聖ヨセフィーナ・バキタ 記念日 2月8日
バキタは1869年ころ、アフリカのスーダン西部、ダルフール地方のアジレレ山の近くにに生まれた。7歳くらいの時に奴隷商人にさらわれ、その後、奴隷としての人生を歩むこととなる。奴隷の印である刺青を身体中に施され、何度も人から人へ売られた。刺青はカミソリで切れ目をつけそこに墨を入れ、傷口を広げておくために塩をすりこんでおくという過酷なものであった。
そして彼女はイタリアに渡った後に自由になるとベネチアでカノッサ会のシスター達にと出会い、そこで洗礼を受けキリストと出会うこととなる。
自分の意志でシスターへの道を選び、カノッサ修道受会のシスターとなり、イタリア北部のビエチェンツァに近い町スキオで50年の長きにわたって人々から愛されるシスターとして働き、また自分に危害を加えてきた全ての人を許して、1946年帰天する。
彼女は、まさに1900年代という我々と同じ時代を生きた聖人である。
「おお、バキタ!!
あなたは輝く光。大きな慰めの天使となってください。
こうした恵まれない無数の子供達の上に自由と正義、
平和と愛があるように祈ってください。
まだ世界には奴隷にされている人が無数にいます
私達を皆縛り付ける罪と、最も思い悪の、恐ろしい鎖に
がんじがらめに縛られている、罪の奴隷の数は無限に近いでしょう。
シスター・バキタ!
お願いです!私達を苦しみから解放してください。
そしてさらに、罪からの解放をお願いします。そして
虐げられている人に自由を!
みんなのシスターであるあなたに、愛とゆるしを
お願いします。」
「聖バキタへの祈り」より
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍量の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
バキタは1869年ころ、アフリカのスーダン西部、ダルフール地方のアジレレ山の近くにに生まれた。7歳くらいの時に奴隷商人にさらわれ、その後、奴隷としての人生を歩むこととなる。奴隷の印である刺青を身体中に施され、何度も人から人へ売られた。刺青はカミソリで切れ目をつけそこに墨を入れ、傷口を広げておくために塩をすりこんでおくという過酷なものであった。
そして彼女はイタリアに渡った後に自由になるとベネチアでカノッサ会のシスター達にと出会い、そこで洗礼を受けキリストと出会うこととなる。
自分の意志でシスターへの道を選び、カノッサ修道受会のシスターとなり、イタリア北部のビエチェンツァに近い町スキオで50年の長きにわたって人々から愛されるシスターとして働き、また自分に危害を加えてきた全ての人を許して、1946年帰天する。
彼女は、まさに1900年代という我々と同じ時代を生きた聖人である。
「おお、バキタ!!
あなたは輝く光。大きな慰めの天使となってください。
こうした恵まれない無数の子供達の上に自由と正義、
平和と愛があるように祈ってください。
まだ世界には奴隷にされている人が無数にいます
私達を皆縛り付ける罪と、最も思い悪の、恐ろしい鎖に
がんじがらめに縛られている、罪の奴隷の数は無限に近いでしょう。
シスター・バキタ!
お願いです!私達を苦しみから解放してください。
そしてさらに、罪からの解放をお願いします。そして
虐げられている人に自由を!
みんなのシスターであるあなたに、愛とゆるしを
お願いします。」
「聖バキタへの祈り」より
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍量の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。