近代主義者たちの屈折した性質
こういったことをみな考慮に入れれば、近代主義者たちが譴責や処罰を受ける際に表わす驚きのわけが分かります。誤ちとして彼らに帰せられることを、彼ら自身は神聖な義務と見なしているからです。彼らは人々の良心の必要を他の誰よりもよく理解しています。なぜなら、彼らは教会の権威よりも、より緊密に人々の良心と接して [と考えて] いるからです。否、彼らはいわば自らのうちに人々の良心を体現している[と考えている]のです。このため、彼らにとって公然と語り、著述をおこなうことは決して怠ってはならない義務なのです。もし望むならば権威は彼らをとがめればいいでしょう。彼ら近代主義者は自らの良心、ならびに自分たちは非難ではなく、称賛にこそ値するという確信を抱かせる直接の体験を自らの側にもっています。それから彼らは、結局のところ逃走なしに進歩なく、また犠牲者のでない逃走もないと考え、そして預言者やキリストご自身のように自分たちが犠牲者となることをあえて辞しません。彼らは自分たちを荒々しく取り扱う権威に対して、いささかの恨みも心に抱いていません。なぜかと言うに、彼らは結局のところ権威は権威としての義務を果たしているに過ぎないと認めるのにやぶさかではないからです。彼らにとっての唯一の悲しみは、権威が彼らの発する警告に耳を閉ざし、こうして人々の霊魂の進歩を妨げていることです。しかるに、これ以上[進歩を]引きのばすことがもはや不可能となる時が来ることは、およそ確実です。なぜなら、たとえ進化の法則はしばらくの間押し止められ得るとしても、最終的には、それから免れることはできないからです。このように考えて、彼らは譴責や排斥にも関わらず、信じがたい大胆さを見せかけの謙遜で覆いかくし、自らの道を行くのです。頭を下げるふりをしつつも、彼らの心と手は自分たち退きとを成し遂げるべく、以前にもまして大胆となるのです。そして彼らはこのようなやり方に、望んで知りつつ従うのです。それは、権威は転覆されるのではなく、刺激されるべきものである、ということが彼らの思想体系の一部を成しているからであり、また集合的良心を徐々に改変するために、彼らが教会の階層中に留まることが必要だからでもあります。そして、このように述べるに当たって彼らは、集合的良心は彼らの許にないこと、また、彼らはかかる良心の解釈者を名乗るいかなる権利もないことを告白していることになります。
『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス』教皇ピオ十世、1907年9月8日
こういったことをみな考慮に入れれば、近代主義者たちが譴責や処罰を受ける際に表わす驚きのわけが分かります。誤ちとして彼らに帰せられることを、彼ら自身は神聖な義務と見なしているからです。彼らは人々の良心の必要を他の誰よりもよく理解しています。なぜなら、彼らは教会の権威よりも、より緊密に人々の良心と接して [と考えて] いるからです。否、彼らはいわば自らのうちに人々の良心を体現している[と考えている]のです。このため、彼らにとって公然と語り、著述をおこなうことは決して怠ってはならない義務なのです。もし望むならば権威は彼らをとがめればいいでしょう。彼ら近代主義者は自らの良心、ならびに自分たちは非難ではなく、称賛にこそ値するという確信を抱かせる直接の体験を自らの側にもっています。それから彼らは、結局のところ逃走なしに進歩なく、また犠牲者のでない逃走もないと考え、そして預言者やキリストご自身のように自分たちが犠牲者となることをあえて辞しません。彼らは自分たちを荒々しく取り扱う権威に対して、いささかの恨みも心に抱いていません。なぜかと言うに、彼らは結局のところ権威は権威としての義務を果たしているに過ぎないと認めるのにやぶさかではないからです。彼らにとっての唯一の悲しみは、権威が彼らの発する警告に耳を閉ざし、こうして人々の霊魂の進歩を妨げていることです。しかるに、これ以上[進歩を]引きのばすことがもはや不可能となる時が来ることは、およそ確実です。なぜなら、たとえ進化の法則はしばらくの間押し止められ得るとしても、最終的には、それから免れることはできないからです。このように考えて、彼らは譴責や排斥にも関わらず、信じがたい大胆さを見せかけの謙遜で覆いかくし、自らの道を行くのです。頭を下げるふりをしつつも、彼らの心と手は自分たち退きとを成し遂げるべく、以前にもまして大胆となるのです。そして彼らはこのようなやり方に、望んで知りつつ従うのです。それは、権威は転覆されるのではなく、刺激されるべきものである、ということが彼らの思想体系の一部を成しているからであり、また集合的良心を徐々に改変するために、彼らが教会の階層中に留まることが必要だからでもあります。そして、このように述べるに当たって彼らは、集合的良心は彼らの許にないこと、また、彼らはかかる良心の解釈者を名乗るいかなる権利もないことを告白していることになります。
『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス』教皇ピオ十世、1907年9月8日