10年後のキミへ贈る大切なこと

わたしのタイムカプセル

vol.2 小さな町工場のブランディング奮闘記 

2020-07-27 00:08:00 | 小さな町工場のブランディング奮闘記
【エンターテイメントな生き方】

中学生の頃、毎日寝る前に日記を書いていた。
だからブログというものを書き始めるのには、なんの抵抗もなかった。

まだ子どもたちが小さい頃にブログを始めた。
父に勧められたのだった。

文章を書くのは嫌いじゃない。
小学生の頃から国語は得意だった。

読書感想文で賞をもらったり、高校の弁論大会では一年生にして準優勝した。

人前で話すのが苦手だった私は、先生に「原稿を読むんじゃない覚えて話せ」とどんなに言われても、原稿用紙をひたすら読むというスタイルを最後まで変えなかった。

弁論大会は予選が何回かあり、先生に「お前は毎回落ちると思うのに、何故か残るんだよなぁ」と、不思議がられていた。

私も毎回、本当に落ちて欲しいと思っていた。

しかし自分の意思とは裏腹に、結局決勝まで進んでしまった。

その時のテーマは「自分にとって大切なもの」だった。

私は家族のことを書いた。
早くに母を亡くし、右も左もわからない状況の中、手探りで寄り添うように生きていた私たち姉妹と父のことを書いたのだった。

なんてことはない、日頃の生活を通して、自分にとって大切なものは家族だということに気付いたと、私の目線で語っただけだった。

でも、私立の女子校に通う同年代からすると、お弁当を作ってくれる母親がいないとか、まだ小さな妹の面倒をみていたりとか、そんな生活の中にいる私の毎日を、少し不憫に思ったり、逆に逞しく思ったりしてくれたのかもしれない。

決勝に選ばれたのは自分以外はすべて三年生。
一年生という立場で、並みいる強豪を抑え、準優勝したことは純粋に嬉しかった。


大人になって、子どもが生まれて、子育て日記のようなブログを始めた。

好奇心旺盛な私の父は、ブログが世の中に出始めたころからすぐにブログを書き始め、私たち姉妹にも勧めてきたのだった。

子育ての大変さや、それ以上の喜びや、日々起きるあれやこれやを、自分の言葉で残しておくのは楽しかった。

後々、徐々に毎日の記録はFacebookに移行して行き、それを見てくれる人たちから「よく頑張ってるね」とか「いいお母さんだね」と、言ってもらえるとことが多くなった。

でも、私はわかってる。

別に私が特別に頑張ってるわけではないことも、特別良い母親なわけではないことも。

私はただ、毎日のささやかな生活を楽しんだり、ほんの少しの嬉しい出来事に、感動したりする人なのだ。

誰の毎日にだって、必ずしも変化がある。

嬉しかったり、悲しかったり、楽しかったり、つまらなかったり、苦しかったり、辛かったり。

その毎日の些細な出来事を、当たり前のようにスルーしてしまうのか。

それをどれだけキャッチして、楽しむことができるのか。

そしてそれを発信するかしないか。

その違いだけだと思う。

生きるということは、もっと豊かで、もっと楽しくて、もっと輝いているはずだから。

それに気がつかないと、もったいない。

私は、仕事や人生そのものに、エンターテイメント性をもたせようと思っている。

全てを楽しむこと、楽しませることが、私にはなによりも大切なのだ。

そうすることで、どんなことが起きたって、それ自体を楽しむことができるようなってきた。

そして、自分の人生を自分だけではなくて、皆んなにも楽しんでもらえたらいいな。
そんな風に思ってる。

私の経営は、実験の繰り返し。
そして人生は、エンターテイメント。

上手いこと進まずに四苦八苦してる姿も。

壁にぶち当たって、倒れそうになってる姿も。

なんとか立ち上がって、ジタバタしながら一歩ずつ前に進んでいく姿も。

仲間たちと楽しく過ごしている姿も。

娘たちとの幸せな日々も。

これからの新たな試みも。

折り重なる毎日の中で、人はどう成長し、変化していくのか。

その過程を、ブログやFacebookに記していきたいと思ってます。

一つの物語のように。


vol.1 小さな町工場のブランディング奮闘記 

2020-07-19 09:27:00 | 日記
【姉さん、事件です】

改めまして。

株式会社安心堂代表取締役 丸山有子です。

2020年4月に代表に就任しました。

4月と言えばコロナ真っ只中。

壊滅的な状況の中、代表に就任することとなりました。

思えば昨年から続く、試されてるかの如く次々と沸き起こる難題。

あまりにも色んなことがあったので、箇条書きに…

●10月に父が病に侵されていることが判明。

●3つの病院へ通院するための送り迎えや、入院手術などの手続きを、毎日の業務の中で追われる日々が続く。

●1月下旬に、安心堂が登記上解散状態にあることが判明。(みなし解散というらしい)

●一度解散になったため、急遽2月中に決算をしなければならなくなり、決算業務に追われる。

●2月下旬、新型コロナウイルスの影響で、受注が完全ストップ。

●3月電話が一切ならず、壊滅的な状況に陥る。

●4月、二度目の決算の準備(安心堂は3月決算)と、役員改定の申請。
相変わらず壊滅的な状況は続く。

●登記が完了するまで謄本が取れないため、緊急対策融資の申請ができず、じっと耐え忍ぶ日々が続く。

●ひとつの会期中に2回の決算、そして安心堂の解散継続の手続き及び役員改定の手続きなどの費用が、約70万円にもなり大ピンチ。

●それに加えて、償却資産の検査対象になり、未加算分が判明し4年分約10万円の課税を課せられる。(毎年申請してるのに、都税事務所で気付かないのが腑に落ちない)

これはもう事件です。

「姉さん、事件です!」

このセリフが幾度となく、頭の中にぐるぐると浮かびました。

コロナ禍真っ只中、安心堂の預金を全て取り崩し、なんとか支払いを続ける日々。

それでも、司法書士さんの尽力のおかげで4月の初旬には登記が完了し(通常申請後3週間くらいかかるらしい)、緊急対策融資の申し込みができた。

しかし、融資の審査が通るのか通らないのかわからない緊張した日々は続く。
(これは1ヶ月以上に及ぶ)

とは言え、止まっていても何も変わらない。

いつ会社が無くなるかもしれないという危機的状況の中、私が最初に起こした行動は「デザイン会社に足を運ぶ」ということでした。

社長就任前からやろうと決めていた、安心堂のブランディング。

やるなら今だ、と決意した。

入社してから、安心堂の強みは何かをずっと追求し続けてきたから、未来への構想はすでにある。

お金なんてない。
でも、ここで止まったら間違いなく安心堂は終わる。
まだ融資は決まってない。
しかし、待っていられない。

構想をカタチにしていくためのプロデュースを、どこにお願いするかはすでに決めていた。

荒川区町屋にある「株式会社ROOM810

どう考えても、ここしかない。

社長の丸山慎二郎さんと、副社長の鈴木友子さんの人間性に、憧れに近い信頼を寄せている。

本格的な仕事の相談をするのは、はじめてのこと。

4月2日、ROOM810に向かいました。

小さな町工場が、ブランディングに資金を投入することに、意味があるのかないのか。

私の経営の全ては、実験だと思ってる。

結果は想定しているけど、もちろんそんなのやってみなければわからない。

でも実験を繰り返し、成長し結果を出していけばいいと思ってる。

見とけ、私の背中を。

数年後、あの時の決断は間違っていなかった。
 
私はきっと、そう言ってる。

そうやって、自分が自分に言っている。