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教皇首位権のために戦った人 :ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ

2023-04-08 07:54:06 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

◆3、教皇首位権のために戦った人

 18年間も、こうして模範的な主任司祭の任務を果たし続けたウゴ神父に目をかけたものがいました。それは、ローマの教会関係者たちです。あれほどの天才を地方に埋もれさせるのは、もったいないと、1953年、彼をローマに呼びよせました。新しく任命された職務は、ローマ・ラテラン大学神学部の部長です。
 そして、まもなく、教皇ヨハネ23世によって、第二次ヴァティカン公会議が開かれると、彼は、教皇立神学委員会のメンバーとして選ばれることになりました。

 ウゴ神父の仕事は、教会憲章の作成に協力することです。その頃、公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。

 こうして、準備されたのが、憲章の下ごしらえともいうべき、一つの案です。これは、大勢の司教たちの要求によってできたものでしたが、ウゴ神父は、それを見ると、みるみる蒼白になり、眉をひそめました。彼は、非常に憂えていました、「この案がそのまま通ると、聖ペトロと、その跡継ぎであるローマの司教、教皇さまの首位権が危い」と。

 なぜなら、そこには、第一次ヴァティカン公会議で信仰箇条として宣言されていたこの首位権と、教皇の不可謬権をとり消した方がいい、という意見が強くうち出されていたからです。

 中でも、北部ヨーロッパのエキスパートたちにこの声があがりました。彼らは、プロテスタントの要求に劣等感を持っていたので、この説を強く宣伝しました。そのため、公会議に参加した、少なからぬ司教たちが、これに賛成する傾きをみせはじめたのです。これを放っておいたら、いったい、どうなるのでしょう。そうなれは、もはや教皇さまは、司教たちの「スピーカー」でしかないことになります。それどころか、信仰の大切な教義も、歴史的な時代の要求が変化するにつれて、不変的なその特長を失うことになるのです。事実、この説から出された結論は、次のようになっていたのです。

「救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する。そして、この説の行きつく先として、最近のマルクス王義の思想も、キリスト教の思想に劣らない真理として認めるべきである」という結論まで、既に提出されていたのです。

 また、こうも言われていました、すなわち、「福音書に記されているイエズスの幼年時代の物語は、単なる作り話であり、歴史的な根拠が認められない」と。

 この説は、形こそ変わっていますが、今もなお残っています。とにかくあの当時、有名な司教でさえ、この立場を支持していたのです。

 大変な危険をはらんだこの案に気づいたラッタンツィ神父は、自分の委員会仲問とともに、正しい立場を守ることにしました。




ユダヤ人を匿う :ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ

2023-04-07 02:57:28 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、19

 それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこともやってのけるのでした。

 ヒットラーのユダヤ人虐殺の影響を受けたイタリア政府えさの軍人たちが、たえず餌をねらって目を光らせています。それで、ユダヤ人だった、ある教師は、生きた心地もありません。逃げまどうこの人を、ウゴ神父は、自分の司祭館にかくまいました。

「ねえ、いいですか、決して司祭館を出てはなりませんよ。あなたが、ここにいる限り、私はきっと、あなたを守ってみせます」と言ったウゴ神父こそ、危険極まりない立場にいたのです!

 教会のあの大きな財産の主な物は、広い畑でした。そこには、たくさんの人々が働いていました。でも、そのやり方と言ったら、まったく原始的で、無気力で、収益は少なくなる一方です。積極的なウゴ神父は、自分で畑を見回って、考えました、『これじゃ、うまくいくはずがない。よし、私が、決定的な改革をはじめよう』と。

 彼は、さっそく信用も才能もあるひとりの人を管理人にして、協力を願いました。主任司祭の負担で、着々と改良策が実施されましたが、結果は素晴らしく、その地方全体の手本となったほどでした。

 こうして教会には、十分すぎるほどの財産があります。でも、他の教会は非常に貧しく、十分な活動のできない始末です。彼は、司教さまを訪ねて、自分の教会の財産の分配を願い出ました。

「ああ、なんと無欲な愛の司祭だろう!」司教さまは、すっかり感嘆して、大喜びで承諾しました。ウゴ神父のこの手本は、やがてイタリア中に影響を及ぼしました。多くの教会財産が今までより、もっと平等に分配されるようになったのでした。






愛の十字軍 :ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ

2023-04-05 22:47:46 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、18

 第二次世界戦争がはじまると、ウゴ神父は、さっそく、「愛の十字軍」を組織して、みんなと協力して、多くの貧乏な人を助けたのでした。

 どうしようもない生活苦にあえぐ家庭の可哀そうな子どもたち、その15人も彼は、自分の財布で生活させました。

 非常に貧しいカプラニカ大神学校には、40名から50名の神学生がいました。また、フェルモ市には、貧しい女子カプチン会の修道院もあります。戦争になると、これらの所では、非常に食物が不足してきました。ウゴ神父は、腕をこまねて見ているようなことはありません。一策を考え、助けるために、教会所属の大きな畑のうちの幾分かを法的には貸すという名目で与えました。

 それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこともやってのけるのでした。





勇敢な司牧者  :ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ

2023-04-04 23:09:18 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17

◆2、勇敢な司牧者

 1935年、彼は、昔、有名な大修道院があったカンポフィロネの主任司祭に任命されました。この小教区には、昔から、相当に大きな財産(畑)がありましたが、27年以上も以前から不正な横領をされていました。

 あのことは、単なる噂でないことを確かめたウゴは腹を決めて、説教台に立ちました。それは.1935年3月17日、赴任した最初の主日です。

 学識の評判の高い新任司祭をじっと見守る信者の目は尊敬と好意と好奇心に満ちています。でも、ウゴは、はっきりといいました。

「みなさん、どうしたわけか知りませんが、もと、大修道院だったこの小教区、.数年まえから、全村民に、年に4回うどんを買うおかねを配る習慣ができています。この習慣は、みなさんにとっては、一つの権利にみなされ、小教区にとっては、大変な負担になろうとしています」

 信者たちは、驚いたように、困ったように顔をみあわせています。でも、ウゴ神父は、構わず続けました。

「本当は、司教事務所のほうで、この習慣を廃止しなければならなかったのです。でも、しなかったので、結局、私がしなければならなくなりました。なぜなら、私は、教会の負担になることを許さないと、教会の前で誓ったからです」

 この時には、あのひそひそささやき合っていた声が、はっきりした反感を示すざわめきに変わろうとしていました。でも、ウゴ神父は負けません。かれは言葉を続けました、

「わたしは、この誓いをはじめから実行することに決めました。でも、お金惜しさのためだと誤解しないでいただきたいのです。目的は、本当に貧しい人たちを助けるためです。それに、みなさんの信者としての教養を高める費用にあてるためです。これから、『家庭の天使』という教会月報を発行して、無料で配ることにします」

 信者の中には、なるほどと、うなずす者も、いるにはいましたが、反感のほうが強く。先ほどの好意のまなざしは今は、激しい反感さえ示し、中には、手を挙げているものさえいます。

 ウゴ神父に、この思いきった大服な決定をさせたのは、彼が大事に考えていたいわゆる慈善の位階制度のためでした。困ってもいない者に、他人の慈善をうける権利も、他人のものを乱用し、むさぼる権利もないというのが、この原則の理論です。

 これに対して、あの不正な利益をとりあげられた人たちは、いい気もちがしません。長いあいだ、ウゴ神父に対する反感が続きました。しかし、一方では、教会月報の功で、信者の教餐を高めるという実りが得られ、信仰生活の程度も深くなってきました。

 ウゴ神父の熱烈なこの潔癖さと正義は、自分の家族に対してさえ貫かれました。というのは、家族の中にはうん〔やれやれ、俺たちにも運が向いてきたぞ。どうだ、ウゴ神父は、今じゃあんなに大きな教会録をもつ身分だ。家族にもその富を分配するのは、あたりまえだ〕と考える者がいたからです。でも、どんなに言っても、ウゴ神父は聞き入れてくれないので、とうとう業をにやして、裁判ざたにまでしてしまいました。

 それでも決してかれは、譲りませんでした。教会のものは、個人のものじゃない、貧しい人を救うためにこそ使うべきものだと、考えていたのですから、彼は、梃子でも動かなかったのです。







愛の段階

2023-04-01 02:30:15 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、16

◆、愛の段階

1、地上のむなしさを認め、永遠の善にのみ愛着すること。

2、たえず、イエズスのことを考えて、霊的聖体拝領をなし、心にとくにしばしば愛を燃え立たせること。

3、何をするにも、私の花むこの愛のためにすること。

4、いけにえとなり、苦しみを捧げる必要を感じるように。

5、犠牲を惜しまないで、他人を愛すること。

6、隣人にも花婿イエズスを愛させるように。

7、神を、愛のために愛し、報いを考えないで、狂気のように愛すること」。

 このすぐ下に、「でも、私は、この第7の段階に、いつ辿りつけるだろうか」と書いています。この他にも、彼は、実生活のための生活の規則を14か条まで書いています。

(写真:1934年5月26日 弟フェデリコ神父の初ミサの後の記念写真)