カトリック情報 Catholics in Japan

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志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、3

2016-07-24 04:59:18 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

◆ 神はおいでになる(3)

 大自然の諸現象を研究すればするほど、その法則と秩序のすばらしさに心を奪われます。それゆえ、偉大な科学者たちは、それぞれの立場から神を認め、厚い信仰に生きています。昆虫学者のファーブルは、昆虫の本能に心をうたれて、神を見ている」といい、物理学者のアインシュタインは、「信仰のない科学はめくらであり、科学のない信仰はびっこである」と科学と信仰の一致を強調しています。

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、4

2016-07-24 04:58:46 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

◆ 神はどんなお方か

 以上のことによって、まず神は限りない力と知恵とをもったお方だということがわかります。神の手になる宇宙の大きさを考えると、気が遠くなるほどです。光は一秒間に30万キロメートル走りますが、それが一年間に走る距離を一光年(9兆4608キロメートル)といい、星の距離はこれで計算されます。それによると、北極星は地球から47光年、アンドロメダ星雲は230万光年も離れています。そして最近ハワブル博士は3億7000万光年の距離にある星の集団を発見したといいます。

 また神は、永遠に生きる霊であります。霊とは目に見えないが、わたしたちと同じように知恵と意志をもって活動する知的存在です。何もないところがら物質を作りだすような原因は限りある物質ではなく、限りない能力をもつ霊でなけれはなりません。そして霊は永遠に生きる性質のものですから、始めもなく、終わりもなく、いつもおいでになるといわねはなりません。そのようなお方は、宇宙にただひと方だけしかいらっしゃいません。

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、5

2016-07-24 04:58:05 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

2、人

◆ 人とは何ものか?

 人は、肉体と霊魂があわせられたものです。霊魂は、神によってつくられた霊で、人の生命と精神活動のもとです。人に霊魂があることは、理解したり、判断したり、自由に行動したりする純粋の精神的働きがあることによってわかります。たとえは、時計をみて時間を計るものであることを理解し、愛は正義にまさる徳であると判断し、他人のためにいのちを献げるように決心して、それを実行することなどです。人間には知恵があるから、文化をつくり、すばらしい進歩や発展をして行きます。動物には知恵がないから、いつも本能で生き、進歩がありません。そこに人間と動物との大きな相違があり、人間が万物の霊長としてすべてのものを支配する所以であります。

 聖書によれば、霊魂は神の姿に似てつくられた霊であるから、この上なく尊く、また偉大な存在であります。人の生命の尊さや生きる権利の重大さは、それにもとづいているのです。

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、6

2016-07-24 04:57:26 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

2、人

◆ 霊魂はなくならない

 人は死んで肉体はくさっても、霊魂はなくなりません。なぜなら、なくなるとは物質が分解したり化合したりして、他のも変化することです。ところが霊魂は、物質で構成されていないから、変化がありません。それに、物質でさえ不滅と言わむきれるのに、それよりすぐれた霊魂が無に帰するとは考えられません。したがって、人は死によって肉体と霊魂が離れますが、霊魂は霊の世界へ移ります。その世界をあの世、または、来世と申します。死んだ人との交流があって、不思議な現象が起ることをかずかず耳にしますが、それは来世がある証拠になります。

 なお、キリストの教えによれは、人は世の終わりに復活し、霊魂は新しい体をもってうまれかわります。もん白蝶が幼虫か蠕になり、成虫に生まれる変化を見れば、人間の復活の過程も理解できないことではないでしょう。復活した体は、霊体と言って永遠に生きるもので、霊魂の意のままに従い、いまのように食べたり、飲んだり、眠ったりする体ではありません。

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、7

2016-07-24 04:56:53 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

◆ 霊魂はなくならない(2)

 キリスト教の立場からいえば、来世があること、つまり霊魂が永遠に生きることは、神の存在と相並んで信仰の柱になっています。なぜなら、来世がないとすれば、この世では普悪が公正にさばかれませんから、すべての人が求めてやまない正義は人をだます空言になってしまいます。また人間が本性から、こい願う限りない幸福も架空の夢となって、大自然の「目的の法則」に反することになります。キリストは神の正義と愛を説き、この世で報いられない善悪は、かならず来世で公平にさばかれて、神によく仕えた善人は、ふさわしい幸福にあずかり、神に背いた悪人は、それに相当する罰を受けると教えておられます。