【姉さん、事件です】
改めまして。
株式会社安心堂代表取締役 丸山有子です。
2020年4月に代表に就任しました。
4月と言えばコロナ真っ只中。
壊滅的な状況の中、代表に就任することとなりました。
思えば昨年から続く、試されてるかの如く次々と沸き起こる難題。
あまりにも色んなことがあったので、箇条書きに…
●10月に父が病に侵されていることが判明。
●3つの病院へ通院するための送り迎えや、入院手術などの手続きを、毎日の業務の中で追われる日々が続く。
●1月下旬に、安心堂が登記上解散状態にあることが判明。(みなし解散というらしい)
●一度解散になったため、急遽2月中に決算をしなければならなくなり、決算業務に追われる。
●2月下旬、新型コロナウイルスの影響で、受注が完全ストップ。
●3月電話が一切ならず、壊滅的な状況に陥る。
●4月、二度目の決算の準備(安心堂は3月決算)と、役員改定の申請。
相変わらず壊滅的な状況は続く。
●登記が完了するまで謄本が取れないため、緊急対策融資の申請ができず、じっと耐え忍ぶ日々が続く。
●ひとつの会期中に2回の決算、そして安心堂の解散継続の手続き及び役員改定の手続きなどの費用が、約70万円にもなり大ピンチ。
●それに加えて、償却資産の検査対象になり、未加算分が判明し4年分約10万円の課税を課せられる。(毎年申請してるのに、都税事務所で気付かないのが腑に落ちない)
これはもう事件です。
「姉さん、事件です!」
このセリフが幾度となく、頭の中にぐるぐると浮かびました。
コロナ禍真っ只中、安心堂の預金を全て取り崩し、なんとか支払いを続ける日々。
それでも、司法書士さんの尽力のおかげで4月の初旬には登記が完了し(通常申請後3週間くらいかかるらしい)、緊急対策融資の申し込みができた。
しかし、融資の審査が通るのか通らないのかわからない緊張した日々は続く。
(これは1ヶ月以上に及ぶ)
とは言え、止まっていても何も変わらない。
いつ会社が無くなるかもしれないという危機的状況の中、私が最初に起こした行動は「デザイン会社に足を運ぶ」ということでした。
社長就任前からやろうと決めていた、安心堂のブランディング。
やるなら今だ、と決意した。
入社してから、安心堂の強みは何かをずっと追求し続けてきたから、未来への構想はすでにある。
お金なんてない。
でも、ここで止まったら間違いなく安心堂は終わる。
まだ融資は決まってない。
しかし、待っていられない。
構想をカタチにしていくためのプロデュースを、どこにお願いするかはすでに決めていた。
荒川区町屋にある「株式会社ROOM810」
どう考えても、ここしかない。
社長の丸山慎二郎さんと、副社長の鈴木友子さんの人間性に、憧れに近い信頼を寄せている。
本格的な仕事の相談をするのは、はじめてのこと。
4月2日、ROOM810に向かいました。
小さな町工場が、ブランディングに資金を投入することに、意味があるのかないのか。
私の経営の全ては、実験だと思ってる。
結果は想定しているけど、もちろんそんなのやってみなければわからない。
でも実験を繰り返し、成長し結果を出していけばいいと思ってる。
見とけ、私の背中を。
数年後、あの時の決断は間違っていなかった。
私はきっと、そう言ってる。
そうやって、自分が自分に言っている。