『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、18
第二次世界戦争がはじまると、ウゴ神父は、さっそく、「愛の十字軍」を組織して、みんなと協力して、多くの貧乏な人を助けたのでした。
どうしようもない生活苦にあえぐ家庭の可哀そうな子どもたち、その15人も彼は、自分の財布で生活させました。
非常に貧しいカプラニカ大神学校には、40名から50名の神学生がいました。また、フェルモ市には、貧しい女子カプチン会の修道院もあります。戦争になると、これらの所では、非常に食物が不足してきました。ウゴ神父は、腕をこまねて見ているようなことはありません。一策を考え、助けるために、教会所属の大きな畑のうちの幾分かを法的には貸すという名目で与えました。
それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこともやってのけるのでした。
第二次世界戦争がはじまると、ウゴ神父は、さっそく、「愛の十字軍」を組織して、みんなと協力して、多くの貧乏な人を助けたのでした。
どうしようもない生活苦にあえぐ家庭の可哀そうな子どもたち、その15人も彼は、自分の財布で生活させました。
非常に貧しいカプラニカ大神学校には、40名から50名の神学生がいました。また、フェルモ市には、貧しい女子カプチン会の修道院もあります。戦争になると、これらの所では、非常に食物が不足してきました。ウゴ神父は、腕をこまねて見ているようなことはありません。一策を考え、助けるために、教会所属の大きな畑のうちの幾分かを法的には貸すという名目で与えました。
それに、彼は、人を助けるためなら、命さえも危険に晒すこともやってのけるのでした。