブランディング」とひとことで言っても、その言葉からは想像もできない、ひとつひとつの積み重ねが重要なんだということを教えてくれたのは島さんだ。
ど派手にパパーっとやるものではない。
地道な努力の積み重ねだ。

ある意味直感で「うちのような弱小町工場だからこそ絶対に必要だ」と思ったブランディング。

その結果はまだ出ていないとも言えるけど、もう出ているとも言える。

安心堂はすでに、私の目指している未来に向けて動き出している。

そしてそれは、私が思っていた以上のことをもたらしてくれている。

この人たちと出会えたからできたこと。


もし、ブランディングには何が必要なのですか?と問われるとするならば。

今の私が言えることはただ一つ。

信頼できる人と出会うことだ。

私の旅はまだまだ続きます。

ブログの更新頑張らないと!











vol.2 小さな町工場のブランディング奮闘記 

2020-07-27 00:08:00 | 小さな町工場のブランディング奮闘記
【エンターテイメントな生き方】

中学生の頃、毎日寝る前に日記を書いていた。
だからブログというものを書き始めるのには、なんの抵抗もなかった。

まだ子どもたちが小さい頃にブログを始めた。
父に勧められたのだった。

文章を書くのは嫌いじゃない。
小学生の頃から国語は得意だった。

読書感想文で賞をもらったり、高校の弁論大会では一年生にして準優勝した。

人前で話すのが苦手だった私は、先生に「原稿を読むんじゃない覚えて話せ」とどんなに言われても、原稿用紙をひたすら読むというスタイルを最後まで変えなかった。

弁論大会は予選が何回かあり、先生に「お前は毎回落ちると思うのに、何故か残るんだよなぁ」と、不思議がられていた。

私も毎回、本当に落ちて欲しいと思っていた。

しかし自分の意思とは裏腹に、結局決勝まで進んでしまった。

その時のテーマは「自分にとって大切なもの」だった。

私は家族のことを書いた。
早くに母を亡くし、右も左もわからない状況の中、手探りで寄り添うように生きていた私たち姉妹と父のことを書いたのだった。

なんてことはない、日頃の生活を通して、自分にとって大切なものは家族だということに気付いたと、私の目線で語っただけだった。

でも、私立の女子校に通う同年代からすると、お弁当を作ってくれる母親がいないとか、まだ小さな妹の面倒をみていたりとか、そんな生活の中にいる私の毎日を、少し不憫に思ったり、逆に逞しく思ったりしてくれたのかもしれない。

決勝に選ばれたのは自分以外はすべて三年生。
一年生という立場で、並みいる強豪を抑え、準優勝したことは純粋に嬉しかった。


大人になって、子どもが生まれて、子育て日記のようなブログを始めた。

好奇心旺盛な私の父は、ブログが世の中に出始めたころからすぐにブログを書き始め、私たち姉妹にも勧めてきたのだった。

子育ての大変さや、それ以上の喜びや、日々起きるあれやこれやを、自分の言葉で残しておくのは楽しかった。

後々、徐々に毎日の記録はFacebookに移行して行き、それを見てくれる人たちから「よく頑張ってるね」とか「いいお母さんだね」と、言ってもらえるとことが多くなった。

でも、私はわかってる。

別に私が特別に頑張ってるわけではないことも、特別良い母親なわけではないことも。

私はただ、毎日のささやかな生活を楽しんだり、ほんの少しの嬉しい出来事に、感動したりする人なのだ。

誰の毎日にだって、必ずしも変化がある。

嬉しかったり、悲しかったり、楽しかったり、つまらなかったり、苦しかったり、辛かったり。

その毎日の些細な出来事を、当たり前のようにスルーしてしまうのか。

それをどれだけキャッチして、楽しむことができるのか。

そしてそれを発信するかしないか。

その違いだけだと思う。

生きるということは、もっと豊かで、もっと楽しくて、もっと輝いているはずだから。

それに気がつかないと、もったいない。

私は、仕事や人生そのものに、エンターテイメント性をもたせようと思っている。

全てを楽しむこと、楽しませることが、私にはなによりも大切なのだ。

そうすることで、どんなことが起きたって、それ自体を楽しむことができるようなってきた。

そして、自分の人生を自分だけではなくて、皆んなにも楽しんでもらえたらいいな。
そんな風に思ってる。

私の経営は、実験の繰り返し。
そして人生は、エンターテイメント。

上手いこと進まずに四苦八苦してる姿も。

壁にぶち当たって、倒れそうになってる姿も。

なんとか立ち上がって、ジタバタしながら一歩ずつ前に進んでいく姿も。

仲間たちと楽しく過ごしている姿も。

娘たちとの幸せな日々も。

これからの新たな試みも。

折り重なる毎日の中で、人はどう成長し、変化していくのか。

その過程を、ブログやFacebookに記していきたいと思ってます。

一つの物語のように。