聖アンドレア・ボボラ司祭殉教者 St. Andreas Bobola M. 記念日 5月 21日
典礼聖省いわく「殉教の調査も数多したが、その残虐さにおいてアンドレア・ボボラのそれに勝るものは未だかつて聞いたことがない」と。それにも拘わらず彼の聖人に挙げられるの比較的遅く、ようやく殉教致命後300年を経て、1938年4月17日、キリスト復活祭の佳辰を卜しピオ11世教皇最後の列聖式にその栄誉を授けられたのであった。
アンドレア・ボボラは1591年ポーランド国サンドミール州に産声をあげた。両親は貴族で、父祖伝来の熱心なカトリック信者、伯父も聖教の為には随分つくし、アンドレアが少年の頃入学したイエズス会の学校も主にその寄付で建てられたものであった。さればそういう一家に人となったアンドレアが幼少より敬神の念厚く、21歳にしてイエズス会に入り神学校を終え、32歳にして司祭に叙階されたのも別に不思議はないのである。
ちょうどその頃離教者が公教会を圧迫し始め、司教聖ヨザファトを暗殺したなどの事もあった。アンドレアは是非とも教敵を改心に導きたいものと思い、ウィルナ及びその付近を廻って説教し、神学研究中殊に意を用いた護教のうんちくを傾けて、わざと相手の尊敬している聖バジリオの著書などを引用し、その蒙を啓くに努めた。しかし人の心を感動させるにはただ学問や知識だけでは駄目と、更に祈りや苦行に精進して天主の聖寵を求めることも忘れず、その目的から常に裸足で歩き、説教の前には必ず断食した。彼はまた説教の外に、囚人を訪問してこれを慰め、病人を見舞ってはこれを励まし、その救霊をおもんばかった。そして1625年から1629年にかけて、ポーランドに恐るべきペストが猖獗を極めた時など、一命を顧みずに会の兄弟数人と患者の看護におおわらわの活躍をしたのである。
かような犠牲が天主によみされぬはずはない。異端から聖会に帰正する者数知れず、時としては一村、一都市を挙げての帰正さえ見られた位であった。かくてアンドレアの感ずべき活動は全国の評判となり、信者が彼を「霊魂の狩人」と呼んで称讃すれば、異端者は之を「霊魂の盗賊」と称して憎悪し、その子供たちなどは往来に待ち受けて彼に石を投げつけるという有様であった。
アンドレアは危険を冒して聖教の為に奔走する事25年余り、1657年ロシア兵がポーランドに侵入するや、彼等は土地の離教者達と結託してカトリック信者を殺したり、修院や聖堂を破壊したり、聖具や聖衣を冒涜したりし、殊に司祭や修士と見れば目の敵にして虐殺した。それは当時のポーランドが「殉教者の国」と呼ばれたほどであった。
その時アンドレアも多くの信者と共に、非難してピンスク市まで来た所、その地の離教者に密告されたので又もや逃げだし、5月16日朝ヤノ市付近のペレツヂルの聖堂で御ミサを献げたが、終わるか終わらぬうちにロシア兵が来たとのことに、彼は信者にすすめられるまま馬車に乗って逃れようとした。しかしとうとう彼等に追いつかれたから、アンドレアはもうこれまでと潔く馬車から降りてひざまずき、「主の御旨の行われんことを!」と祈ると、ロシア兵達は彼を捕らえ、裸にして柏の木に括り付け、鞭も折れよと乱打した後、樹の大枝に縛り付け二頭の馬に左右から引かせ、宙にぶら下げたままヤノ市にいる隊長の許に送った。
すると隊長は軍刀でみね打ちにしてから「お前はラテン(カトリックのこと)の司祭か?」と訊ねた。「はい、私はカトリックの司祭です。私は生まれたときからカトリック信者でしたから、たとえ殺されてもこの信仰は捨てられません」とアンドレアが答えると、兵卒等は彼の目をえぐり、裸にして横たえて、熱鉄を押しつけて両脇腹を灼き、さんざん嘲罵を浴びせた後頭や背中の皮を剥ぎ、耳や鼻をそぎ落とし、首筋に穴をあけて舌を抜き取り、半死半生になった彼をごみ捨て場に投げ捨てた。しばらくして隊長はアンドレアがまだ虫の息でいるのを見ると、刀でとどめを差し、かくて苦しみに苦しみを重ねた彼はようようにその霊を天父の御手に返すことが出来たのであった。
さてアンドレアの遺骸は不思議な天上の光に輝いていたと伝えられているが、やがて信者の手で恭しくピンクス市に運ばれ、イエズス会の修道院の墓地に葬られた。後彼の取り次ぎにより奇跡の行われるもの多く、為に1853年福者に、1938年聖人に挙げられたのである。
教訓
カトリックは人間を真に幸福にする信仰である。しかるにそれを教える聖会が何故迫害されるかと言えば、十字架の玄義を心得ぬ人には説明が出来ない。「キリストはこれらの苦しみを受けて己の光栄に入るべき者ならざりしか」(ルカ 24・26)と主も仰せになった。「功勲を立て多く耐え忍ぶこそキリスト教的である」これはアンドレア列聖の際発せられたピオ11世教皇の詔書にある言葉である。故にキリスト信者なる我等は、苦しみを受け多く耐え忍んで光栄に入る覚悟を有せねばならぬ。