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『救われる人の数の少なさ』3:ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教

2022-11-21 23:14:48 | 地獄(2)
ポルト・マウリチオの聖レオナルドの説教『救われる人の数の少なさ』3

◆5、天主の善性

 おそらくあなたは、今私があなたに教えたことをまだ信じてはいません。しかし、今まで私を通して話してきたのは最も尊敬されている神学者達であり、最も傑出した教父達なのです。ですからあなたは、これほど多くの事例と聖書の言葉によって支持されている根拠にどのようにして抵抗することができるのでしょうか。 もしあなたがこれらにも拘らずまだ躊躇うならば、そしてもしあなたの心がこれとは正反対の意見に傾くならば、この真実の考察もあなたを震えさせるには十分ではないということでしょうか。 ああ、それはあなたがあなた自身の救いに大して用心しないということを意味しています。

 分別のある人は、霊魂に関係のない他の事柄における完全な破滅のはっきりとした徴候によってよりも、このような霊魂に関わる重大な事柄における僅かな危険の可能性によって、より一層強く打たれるものです。私達の兄弟の一人である福者ジルは、もし地獄に行くことになっている人がたった一人だったとしても、自分がその一人にならないことを確かなものにするために出来得る限りのあらゆることをするつもりである、と言うのを常としていました。

 ですから、非常に多くの人達が地獄に落ち、しかもそれはカトリック信者からだけではないと知っている私達は、何をしなければいけないのでしょうか。 何をしなければいけないのでしょうか。 自分は救われる少数の人々の中に必ず入るのだという決意をして下さい。あなたは言うかも知れません、「もしキリストが私を滅ぼすことをお望みなのであれば、彼は、なぜ、私を作ったのですか?」と。軽卒な舌よ、どうか黙って下さい。神は滅ぼすためには誰も作りませんでした。滅ぼされる人は、彼自身がそれを望むからこそ滅ぼされるのです。それゆえ、私は今、神の善性を擁護し、それを全ての非難から護りたいと思います。それが第二の要点の主題です。

 続ける前に、私達は、一つの側にルターとカルヴィンの全ての書物と異端の主張を集め、もう一つの側にペラギウス主義者と半ペラギウス主義者の書物と異端の主張を集め、それらを燃やしてしまいましょう。それらの内の幾つかは神の恩寵を破壊します。別のものは自由を破壊します。そしてそれら全てが誤謬に満ちています。ですから私達はそれら全てを火の中に投げ入れましょう。滅ぼされる人々の全てが、彼ら自身の額の上に預言者ホセアの言葉を運びます、「私はあなたを滅ぼす」[ホセア書 13:9] 。ですから彼らは、滅ぼされる人は誰でもその人自身の悪意によって滅ぼされるのであり、その人自身が滅ぼされることを望んだからこそ滅ぼされるのである、ということを知らなければならないのです。

 最初に、基礎的なこととして、二つの否定できない真理を取り上げましょう。「神は全ての人間の救いをお望みである」「全ての人は神の恩寵を必要とする」この二つです。さて、もし私があなたに、神は全ての人間の救いをお望みになり、そのため全ての人に恩寵と他の崇高な死を迎えるために必要な全ての手段をお与えになっている、ということを示せば、あなたは、誰であれ滅ぼされる人はそうなった原因をその人自身の悪意に帰さなければならず、もしキリスト教徒の非常に多くの人達が滅ぼされているのだとしても、それは彼ら自身がそう望んだからだ、ということに同意せざるを得ないでしょう。「私はあなたを滅ぼす。私以外に誰があなたを救えようか?」[ホセア書 13:9]

◆6、神は全ての人間が救われることをお望みである

 聖書の中のあらゆるところで、神は私達に、彼の全人類を救いたいとのお望みが真実のものであることを語っておられます。「私が、悪人の死をよろこぶだろうか? むしろ、かれが、その生き方をかえて生きることをこそよろこぶ... 私は、自分のいのちにかけていう──主のおつげ──私は、悪人の死をのぞまない。道を改め、生きよ」[エゼキエル書 18:23 及び 33:11] 。人が何かを非常に望む時、彼は欲望と共に死のうとしている、と言われます。それは誇張です。しかし主は、望みの故に死なれたほどに、私達にいのちを与えるために御自身を死に渡されたほどに、私達の救霊を非常に望まれましたし、また今もお望みです。それ故、全人類を救いたいとのこの神の御意志は、感情的な、表面だけの、見かけだけのものではありません。それは真実であり、実際に働きかけるものであり、私達に利益をお与えになる神の御意志なのです。何故なら、神は私達に、私達が救われるために最も適当な手段をお与えになるからです。主はそれらの手段を、何の効果も持たないような形では、私達にお与えになることはありません。

 主は、まことの御意志をもって、それらが効果を持つようにと、それらを私達にお与えになります。そして、もしそれらが効果を発揮することがなければ、主はそのことをお悩みになり、ご不快になられます。主は、本来なら地獄行きのような人々にさえ、救われるためにそれを使いなさいとお命じになります。主は彼らにそれらを使うようにと勧告なさいます。主は彼らにそれを強います。そしてもし彼らがそれに従わなければ、彼らは罪を犯すことになります。それ故、もし彼らがそれに従えば、彼らは救われるのです。

 そればかりでなく、主は、私達が主の御助力を得ることなしには主の御恩寵を利用することさえできないのをご覧になり、私達に他の援助もお与えになります。それ故、もしそれらが時に効果がないままである時、それは私達自身の過ちのせいです。何故なら、これらの同じ援助を頂いているにも拘らず、ある人はそれを濫用し、それにおいて呪われ、しかし別の人はそれを正しく使い、救われるからです。後者のような人は、もっと少ない援助によっても救われるかも知れません。そうです、ある人がより少ない恩寵に協力して救われる一方で、私達はより多い恩寵を受け、しかしそれを濫用し、そして滅びることがあり得ます。

 聖アウグスティヌスは強い調子で断言します、「それ故、もし誰かが正義の道から外れてしまうなら、彼は自分の自由意志によって運ばれ、情欲に導かれ、彼自身の説得によって欺かれます」。しかし、神学を知らない人達のために私はこう言わなければなりません。神はとても善いお方なので、もし堕落した生き方に駆け寄ろうとしている罪人を見た時、主はその罪人の後を追い、それに呼びかけ、懇願し、その罪人が地獄の門の前に来る時までもそれに付き添います。罪人を回心させるために、何か主がしないことがあるでしょうか?

 主は罪人に善い閃きと清い考えを送ります。そして、もし罪人がそれらから利益を得ないならば、主は怒り、憤慨したようになられます。主は罪人につきまといます。主は罪人を叩きますか? いいえ、主は空中を蹴って罪人を赦します。しかし罪人はまだ生き方を変えません。神は彼に大病を送ります。確かにこれで彼の生涯は終わったも同然です。いいえ、兄弟の皆さん、神は彼を癒します。罪人は悪に凝り固まるようになります。そして主はその御憐れみによって他の方法を探します。主は、その罪人にもう一年を与えることにします。そして、その一年が終わった時、更にもう一年を与えます。

 しかし、もしその罪人がこれら全てにも拘らず彼自身を地獄に放り込むことをまだ望んだなら、その時神はどうされるでしょうか? 彼を見捨てるでしょうか? いいえ、主はその罪人を手に取られます。そして彼が地獄とその周辺に足をかけている時も、主は彼に語りかけ、主の御慈悲を無駄にしないようにと懇願なさいます。さて、私はあなたに質問します。もし、その罪人が滅ぼされたなら、彼は神の意志に反して滅んだのであり、そしてそれは彼自身がそうなることを望んだからだ、というのが本当ではないでしょうか? さあ、私に尋ねて下さい、「もし、神が私を滅ぼすなら、それでは何故彼は私を作りましたか?」と。

 恩知らずな罪人よ、どうか今日、もしあなたが滅びるなら、それは神の責任ではなく、あなたとあなたの頑なさのためであると知りなさい。このことをあなた自身に納得させるために、深い穴の底にさえ降りて行きなさい。そうすれば、そこで私はあなたに、地獄で焼かれる哀れな滅んだ霊魂の一人に会わせましょう。そうすればその者は、今まで述べられてきたことが本当のことであるとあなたに説明するかも知れません。

 今、ここに一人の人がいます。「話して下さい。あなたはどなたですか?」「私は知られていない土地で生まれた哀れな偶像崇拝者です。私は天国のことも地獄のことも、私が今苦しんでいるこの状態のことも聞いたことがありませんでした。」「哀れな不幸な人よ! 行って下さい。あなたは私が探している人ではありません。」彼はそこにいます。「あなたはどなたですか?」「私はタタール地方の最北端出身の離教徒です。私はいつも未開の地に生き、かろうじて神の存在を知っていました。」「あなたは私が探している人ではありません。地獄にお戻り下さい。」

 別の人が来ています。「さて、あなたはどなたですか?」「私は北部出身の哀れな異教徒です。私は北極地方に生まれ、太陽の光も信仰の光も見たことがありません。」「私が探しているのはあなたでもありません。地獄にお帰り下さい。」

 兄弟の皆さん、私は、呪われた人々の中に生きて真の信仰を知ることさえもなかったこれらの哀れな人々を見ると、胸が張り裂けそうになります。しかし、それでも、彼らは有罪の判決を言い渡され、「私はあなたを滅ぼす」と言われたのだと知って下さい。彼らはそう望んだからこそ滅ぼされたのです。彼らは救われるためのとても多くの御助力を神から頂いていたのです! 私はその御助力がどういうものであったかを知りません。しかし彼ら自身はそれをよく知っています。そして彼らは今、こう叫びます、「主よ、あなたは正しく、あなたの裁きは公平」[詩編 119(118):137] 。

 兄弟の皆さん、あなた方は、最も古い信仰は神の法であること、及び、私達全てがその神の法を胸に刻まなければならないということを知らなければなりません。また、それを学ぶために特に教師は要らないということ、神の法の全ての指針を知るための判断の光は既に十分に与えられているということを知らなければなりません。

 それが未開の人達でも彼らが罪を犯した時に隠れる理由です。彼らは自分が悪いことをしたとわかるからです。そして彼らは彼らの心の中に書かれた自然法を守らなかったが故に滅ぼされるのです。なぜなら、もし彼らがそれを守っていたなら、神は彼らを滅ぼすよりも奇跡を起こしただろうからです。主は、彼らが彼ら自身の良心の閃きと一致して生きることをしないために彼ら自身を無価値な者にしていることに関して、彼らがすべき善きことと彼らが避けるべき悪しきことについて彼らに警告することにおいて決して間違うことのない彼らに教える誰かを、彼らに送られたことでしょうし、また他の御助力をもお与えになったことでしょう。

 ですから、神の法廷で彼らを裁くのは彼ら自身の良心なのです。そしてこのことは、地獄で、彼らに常にこう告げているのです、「私はあなたを滅ぼす」。彼は何と答えていいのかわからず、自分達がその運命に値することを認めなければならないのです。

 さて、もしこれらの異教徒達が自己弁護をしないならば、個々の自由意志によってこれほど多くの秘跡に与ることができ、これほど多くの説教を聴くことができ、これほど多くの御助力を受けることができるカトリック信者の私達には、何が残されているでしょうか? どのようにして敢えてこう言うのでしょうか?「もし、神が私を滅ぼすなら、それでは何故彼は私を作りましたか?」と。神があなたを救おうとしてこれほど多くの御助力を与えておられる時に、どのようにして敢えてそう言うのでしょうか? ですから、神に反発する気持ちはもう捨てましょう。

 深い穴の中で苦しんでいるあなた、私に答えて下さい! あなた方の中にカトリック信者はいますか?「確かにいます。」どれくらい、いるでしょうか。 彼らの内の一人をここに連れて来て下さい!「彼らはあまりに下にいるので、それは不可能です。もし彼らを上に来させれば、全地獄の上下がひっくり返ることになるでしょう。しかし、地獄に落ちようとしている人を止めることは、それよりは容易です。」

 ですから、道徳的な罪の習慣に生きているあなた、憎しみの中にいるあなた、不純な悪癖のぬかるみの中にいるあなた、そして日々地獄に近づいているあなたに、私は言います。止まりなさい、そして生き方を改めなさい。あなたにこのように呼びかけているのはイエズスです。彼は、彼の御傷と共に、とても多くの雄弁と共に、あなたに叫んでおられます、「わが息子よ、もしあなたが滅ぶなら、その責任はただあなた自身にある」。

 「私は、もしそうしようと思えば、あなたが初めて道徳上の罪を犯した時に、あなたを地獄に投げ込むこともできた。二回目の罪を待たずにそうすることができた。私は非常に多くの者にそうしたが、しかしあなたに対しては我慢した。私はとても長い間あなたを持った。私は今日もまだあなたの償いを待っている。これら全てに拘らずあなたが滅んだとしても、それは誰の過ちであろうか? あなた自身の過ちである、わが息子よ、あなた自身の過ちである。『私はあなたを滅ぼす。』
 あなたは、あなたの正に眼前で、今まで何人の人達が死んでゆき、そして滅ぼされたかを知っている。それはあなたへの警告であったのだ。またあなたは、私が今まで何人の人達を正しい道に連れ戻したかを知っている。それはあなたに良い例を与えるためであったのだ。あなたは、優れた聴罪司祭があなたに何を言ったかを覚えているだろうか? 彼にそれを言わせたのは私である。彼はあなたに、生き方を変えて良い告解をしなさいと命令しなかったか? 彼に霊感を与えたのは私である。あなたの心を動かした説教を覚えているか? あなたをそこに導いたのは私である。そして、あなたの心の隠されたところであなたと私の間に起こったこと... あなたはそれを決して忘れてはならない。」

 「それらの内的な霊感、はっきりとした気づき、引き続く良心の咎め、それらをあなたは敢えて否定するのか? これらの全て、これらとても多くのものは、私があなたの救いを望んであなたに送った私の恩寵の助力である。私は他の多くの者にはそれらを送ることを拒んだが、あなたには送った。何故なら、私はあなたを優しく愛するからである。わが息子よ、わが息子よ、もし私が彼らに、今私があなたに話しているように優しく話したなら、どれほど多くの霊魂達が正しい道に立ち返ったことだろう!

 そして、あなた... あなたは私に背を向ける。私があなたに語りかけて来たことを聞きなさい。なぜなら、これは私の最後の言葉だからである。あなたはあなたの救いを私の血の代価によって手にしたのだ。それ故、もしあなたが、あなたのために流された私の血にも拘らず滅ぶことを望むなら、責められるべきは私ではなくただあなたである。そしてもしあなたが私にも拘らず滅びたなら、それはあなた自身がそれを望んだからこそであるということを、全永遠において忘れてはならない。『私はあなたを滅ぼす。』」

 おお、私の善い方、イエズス。かくも甘美な御言葉を聞いて、かくも優しき御言葉を聞いて、石でさえ割れずにいられましょうか。これほど多くの御恩寵と御助力を頂いて、滅びたいと願う人がここに誰かいるでしょうか? もしいたなら、その人に私の言うことを聞かせなさい。そしてもしその人にそれができるなら、私の言うことに抵抗させなさい。

 バロニウスは書いています。背教者ユリアヌスは、その悪名高い棄教の後、昼も夜もその心に聖なる洗礼に対する大きな憎悪を抱き、彼自身を消しかねないような方法を探し求めました。その目的のために彼は、山羊の血を満たした槽を準備し、その中に彼自身を浸しました。そのいけにえの汚れた血を、彼の霊魂から洗礼の聖なる印を消すためにヴィーナスに捧げたのです。このような振る舞いはあなたには忌まわしいものでしょう。しかし、もしユリアヌスの計画がうまく行って、彼の霊魂から聖なる洗礼の印を取り除くことに成功したならば、彼の地獄での苦しみはずっと少なかったに違いありません。

 罪人達、私がこれからあなたに与えようとする忠告は、疑いなくあなたには奇妙なものに思えるでしょう。しかし、もしあなたがそれをよく理解するなら、それとは反対に、あなたはあなたへ向けられた優しい同情によって霊魂の照らしを受けることでしょう。私は、キリストの血により、また聖母の御心により、跪いてあなたに懇願します。あなたの生き方を変えなさい。天国に通じた道に立ち返りなさい。そして救われる人々の数に加わるために、あなたのできる全てのことをしなさい。もしそうではなく、あなたが地獄へとつながる道を歩き続けたいなら、少なくとも洗礼の印を消す方法を見つけなさい。

 もしあなたが、主イエズス・キリストの聖なる御名とあなたの霊魂に刻み込まれたキリスト教徒としての聖なる性質を地獄に投げ捨てるなら、あなたは災い! あなたへの懲罰は極めて大きなものとなるでしょう。ですから、私が忠告することを実行しなさい。もし、あなたが回心したくないなら、今直ぐ司祭のもとに行って、あなたが今までキリスト教徒であった記録が何も残らないように、あなたの名前を受洗者名簿から削除してくれるように頼みなさい。そして、あなたの守護の天使に、彼の恵みの書から、彼が天主の御命令によってあなたに与えて来た霊感と助力の記録を全て消してくれるように頼みなさい。何故なら、彼がそれらを思い出すことはあなたには災いだからです! 私達の神に、その信仰を、その洗礼を、その秘跡を、あなたから取り除くように言いなさい。

 あなたはそのようなことを考えるとゾッとするのでしょうか


(続く)








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