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良心の自由とは 教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』

2023-09-08 19:37:53 | 格言・みことば
良心の自由

望みのままに礼拝する「良心の自由」と言うことは、意味をなさない。キリスト者は天主に従順に従わなければならない

 ひろく喧伝されているもう一つ別の自由があり、それは「良心の自由」と呼ばれるものです。もしこの言葉によって表されているのが、人は誰でも天主を礼拝するかしないかを選択する自由があるということなら、それはこれまで示してきた論拠によって充分反駁されます。しかし、この言葉はまた、国家において誰もが天主の御旨に従い、また[果たすべき]義務という意識に基いて、いかなる妨げもなしにその命令に従うことができるという意味にも解することができます。この意味でなら、これは真の自由であり、天主の子らにふさわしい自由です。このような自由は人間の尊厳を保ち、いかなる暴力、不正よりも強いものであり、また教会が常に望み、非常に大切にしてきたものです。これこそが使徒たちが臆することのない大胆さで主張した自由であり、また護教家たちが著作を通して確証した自由に他ならず、さらにはおびただしい数の殉教者たちが自らの血をもって確立した自由です。そしてそれは至極もっともなことでした。なぜならキリスト教的な自由は、天主の人間に対する絶対的かつこの上なく正当な主権ならびに人間の天主に対する主要かつ最高の義務を証し立てるものだからです。[したがって、]これは反抗的で反乱を好む精神とは無縁のものであり、公の権威に対する従順をいかなる名目においても減じさせることはありません。と言うのも、命令し従順を求める権利は、それが天主の権威と合致し、天主が定められた基準の範囲内にとどまるものであるかぎりにおいて存在するからです。しかし、もし天主の意志に明らかに反したことが命じられた場合、それは天主によって定められた秩序から大きく離反することであり、同時に天主の権威に真っ向から対立することですから、従わないのが正しいのです。

教皇レオ13世『リベルタス・プレスタンシッスィムム』






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