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聖母の被昇天の大祝日    Assumptio B. Mariae V. 

2024-08-15 11:57:28 | 聖人伝
聖母の被昇天の大祝日    Assumptio B. Mariae V.           大祝日 8月 15日


 聖会の一年間には聖母の祝日が決して少なくない。が、中でも我等にとり最も喜ばしく、また最も懐かしいのは聖母被昇天の大祝日であろう。この日記念されることは主として二つある。聖マリアの実に清らかな御臨終と、その天主における比類ない御光栄がそれである。

 聖母があのペンテコステの日に、御弟子方と一座して御聖体とその賜物とをお受けになったことは使徒行録にある。しかしその後の後動静については一向聖書に記されておらぬ。これはそれからの聖マリアの御生活が個人としてのそれであって、直接われら人類の救霊に関係がなかった為であろうが、伝説にはその後晩年の話もいろいろと残っている。
 それによれば聖母は聖霊降臨後間もなく、小アジアのエフェゾ市に退き、十字架上におけるイエズスの御遺言通り、使徒聖ヨハネの懇ろな扶養を受けもっぱら、なおも徳を積み、天上において最愛の御子と再会する喜びの日をひたすら待ち侘びつつ余生を送られた。ただその御終焉の時も伝えられておらぬのは、誠に遺憾の極みと言わねばならぬ。

 一体人間の死は聖パウロも教えている通り罪の罰である。ところが聖マリアには自罪はもちろん、原罪の穢れすらおありにならなかった。故に道理からいえば聖母は決して死なれるに及ばなかったのである。それがやはり逝去されたのは、全く聖子イエズス・キリストの御死去と同様、ただ人々を救いその霊魂を天国へ導く為に他ならなかった。さればその御逝去は一般に見られる疾病、老衰など、罪の罰たる苦悩が少しもなく、聖ベルナルドがいみじくも言っているように「天国への渇望の激しさにその聖い御霊魂が清い御肉体を離れた」までに過ぎなかったのである。そして主イエズス・キリストが復活昇天された如く、その御母聖マリアも御死去後間もなく蘇り、その御霊魂御肉身諸共天国に挙げられ給うたことは、聖会の初代からあまねく人々に信ぜられて来た所であった。
 それに全能の天主が御自分をその胎内に宿し給うた御母に対し、あらかじめ原罪の汚れをさえ除くほど有難い配慮をなし給うたとするならば、御死去の後もその御肉身を汚れの象徴の如き腐敗から救い給うたのは、当然なことである。されば聖マリアが死後その御肉身も御霊魂と共に天に挙げられ給うたという一條は、聖母の無原罪などと同様、天主の御母の特権で、1950年11月1日、諸聖人の大祝日に教皇ピオ11世が全世界から集まった多くの司教、司祭や、平信者の前に信仰箇条と定められたのである。
 聖会は聖母マリアのこの特権を記念するため、早くから被昇天の大祝日を設け、これに対する典礼をも定めた。またカトリックの名ある芸術家達はこれを題材として詩文、絵画、彫刻に数々の傑作をものし、一般キリスト教信徒は之に関して、さまざまの伝説を残した。次に掲げる話はその最も古い一つであってニケフォロ・カリスチの歴史に記されているものである。
 即ち、東ローマ皇帝マルチアノの皇后ブルケリアはかねてからの一の聖堂を建立し、これを聖母に献げ、かつその御遺骸をそこに安置したいという望みを有しておられた。で、皇帝はカルセドンに公会議を召集された時エルサレムの司教ユヴェナリスに向かい聖マリアの御遺骸の所在地を尋ねられたところ、司教は答えて
 「聖母の御逝去については聖書に何事も記してございません。しかし古い確かな伝説によれば、聖母の御臨終には使徒達がいずれも布教先から馳せ集まり、最後のお別れを申し上げ、御息絶えて後は、祈祷に聖歌に御徳を讃美しつつ、禮を厚うして御遺骸をとある岩穴に葬りました。ところがそれから三日を経て、唯一人遅れて到着した使徒のトマに、聖母の御死顔を見せるために御墓を開きますと、不思議にも御屍は見当たらず、それの包んであった布は畳んで傍らにおかれ、あたりにはえも言われぬ芳しい香が馥郁と漂っておりました。使徒達はこれを見るや大いに喜び、『主イエズス・キリストはその御母を復活せしめ清き御身体も共に天国へ迎え取り給うた。』と叫んだということでございます」と語ったそうである。
 同じく天国に赴かれ給うたにしても、主キリストの場合には御昇天と言い、聖母マリアの場合には被昇天と呼ぶ。これは主が天主の全能を現して御自ら天に昇られたのに対し、御母は人間であるからそういう力はなく、ただ主の御力によって天に挙げられたという相違を示す為である。

教訓

 聖母の被昇天は読者も知る如く、わが日本公教会において主日同様守るべき四大祝日の一つとされているが、この日はまた実際に我が国にとり浅からぬ因縁を有している。それというのは、日本に渡来した最初の宣教師聖フランシスコ・ザベリオが、鹿児島に上陸し最初の御ミサを献げたのがちょうど聖母被昇天の大祝日に当たっていたからである。
 されば我等もこの日を機会として更に聖母への崇敬と信頼とを深め、絶えず日本公教会の上にその優握な御保護を願わねばならぬ。